10 / 13
修学旅行編4話
修学旅行二日目は嵐山の渡月橋などの観光名所を巡った後に伏見稲荷大社へ向かった。
伏見稲荷大社は数々の写真で見たことがあったが、実際に目の前に広がるその朱塗りの鳥居が連なる参道の光景は、想像をはるかに超えていた。
「これが千本鳥居か……なんか、ちょっと怖いかも」
スマートフォンでパシャリと写真を撮った香村の隣で廣川が感嘆の声を上げる。これほどの数の鳥居を纏めて見たのは香村も初めてで、どことなく霊的な、神秘的なものをイメージしてしまうのも致し方ないと思えた。その朱色の鳥居の列は長く長く続いており、まるで出口など無いのではないかと錯覚させられるほどだ。鳥居の隙間から洩れる陽の光が筋状に地面に伸びていて、それがまた不思議と神聖な雰囲気を演出しているようだった。
「うん、怖い……っていうのはちょっとわかるかも」
稲荷といえば狐が神の使いとして知られている。どこかからひょっこりと尾のたくさん生えた狐が顔を出して人ならざる者の世界へと誘ってもおかしくないと感じてしまう。
「しかも……なんか、だんだん道が、きつくなってきた」
朱色の鳥居が延々と続く参道は徐々に険しさを増していく。随分高いところに本殿があるのだな、と改めて思い知らされた。
「運動あんまり得意じゃないもんなー香村は」
他の生徒たちがどんどん先へ行く中で、廣川は香村の隣をゆっくりと歩いて付き合ってくれていた。それが少し申し訳ない。
「山登りが、趣味って人の……気が知れない」
じんわりと汗をかきながら文句を言えば、廣川は少し驚いた様子で香村を見た後可笑しそうにくつくつと笑った。
「香村もそういう事言うんだ」
「文句くらい言うよ。俺は別に聖人君子でも何でも無いんだから」
廣川が香村に対しどのようなイメージを持っているのか知らないが、文句のひとつも言わない良い子ちゃんだと思われていては困る。
――いや、別に俺が困る事は無いのか?
彼に何と思われようと自分には関係の無い事だ。今までずっとそう思っていたし、これからもそうであるはずなのに。
「せいじん、くうし?」
廣川のふわふわとした声に思わず脚を止めて隣を歩く彼を見る。身長は殆ど変わらないのですぐに視線はかち合って、彼は真顔で首を傾げた。
「……聖人君子。人徳や優れた教養を身に着けた、理想的な人物ってこと」
「つまり……香村みたいな人?」
「いや、だから俺は別にそんなに理想的な人間じゃないって」
わかってないな、と思いつつ更に説明しようと口を開くが、廣川はにこりと笑って首を横に振った。
「良いの、香村がどう思おうと俺にとっては香村がそうってだけだから」
何の迷いも無くそう言われ、香村はそれ以上何も言う事が出来なかった。
午後からは京都駅からJR線で奈良へ移動となり、東大寺へと向かった。その巨大な南大門を通り抜けると、目の前に現れた大仏殿の壮大さに思わず息を飲んでしまう。木造建築の迫力と歴史の重みを感じつつ大仏殿の中へ入っていけば、そこには、荘厳な雰囲気を漂わせる大仏が鎮座していた。高さ約十五メートルのその姿は香村の想像をはるかに超えており、ただただ圧倒されるばかりだった。
「でかいな……」
思わず間の抜けた感想が口から洩れてしまう。他のクラスメイト達も東大寺にある奈良の大仏のことは勿論知っていたはずだが、想像をはるかに超えた大きさに驚いているようだった。
廣川はこの日も学校新聞のカメラマンとして忙しなく生徒たちや大仏殿をカメラに収めて回っていた。学校が雇った専属のカメラマンもついて回っており、卒業アルバムなどに収められる写真はそちらの写真になるのだろうが、廣川は元来が真面目な性格なのか、はたまた個人的に楽しくなっているのか、積極的に生徒たちにカメラを向けているのがわかる。
