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第48話 その胸の奥

「どうして……」  蘇芳は、考えていた。  ささくれだって、投げつけるように寄越された言葉。  ‪—‬—誰も信用できない、誰とも生きられない。それが、俺たち半端者……。  本心からそう思っている者が、こんなふうに町に降りてきては誰かを困らせるようなことをするものだろうか。 「でも、きっとあの人だ」  根拠なんてまるでない、ただの思いつきにも近い閃きだった。けれど、そうだと考えれば、辻褄は合ってしまう、と思った。あの時の言葉の後ろに感じられた何かと、八つ当たりのようにも思える物盗りの脈絡のないやり方が示すものは、同じであるように思えたのだ。  晴弥。その名を心の中で思うと、それだけできゅっと身体が切なくなって、泣きたいような変な心地になる。  率直に言えば、会いたかった。あんな、めちゃくちゃな状態じゃなくて、もっといつもの自分で、晴弥の話を聞きたいと思う。どうやって生きてきて、何を思い、どこへ行こうとしているのか。  会う前は、会えば、何か分かると思っていた。それが叶った今は、もっといろいろなことを知りたいと思う。他の誰にも、こんな気持ちになったことはない。それが、晴弥が自分と同じ〝合いの子〟だからなのか、それ以外にも何か理由があるのかはわからない。  だから一層、こんなことをする人だと思いたくなかった。命が脅かされているわけではないにしても、盗られた着物が大切な形見だったという青年は悲しみに暮れ、決して裕福ではない家で盗られた炊き立ての米は久しぶりに出稼ぎから帰ってくる息子のために切り詰めたものだったという。  きっとそんな人々の些細な事情など、晴弥にはどうでもいいことなのだろう。そんなところは、かつて自分が相容れないと痛切に感じたあやかしたちの言動によく似ていて、きっと晴弥にとっても皮肉だろうと思う。  あの日の別れ際の、晴弥の苛立った表情を思い出して、蘇芳は一層胸が痛くなる。  ‪—‬—なぜ、そんなことをするんですか。それにどんな意味があるんですか……。  面と向かって、聞きたい。でも、今会えても、きっとまた取り合ってもらえない。  物思いに耽りながら蘇芳は簡単な朝餉と身支度をすませ、今日やるべきことに気持ちを切り替えるように一つ頭を振って表通りへ出た。 「こらあー!」  往来へ踏み出した途端背後から聞こえてきた大きな声に、蘇芳はびくりと一瞬首をすくめる。振り返ると、近所のおかみさんが玄関口から子どもを追って飛び出してくるところだった。 「またお前は! 姉やの晴れ着を隠したのはお前だろう! 白状おし!」  子どもは母親に向かって大きく舌を出すと、路地裏へと走り去ってしまった。  なんだか微笑ましくてその光景を見ていた蘇芳に気づいたおかみさんが、眉を下げて笑いながら小さく会釈をする。 「ああ、すみませんねえ。ウチの末っ子、遅くにできた子だからかどうにも甘えん坊が直らなくて。ああやって悪さをしちゃあ私らの気を引こうとするんですよ。私らもなかなか手が回らなくて、あの子のことを構ってあげられてないのが悪いのかもしれないんだけど」  怒って見せていたけれど、本心は心配なのだろうと表情から窺い知れる。 「……走っていっちゃいましたけど、俺が連れ戻しましょうか」 「いや、そのうち腹を空かしてケロッと帰ってきますよ。もしかしたら誰かの家でちゃっかりおやつでもせしめてくるかもしれませんけどね。もし昼時になってもその辺をうろついているようだったら、首根っこひっ捕まえて連れてきてくださいな」  近所の人たちを信頼しているから出る言葉であり、その信頼に自分もまた含まれていることに、蘇芳は改めて心がじわりと温かくなる。この温かさこそ、ずっと自分が求めていたもの、そして失いたくないものだ。それを、伝えたかった人は今、どうしているだろうか。  ‪—‬—……悪さをして、気を引きたい……なんだか、分かる気がするな。   あの男児にも、していることが誰かを傷つけると分かっていて、それを思いやることができないほど、訴えたいこと、分かってほしい思いがある。  何かが、心の中でつながった気がした。   ‪—‬—次は、俺が必ず見つけてみせる。  蘇芳は人知れず心に決めた。もし蘇芳の予想が合っていれば、蘇芳には物盗り犯の姿が見えるはず。そして、蘇芳には見える、むしろ蘇芳にしか見えないということが、この騒ぎの本当の意味であるような気がしていた。  しかし、その日を境に物盗り騒ぎはすっかりなりを潜めてしまったのである。

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