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十六夜 p5
学校は夏休みに入っていたけれど、タカハシは毎日、受験勉強で忙しそうだった。
彼が勉強のために図書館に行くときはぼくもついていって、隣りで小説かなんかを読みながらおとなしく彼を待っていたりする。
我ながらポチみたいだなと思われなくもない。けれど家でぽつねんと孤閨を守るのもつまらない。それにやきもち焼きのぼくは、少しでも多く彼と一緒にいたいのだ。可愛い誰かからナンパなんかされちゃかなわないもの。
そんな八月も中旬の折、思いがけないものを彼から受け取った。
今夜もどうせナシなんだからと半ば不貞腐れるみたいにして、彼より先にベッドにもぐりこんだ夜だった。
あんな助言をせっかくプロのオネエ様がたから頂いたにもかかわらず、結局タカハシに「どんな性サーヴィスがお好きなのですか」などど訊き出す勇気もなくて、もうずるずると先延ばしにしていた。だいたいどんなツラしてそんなこと訊きゃいいんだという気持ちが先立ってしまう。
枕に頭を埋めるとタカハシが白い綺麗な小箱を持ってくるから、それをぼんやりと眺めた。
ぼくの目の前に膝をついて蓋を開ける。中から光を帯びた白金色のリングが出てきた。思いがけないことにぽかんと口を開く。
よく見るとC形をしたブレスレットだ。
「腕、貸して」
低く囁かれて、不貞寝状態の掛け布団から反射的に腕を出した。セクシーで甘やかな低い声に反応して、言うとおりにしてしまう。
柔らかく手首を取られて嵌められた。ブレスレットをつけるなんて初めてだった。
腕を上に伸ばすと、するすると滑りおりてきて腕の途中で止まる。なんともいえないくすぐったい感触に、ゆっくりと腕を回しながらぼくはしみじみと眺めた。
「すごく綺麗だね」
美しい白金色をした細身のブレスレット。不貞寝しようとしていたのも忘れてしまう。
きらきら光る石の横にメッセージが彫られていて、それを認めた途端、息を呑んだ。
―― I give you all my heart ――
「本当は誕生日祝いにしたかったんだけどさ、知り合ったときには過ぎていたんだな。遅くなったけど、十七歳の誕生日おめでとう、佳樹」
まさかこんなふうに誕生日を祝ってもらえるとは思いもよらなくて、胸が熱くなった。
「見て」
彼も付けていた。腕と腕が重ねられて二つを見比べると、そっくりだった。
「ペアなんだね」
「うん。でもほら、入っている文字が違う」
確かによく見ると、彼のには、
―― I belong only to you, Yoshiki ――
とある。
…うわ。
やばい。どうしよう。これは腑抜けになっちゃう。
たまらなくくすぐったいものが胸に込みあがる。心臓のあたりがきゅんと熱くなった。
タカハシとペアだっていうのも嬉しい。くすぐったくて、ふわふわして、それでいて痛くなるほど心が切なくなる。
「ありがとう、タカハシ」
ぼくの手の甲を彼の手のひらが包み込む。幸せで、切なくて、泣きたくなった。
「高かったんじゃない?」
泣くのは恥ずかしいからそんな台詞を口にしてみる。
「バイトしてるから大丈夫」
「でも」
確かに彼は受験生になってもバイトを続けていた。週に三回から二回に減らしはしたけれど、長時間、真面目に働いている。
でもそんなところを追求するのも無粋な気がして、いまはこの幸せを噛み締めることに専念した。ただただ嬉しかったから…。
二つのブレスレットが触れて幸せそうにじゃれあっている。
タカハシのもう片方の手のひらで前髪をかきあげられ、額に口づけを受けた。
「愛してる」
優しく囁いてくれるから、甘すぎて苦しい衝動が喉元から込みあげた。
「ぼくも…」
頬と頬が触れあう。
指を絡ませあえば、ブレスレットがカシリと鳴る。今にも幸福に酔いしれそうなのに、その先がないことを思うと寂しくなった。
頬を寄せるだけ。
マウス・トゥ・マウスのキスはなく、その先もない…。
それがいまは、むしょうに悲しい。
「ごめんね。タカハシ」
こんなときなのに鼻がつんとなってしまう。嬉しいのと悲しいのとがごちゃまぜになって胸が掻き乱されてしまう。
「なに?」
「ぼく、あんたを喜ばせてあげられてないね。タカハシはいつだって、こうやってぼくを喜ばしてくれるのにさ」
タカハシが困惑した顔になる。
「なに、言いだすんだ?」
ぼくの大好きな声が心配そうに鼓膜を震わせる。それがまたすごく優しいから、涙が溢れてしまう。
「…心配しないで。これ、嬉し泣きだから。でもぼく、セックスであんたを喜ばせてやれてないよ。それが申し訳なくてさ。そんなこともできないのかって、我ながら情けなくてさ」
ああ。でもこんなの、興ざめだ。
分かってる。タカハシに悪い。
なのに、押し寄せる想いが強すぎて感情を抑えることができない。
「え? いったい、なに…?」
唖然とした様子でぼくを見おろす。
ぼくの嗚咽は時が経つほどひどくなった。貰ったばかりのプレゼントを腕ごとしっかりと握って丸くなる。
優しくて温かい贈り物。
それがあまりに嬉しくて、ぼくは悲しくなる。
彼の視線から逃れようとして掛け布団にもぐりこもうとした。それをタカハシに制される。
「どうしたんだ、佳樹。こんなのは嫌だったか」
「まさか…! 違うよ、あまりに嬉しくて。だから逆に申し訳なくって、しかたないんだよ…!」
この複雑な気持ちを矛盾なく伝えるには、どうしたらいいんだろう。
「なら、ちゃんと説明しろ。どうしてそんなに泣いているんだ?」
掛け布団をはがされて腕を掴まれて、むりやり引き起こされてしまう。しゃくりあげるのを必死に堪えた。
「だってさ…。こんなの、あんたに悪いよ。こんなによくしてもらってるのに、ぼくからはなに一つ、差し出せるものがないなんて…!」
まるで小さな子供みたいに肩を震わせて訴えてしまう。それもまた情けなかった。
「こんなに、ぼくのことを想ってくれてるのにさ…。お返しができないなんて、寂しいよ。ねえ、どうしたらあんたは気持ちよくなれるの? あんたがぼくを抱いてくれなくなったのは、ぼくとのセックスが嫌だったからなんだろう? ぼくったら、してもらうだけで自分からはなにもしなかったものね。だから物足りなかった? でも、ぼく、どうしていいか分からないんだよ。なにをしたらあんたは満足してくれるの。ぼくの中は、そんなに気持ちよくなかった? だったらさ、せめて教えてよ。あんたにだって気持ちよくなってほしいよ。なにをしたらあんたは気持ちよくなれるの? ぼく、なんでもするよ。あんたが望むなら、なんだってする。一晩中フェラチオしろってんなら、幾晩だってするよ。だから抱いて。ぼくがあんたにできるお返しなんて、それくらいしか、ないんだからさ…」
体がいやというほど震えていた。幸せの絶頂にこんな哀しんでいるぼくは、大馬鹿者だ。
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