ガイドから説明を聞きながら大仏を見て回った後は鹿がたくさんいることで有名な奈良公園を散策する。やはりここも日本人だけでなく外国人の観光客もとても多いが、それに加えて思った以上に鹿がいたるところに自由に歩き回ったり横になったりしていた。
「鹿、こえー!」
カメラを構えたまま廣川が鹿に囲まれていた。そんな彼を面白がって撮影する為にクラスメイトたちがスマートフォンを掲げて鹿の周りを更に取り囲んでいるのがわかる。
「廣川、鹿せんべいやってみろよ」
「うわ、やめろ来るな来るな! 鹿せんべい持ってたらもっと囲まれるだろうが!」
「えー鹿可愛いじゃん」
きゃあきゃあとはしゃいでいる一団から少し離れた場所で香村は購入した鹿せんべいを集まった鹿たちに与えてみる。人を全く怖がる様子は無く、鼻先をひくひくとさせながら近づけて香村の手からせいべいを咥えてむしゃむしゃと食べる鹿の様子は何だか無心で見ていられる気がした。こういう動画があったらきっと一日中飽きずに見てしまうかもしれない。
「あ、香村ー! 助けてー!」
鹿とクラスメイトたちに囲まれていた廣川が香村に気づいたようで腕を大きく振って輪の中心から助けを求めてきた。皆の視線が一斉に香村へと集まって来て、なんだか少し腰が引けてしまいそうになる。
そんな時、誰かが言った。
「おっ、出たよ廣川のカレシじゃん」
あまり良くない響きの笑みを含んだその声に、香村は思わず開きかけていた口を閉じた。
タイミングもあったのだろう、その声は当然香村だけでなくその場にいた多くの生徒たちに聞こえていたようだ。B組以外のクラスの生徒も皆声の方へと顔を向け、その後に香村へと視線を移してくるのがわかる。
「ちょっとやめなよそういうの」
「え、何でだよ。だってお前ら付き合ってんでしょ?」
「多様性の時代だもんな、多様性」
「やめろって」
「なになに、どっちがオンナ役するわけ?」
「グロ~聞きたくね~」
ざわざわとした声が重なって行くのがわかる。
誰かが止めようとしているのもわかるが、それ以上に悪意にも満たないような、軽口程度の言葉たちが重なり合って聞こえてくるようだった。
香村は輪の中心にいた廣川を見た。彼は普段の明るい笑顔を忘れたかのように顔色を無くし、ショックを受けたように立ち竦んでいるのがわかる。男子生徒に強く肩を叩かれてビクリと体を震わせた廣川は勢い良くその手を振り払い、しかしすぐに取り繕うように笑って話題を変えようとしている。
馬鹿馬鹿しい。香村はそう思った。どうして皆、人の恋愛に口を出したがるのか理解が出来ない。口を出すだけならまだしも、それをエンタメのように軽く扱ってしまえることが不思議でならない。
普段であればそんな言葉は軽く無視していただろう。誰が何を言ったところでああいう連中はすぐに考えを改めたりはしないのだろうから。しかし、香村はその軽い言葉に一気に頭の芯が沸騰するような激しい衝動に襲われた。
「悪いけど、面白くないよ、そういうの」
香村が発したその言葉は、大勢の観光客や鹿たちがいる中であっても不思議と良く通った。
まさか反論があると思わなかったのだろう、酷い言葉を凶器とも気づかず軽い口調で放った男子生徒が驚いた様子で香村を見る。香村はまっすぐに彼と、彼に便乗して酷い言葉を口にした生徒たちを見やる。
「白けさせて悪いけど、俺はそういう話を笑って言うのはどうかと思う」
時間にすれば一瞬の出来事だった。ああ、やってしまったかもしれない。そう思いはしたが自分の事を好きだと言ってくれた廣川があんな風に笑われるのは、どうしても我慢ならなかったのだ。
彼らに背を向けると、水を打ったように静まり返ってしまった奈良公園の一角はすぐに「なにあれ」「ウザ、真面目かよ」などといった言葉が聞こえてきたが、香村は一度も振り返ることなくバスの待つ駐車場へと歩いていった。
ともだちにシェアしよう!