61 / 63
7-5
「どうしよう……。あそこへ行くまでにあの男の人に会う可能性もあるし、そもそも別の魔物だっている。服もびしょびしょですし。……あぁっ、なんで魔術の勉強をしなかったんでしょう。あの頃の自分を恨みたくなります」
苺は深いため息をつき、立ち上がった。そして、周りに誰もいない事を確認すると、濡れた服を脱ぎ、一生懸命絞り上げた。そして、腰丈程度のコキアの上に服を広げ、干した。
「流石に全裸でいるのは不審者だと思われそうだし……。仕方ないけど、下着だけは穿いておこう」
苺は濡れたままの薄地の白いトランクスを穿いた。生地が素肌にベッタリと張り付く感じが不快で、本来の快適さが皆無だった。
苺は何度目かの深いため息をつき、服がある程度乾くまで、群生しているコキアに身を潜める事にした。
小鳥のさえずりに、風で揺れる草木の音以外は、辺り一帯は静寂に包まれ、いつも賑やかで妖艶に包まれた茶屋とは違う雰囲気に、苺は不安な気持ちになり、どことなく落ち着かなかった。
「これからどうしよう……。帰る頃には夜になっていそうだな。火もないし、夜行性の魔物だっているだろうし……。なんで自分から買い出しなんか申し出ちゃったんだろう。このまま帰ったら、女将には叱られるだろうし、他の子達にも笑われちゃうな。…………あぁ、ストラス様は今どこで何をしてらっしゃるんだろう?」
苺は無情にも傾いていく太陽を見ながら、ため息をついた。徐々に気温が下がり、濡れた下着姿だけでは少しばかり寒く感じ、体を縮こませた。
苺は服を絞り、困り果てる。
時間が経つにつれて、ネガティブな思考になっていく自分に嫌気が差し、魔術も使えない無力な自分を責めた。
そんな時、遠くからこちらへ走ってくる動物の足音が聞こえた。その足音は徐々に大きくなり、明らかに野うさぎや鹿などの野生動物ではない事が分かった。
苺は咄嗟に口を両手で塞いだ。喉を鳴らすような唸り声に、ニオイを嗅ぎ取るような鼻息が複数聞こえた。
苺が怯えていると、コキアの上に置いていた鞄がずれ落ち、中にあった巾着袋から金貨が音を立てて、出てきてしまった。
その音を聞きつけ、のっそりと大きな影が近付いてきて、コキアを挟んだ苺の手前まで来た。苺は血の気が引き、恐怖の余り、思わず後退りした。しかし、運が悪い事に、手をついた場所に小枝があり、手をついた拍子で小枝を折ってしまった。
その影は勿論、瞬時に音を感知し、コキアを前足で踏み潰した。苺の前に現れたのは、苺の背丈よりも大きい双頭の犬だった。鋭い目つきで涎を垂らし、唸り声を上げながら、苺に近付いてきた。
「あっ、あの……。い、苺をた、食べても美味しくないですよぉ……。だから、食べないでください!」
苺は声を震わせながら、逃げようとした。しかし、あまりの迫力に腰を抜かし、思うように動けなかった。
「グルルルッ…………」
双頭の犬は両手で顔を隠す苺に鼻を近付けた。スンスンと苺のニオイを嗅ぐと、犬は急に苺の顔を舐めた。苺は恐る恐る顔を上げると、その犬は嬉しそうな顔をし、尻尾をブンブンと振っていた。
「……た、食べられはしないのかな?」
その犬は小さく吠えると、苺の体を包み込むように体を擦り寄せ、その場に寝そべった。白くふわふわとした柔らかい毛が苺の体を優しく包み込み、犬の体温が温かくなんだか安心する。
苺は敵意がないことを改めて感じると、犬にもたれ掛かり、優しく撫でた。
「飼い主がいるかどうか分からないけど……。もうだいぶ日も傾いてきた事だし、飼い主のところへ帰った方がいいんじゃない? もうすぐ夕飯でしょ?」
苺が優しく語りかける最中、苺のお腹がタイミングを見計らったように鳴いた。苺は頬を赤くし、お腹を擦りながら、照れ笑いした。
「ごめんなさい。苺のお腹の音が……。何か近くに食べるものはあるかな?」
苺が辺りを見渡すが、食べられるようなものは無く、腹の足しになりそうなものと言えば、湖の水くらいだった。苺は探すのを諦め、コキアの上に干していた服を取った。まだ十分に乾いておらず、袖を通すと冷湿布のように素肌に張りつき、苺は思わず身震いをした。
「うひぃっ! つ、冷たい!」
苺は身なりを整え、水浸しになった鞄を開け、念の為、中身を確認した。中身は水浸しだが、金貨も通行証も無事だった。苺はバッグを肩に掛け、双頭の犬の頭を撫で、お礼を言った。
「もう遅いですし、今回は諦めて、帰ります。ありがとうございました」
ともだちにシェアしよう!