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第29話
「おい!ローラシウス!いるんだろう、出て来い!!」
怒鳴り声が玄関先で、ドアベルを鳴らしもしなかった。何事かと俺は問題集から顔を上げて階下に降りていく途中、一階の奥の廊下からくるエースと、台所から出て来たハーモンドさんと出くわした。
「誰だろう?」
「これはフィッツさんの声ですよ」
「確かに」
ハーモンドさんとエースの言葉によれば、この怒鳴り声はフィッツさんらしかった。俺はあの小父さんのことは子供の頃に恐れていて以来、まともに対面して言葉を交わしたこともない。ローラシウス家はフィッツ家とそれ程親しくなかったしやり取りも少ない。それがどうして?
「いないのか!ローラシウス!!」
「はい、ただいま」
声を掛け、俺が先頭になって出た。夕暮れを背にしたフィッツさんが、顔を赤くした怒り顔でむっすりと立っていた。その離れた後ろに、シリウス教会のローカス神父が佇んでいたのが謎だった。
そのローカス神父が、控えめな口調で俺に訊ねた。
「やあ、レイド」
「どうも、神父様」
「あの子は君の家の子だろう?あの、ヒーロくんは」
「ええそうです。ヒーロが何か?」
「とんでもねえ餓鬼だ!」
フィッツさんが怒鳴り声をあげて、ローカス神父は困り顔をした。
俺も子供じゃない、怒鳴る奴は学園にもいて、理由も子供っぽいのを知っていた。だからか、フィッツさんの怒りを半分以上は受け流せたのが自分でも予想外だった。
「一体どうしたんです」
「俺の仕掛けた罠を台無しにしやがった!」
「はあ……それは、一体どんな?」
「キツネ用の罠だ。水を飲みに来るキツネをとるために仕掛けてあったのを、あのガキが台無しにしやがったんだぞ!」
「そうですか。それは失礼、でも子供の遊ぶようなふもとに罠を仕掛けます?」
「うるさい!そんなのは俺の勝手だろう!」
「そうですね、前から困っていたんですよ。あの川沿いの山道に罠を仕掛けられるのは。オルダム村までの近道なのに、あなたが占領してしまった」
「ああ?家の脇の道だ、道を占領したのが何だ、それの何が悪い!」
「村の道じゃないですか……それに川だって、村の川では?」
「俺は何も言ってねぇよ。ただ、トラバサミを仕掛けているだけだ」
「ヒーロが台無しにしたのは、そのトラバサミですか?」
「ああ!」
驚いて、俺は瞬きをした。俺がヒーロの年齢の頃は、あのトラバサミが恐くて山道になんか入れなかった。それをヒーロは友達と一緒になっての事か、それとも一人でやったのかは知らないが、トラバサミを無効にして自力で山道をわがものとした。
ヒーロは子供たちの間ではフィッツさんの罠をなきものにした英雄になったのが俺には分かった。エースを振り向いて、どうしても顔が笑った。エースも片頬で笑って、俺の横を通って前に出た。そして、フィッツさんに話しかけた。
「フィッツさんは子供たちが遊ぶような場所にトラバサミを仕掛けたんですか?」
「そんなものは子供が避ければ済むことだ!」
「本当にそうお思いですか?子供たちが避ければ怪我などしなかったと、子供たちの親にあなたは言うんですか?」
「ああ?」
「本当に?」
エースが言うと、フィッツさんは決まりが悪そうな表情になったが、やはり怒りの表情を隠すようなことはなかった。
けれど彼も自分が一体何をしていたのか、なぜ子供たちが自分の罠にいたずらをしたのか、その本当の所が分かりかけているのだろう。ムッとした表情を崩しはしなかったけれど、彼は俺を指差した。
「いいか、言ったからな、ローラシウス。次にお前の餓鬼が俺の罠を手にかけて見ろ、猟銃で撃ち殺してやるからな!」
「なんてことを言うんです、フィッツさん!私はこの事を騎士団に報告しますよ!」
悲鳴を上げるようにローカス神父が言うと、フィッツさんは彼を睨んだ。
「は、好きにしな。俺の教会はフェルフィールドの神獣教会だ。文句があるなら、フェルフィールドまで出向くんだな」
