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13 目が覚めると
ふ、と目が覚めると、全身が温かい液体に包まれていた。
……なんだこれ。小さな波が肌を打つ度に身体がくらげのように揺れる、不思議な感覚だ。母親の胎内で漂う絶対的安心感のような深い安堵に包まれているからか、俺の瞼は一向に開こうとしてくれない。
少し息苦しさを感じて、口を開き酸素を取り込もうとする。だけど、口は開けた筈なのに、空気が入ってこなかった。代わりに、鼻からは息を吸い込める。鼻腔から、やけに湿り気を帯びた空気を体内に取り込んだ。
すると、じわり、と塞がれた口から流し込まれるものがあるじゃないか。
「ん……っ?」
これは――水だ。唐突に酷い口渇を感じ、ごくんと嚥下する。あまりの美味しさに、もっと欲しいと吸いついた。と、水の代わりに、ぬるりとした熱いものが俺の口腔内に侵入してくる。
熱を帯びる蠢くものは、俺の口の中を実に美味そうになぞりながら舐め取っていく。――これの正体が何なのか、俺はもう知っていた。昨晩、もうこれ以上は無理ってほど味わったから。
……舌が、名残惜しそうに俺から離れていく。
聞き心地のいい低めの優しい声が、俺を呼んだ。
「誉さん。水、もっとあげますから。待っていて下さいね」
やっぱりこれは、高井だ。ということは、俺は高井にまた抱っこされているのか?
さすがに現状が気になって、重くて仕方ない瞼をゆっくりと開いてみた。
最初に視界に入ってきたのは、裸の高井だ。横を向いて、グビグビとペットボトルの水を口に含んでいる、引き締まった腕にくっきりとした喉仏。ローマ時代の彫刻のような肉体美を前に、非現実感が俺を襲う。
と、頬をリスのように膨らませて、こういう仕草をするところはやっぱりどことなく子供っぽい高井が、ゆっくりと振り向いた。俺が目を覚ましているのに気付くと、目を大きく見開く。
そのままほわりと微笑むと、顔を近付けてきて唇を重ね合わせてきた。
「ん、」
うお、シラフでノーアクションでのキス……! これは、は、恥ずかしいぞ! なんで高井はこんな自然にできるんだ! さすがはアルファ、きっと場数が違うんだろう。
俺なんか、高井以外は経験ゼロだから……。あれ? あれって現実だよな? てことは俺、なし崩し的に経験者になっちゃったのか。相変わらず童貞のままだけど。
気付いた瞬間、カアアッ! と全身が熱くなった。
少しずつ押し出されてくる水はキンキンに冷えている訳ではなかったけど、俺にとっては正に命の水だった。本気で死にそうなほど、喉が乾いていたんだ。主な原因は、今目の前にいる高井にあるけど。休む間もなく突かれて喘がされて、よくぞ生きていた、俺。
高井から注ぎ込まれる水をこく、こく、と飲み切ると、口を離した高井を上目遣いで見る。身体が、もっと欲しいと訴えていた。
――それは水だけの話だったのかは、経験不足の俺には分からない。ぼんやりしたままの頭は、勝手に言葉を送り出していたから。
「……高井、もっとちょーだい」
すると、何故か高井は、口に水を含むことなくブルブルと悶え始めたじゃないか。どうした、高井。昨日からお前は変だぞ。俺に尽くして甘やかしたり――俺を抱いてしまったり。
高井の目を見る限り、瞳孔は開いてはいない。ということはまともな状態である筈だが。
「……高井? どうし、」
「く……っ、か、可愛い……」
やっぱり大丈夫か、高井。ただの平凡ベータ、しかも男だぞ、俺は。もう一度、じっと高井の煌めく瞳を覗き込んでみる。やっぱり瞳孔は開いていない。今なら、言葉は通じるだろうか。
昨日瞳孔が開いた後は、会話にならなかったからなあ……。
遠い目になりつつ、俺は結構切羽詰まった自分の欲求を口に出した。
「俺の何が可愛いのか分かんないけど、とりあえずもっと水をくれ」
「あ、はいっ!」
高井の元気のいい声が、室内に響く。……あれれ? と思って周囲を見渡すと、自分がジャグジーに入っていることにようやく気付いた。道理で温かい筈だ。昨日浮いていた薔薇っぽい花びらがまだ浮いている。つまり、一緒に入ったジャグジーに再び一緒に入っているってことだ。
俺たちは一体、何時間ラブホにこもっているんだろう……。知りたいような、知りたくないような。
かといって、現実逃避ばかりもしていられない。この部屋は、このラブホ内で一番高い部屋だった。つまり、規定時間が過ぎたら延長料金とかが発生するんじゃないか? 俺、そんなに金ないぞ、と非常に気になってくる。
だって、この喉の渇きは明らかにおかしいんだ。しかもお腹がさっきから「なんか食わせろ」とキュウキュウ訴えてきている。ということは、相当長い時間が経っているんじゃないか、というのが俺の推測だった。
高井が、俺の懸念など気付いていなそうな朗らかな笑みを浮かべる。
「今、たっぷり飲ませてあげますね。えへへ、待ってて下さい、誉さん」
「……ん」
おい、えへへって何だ。お前さ、曲がりなりにも天下のアルファ様だろ? とは、ちょっと突っ込めなかった。俺は人との軋轢を避ける男なんだ。
くい、と再び、思わず見惚れてしまう姿でペットボトルの中身を口に含んでいく高井。その間、俺は今一度自分の状況を確認してみることにした。
まず、自分の居場所だ。目下俺は、高井の膝の上で横抱きにされて、高井の肩と首の間に頭をすっぽりと収めている体勢になっている。そして違和感満載のケツ付近に感じる急に硬くなり始めたものは――おい、まだできるのかお前。
口に水をたっぷりと含み切った高井が、熱が籠もった目で俺を見つめながら、再び唇を重ねて俺に口移ししてきた。それを大人しくごくごくと飲んでいる内に、「いや待て、別に自分で飲めばいいんじゃないか?」ということに思い至る。
俺よ、なにが「高井、もっとちょーだい」だよ。高井も可愛いとか言ってる場合じゃない。なに素直に言うことを聞いてるんだ。
ふに、と押し当てられていた唇がゆっくりと離れていくと、俺の口に入り切らなかった水が顎を伝い落ちていく。高井は目敏くそれを見つけると、舌を伸ばして顎下から下唇までベロンと舐め取った。……本当にあれだな、仕草が大型わんこだな。
昨日までは間違いなく、可愛がってはいてもただの可愛い後輩だった筈の高井。その高井とこんなとんでもないことになっているというのに、相変わらずわんこ過ぎる高井の仕草がおかしくて、「プフッ」と思わず吹き出す。するとその瞬間、首の後ろが引き連れてビリリッ! と激しく痛んだ。
「痛っ」
な、何だ? と手をうなじに当てると、ボコボコして腫れているじゃないか。触れた部分は生傷になっているのか、再びズキズキとした痛みが襲ってくる。
と、高井が「あっ!」と大きな声を上げた。うなじに触れている俺の手首を慌てた様子で掴むと、ぐいっと引き剥がす。
「誉さんっ、触っちゃだめです! さっき洗ったのでまた傷口が開いてきちゃってるんですよ!」
「傷口……?」
まだぼんやりとしていた頭が、段々と覚醒してきた。うなじ、傷跡――。
「あ」と口も目も大きく開く。そうだ、思い出したぞ。
「そういやお前……!」
俺が驚いた顔のまま高井を問い詰めるように言うと、高井は大きな身体を怯える大型わんこのように縮こまらせた。
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