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第64話 後戻りはしない

「俺が……、代わりになります」 「……!」  憔悴しきった様子だった晴弥が驚きで顔を上げるのが、目の端に映る。  誰も口を開かなかったが、空気がざわりと不穏な気配を孕むのが分かった。  代われるものなら、自分がその罪を被りたい。その思いが稲妻のように走った時、蘇芳はそれが自分にある唯一の切り札だと理解していた。誰の邪魔も入らないうちに、晴弥が口を開く前に、必死に今までの思いをかき集めて、言葉にする。 「俺が代わりになって済む問題ではないと言われるのは承知の上で、言っています。でも、ミソラさまも本当はわかっているんじゃないかって、俺は思っています」  自惚れ、あるいは何もかも自分の勘違いかもしれないという不安よりも、晴弥に下されようとしている非情な仕打ちを黙って見ている方が耐えられなかった。  自分勝手でもいい、晴弥には自由に生きて、笑っていてほしい。  晴弥の行動の奥底に、押し潰されそうな悲痛な声を聞いた気がしていた。  ‪—‬—俺は、あなたに示すために来た。俺自身が、俺の信じたかったことの、証になる。  心臓が破裂しそうになりながら、蘇芳はミソラを、そして今度こそ晴弥の目を、しっかりと見る。 「晴弥、……」  初めてはっきりと目を合わせた。金の瞳に、吸い込まれそうになる。胸に込み上げるものを、必死で飲み込んだ。 「あなたは確かに行き過ぎたし、ミソラさまの言うように、自分のしたことに向き合ってほしいと、俺も思います。でも、あなたをここに縛り付けて、その自由を奪うことがそのためになるとは思えないんです。そうなったら、あなたはさらに強く、あらゆるものを恨むようになってしまうかもしれない。俺はそうなってほしくない……。そのために、俺があなたの代わりになります。俺の勝手な気持ちの押し付けだと言われても、俺はあなたに、信じてほしい」  とんでもなく大胆なことを言っているのは分かっていた。今にも腰が抜けそうだし、足も声もどうしようもなく震えている。  何もかも分かったような口をきいているけれど、全てはただ蘇芳が思ったことだ。蘇芳自身の希望も、多分に混ざっている。怖くて、喉が締まるような感覚に耐えながら、蘇芳は再びミソラへ向き直り、その目を見つめた。 「俺にそこまでの価値があるかなんて分かりません。でも俺は、俺の意思で、あなたのものになると誓います」  自分の声を聞きながら、そうだ、自分は今全てを捨てようとしているのだ、と改めて感じる。悔いがないと言えば嘘になった。これで本当に良かったのか、未来永劫この選択を後悔しないかなんて分からないまま、自分を差し出そうとしている。 「おい、!」  焦ったような声が聞こえるが、ここで視線を合わせてしまったら気持ちがブレそうな気がして、聞こえないふりをした。ミソラは黙って目を細めたままだ。  蘇芳の脳裏に、色々な人の顔が過ぎる。それでも、もう後戻りする気にはならなかった。 「ミソラさまの、好きなように俺を使ってください。俺にできることはなんでもします。つがいにしても、子を産ませても、あるいはどこかに繋いでおいて気が向いた時だけ慰みにするのでも、この命を、あなたの望むように……っ」  大袈裟だと思われようが、それだけの覚悟があると伝わりさえすればあとはなんでも構わなかった。誰かをこんなにも思う気持ちを、蘇芳は初めて知った。

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