「何を言っているんですか、教会ではなくあなたに話をしているんですよ」
「俺の意見を変えたきゃフェルフィールドの教会まで出向くことだね」
そうローカス神父に決めつけると、フィッツさんはのしのしと俺の家の前から彼の家の方へと道を渡って歩いて行った。
「なんて人だろう!」
呆れた声音でハーモンドさんが溜息をついた。ローカス神父は帽子の鍔を押さえるようにしてエースに挨拶をした。
「アディシアさん、ご立派な態度でした、ですが、あんなことを言ってヒーロ君は大丈夫でしょうか?」
ローカス神父が心配をする傍から、フィッツさんが去ったのとは逆側の道から、ヒーロの青い自転車が走って戻って来た。
「ただいま!」
「ああ、お帰り」
「みんな玄関先に集まってどうしたの?」
何の悪気もない顔をして笑っているのを見て、たった今来たフィッツさんについて、黙っていることにした。エースは何かに気が付いたようだった。
「お前、釣竿を持って行ったのか?」
「うん、教室が終わってすぐ帰ってきて、物置に古いのが置いてあったから目星はつけていたんだ。それで友達と一緒に湖と川に行ったんだ」
ヒーロは魚籠を重そうに両手で掲げ、エースは前に進み出てその魚籠を受け取った。
「重い。何を何匹釣ったんだ?」
「鱒だと思う!途中から数は数えてないよ、すっごく楽しかった!」
「へえ、鱒ですか……今夜のごちそうになりそうですね」
二人で魚籠の中を確認している。俺はヒーロと向き合って、彼の目線の高さに屈んだ。見た所、すり傷や怪我などはしていない。子犬の頃と変わらない茶色い目が楽しげに笑っていて、俺も彼に笑いかけていた。
「楽しんできたみたいだね。今日はどこに行ったの?」
「あいつらフィッツさんに遠慮ばかりしてるから、オレがトラバサミを攻略したんだ。それから山の中に入って、すっごく楽しかった!」
「男の子だけで行ったの?」
「次は女子も誘ってみる。トラバサミがあったらオレが片付ければいいし」
「八尾も釣ったのか?」
「すごい釣果だ」
「神父様に一尾あげてもいいかい?」
ハーモンドさんの質問に、ヒーロは気前良く頷いた。
「ああ、いいよ。神父様、どうぞ鱒を持って行ってください!」
「おや、これはまた……いいものを」
手土産に持たせるのに、エースがその辺りに生えていた草の弦で持ちやすいように鱒を結わえた。ローカス神父は鱒を持ち、教会に戻って行くのを見送った。
「今日は鱒のローストですよ!」
嬉し気にハーモンドさんが魚籠を持って家の中に入って行く。彼もヒーロの釣果から二尾貰い、家で奥さんと一緒に鱒を食べる気でいるのがわかった。
ヒーロは玄関先で自転車と釣竿を片付けている。エースはそんな彼を見て笑っていた。
「トラバサミを怖がらない勇者だな」
「この辺りの子は大人しいから、ヒーロみたいな子は珍しいかもね」
「十歳になったら幼年学校に入れたい。それまでは、村で面倒を見て貰いたいが……」
「猟銃なんて言ってた」
「あれは脅しだよ、子供を撃つような勇気なんてない。一人ぼっちの中年の獣種がのんきに田舎で暮らしているんだ。その生活を手放すような真似ができるわけがない」
「それはそうだけど」
「大丈夫だよ、レイド」
エースが屈んで俺の頬にキスをし、ヒーロがそれを見て笑ったのが俺の視界に入った。何か言おうとする前に、ヒーロは家の中に駆け込んだ。
「ヒーロに見られた」
「気にするな。あいつも分かってる」
「話したの?」
「ああ。自分がどういう家に引き取られたのか、分かっておいた方がいいだろう?」
「それはそうだけど……刺激が強すぎない?」
「大丈夫。ヒーロがいた村でも、同性のカップルは普通に居たそうだ。子供もいた。だから、ヒーロは俺たちがカップルだとわかってるよ」
エースが手を引くようにして俺を家の中に連れて行く。
俺は家の中に入り、エースが開きっぱなしだったドアを閉めた。
メドウスリーの家の中に、子供の笑い声が聞こえていた。
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