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序幕 『儀式』の失敗
どうしてこうなってしまったのだろう。
十年に一度、国を守るために執り行われる『儀式』は神を鎮めるためのもだと聞いていた。
満足させられれば、向こう十年の平穏が約束される。
自分たちは、その為に選ばれた巫であり、守護する戦士であったはずだった。
『儀式』は神事であり、命を懸けるものではないと、そう思っていた。
なのに、目の前で悠然と笑う少年は、こちらを見下し命を弄ぶ。
既に三人の仲間が血を流して倒れている。
セスティが剣を構えて、カナデとリアナの前に立った。
「マイラ! バックアップは頼んだぞ!」
「わかった」
声に呼応して、マイラが右手を掲げる。セスティに強化魔法をかけると、その場に防御結界を張った。
後衛のマイラと前衛のセスティに挟まれたカナデとリアナを守るための結界だ。
「カナ、どうして、どうして、こうなってしまったの。私たちは、この場所で、何をするべきだったの?」
リアナの震える手を、カナデは強く握った。
右足を抉られ流血しているリアナは、もう舞を踊れない。巫としての力を封じられたも同然だ。
「私にも、わからない。けど大丈夫、リアの分まで、私が何とかするから」
カナデは懐に仕舞っていた笛を取り出した。
「私は巫である以前に治癒楽師 だから、最後まで楽器を奏で続けるよ」
太い木の枝を刳り抜いて作った横笛に、楽器としての高貴な名はない。だが、ティスティーナ家に伝わる家宝であり、家の起源ともいえる笛だ。
カナデは震える手に力を込めて、笛に口を添えた。
力を抜いて、息を吹き込む。
ローテンポの抑揚のない調べから、アップテンポの旋律へと切り替える。
仲間全員の傷が少しずつ癒されて、全回復した。
「ああ、やっぱりお前だ」
高い玉座から魔王さながらに全員を眺めていた少年の目が、カナデに留まった。
「お前たちは、間違った。だが、何を間違ったのか全く理解していない。それが罪なのだ。罪の中心はお前だ、治癒楽師」
少年が指を弾く仕草をした。
カナデの体が結界から弾き飛ばされる。
「え?……」
カナデの真後ろに、黒い闇が渦を巻いた。
体が渦に引き寄せられる。それに飲まれてはいけない。本能が感じ取る。
しかし、抗いきれない引力で渦はカナデを飲み込もうとする。
「我は優しいから、チャンスをやろう。三年後、同じメンバーで再度、儀式に挑め。できなければムーサ王国を喰らいつくす」
少年が更に指を上下する。
倒れている三人の体が宙に浮いた。
違う闇の渦が現れて、それぞれに放り込まれた。
仲間を飲み込んだ渦が縮小し、消えてなくなる。
「同じメンバーを揃えられると、いいがな」
少年が、カナデに向かって笑んだ。
「キル! ジル! アル! 貴様っ! 仲間をどこへやった!」
少年を振り返ったセスティが少年に突っ込む。
振り下ろされた剣は、少年に届かずに止まった。結界にでも阻まれているように、どれだけ力を込めても、届かない。
斬りかかってきたセスティには目もくれず、少年はカナデだけを眺める。
(なんで、私をさっさと飲み込ませない? あの光景を見せるために、わざわざ?)
だとしたら、相当に性格が悪い。
カナデは少年を睨み据えた。
「良い目だなぁ。その目を是非、男の顔で拝みたかったよ。カナデ=ティスティーナ」
「男の、顔で?」
(コイツ、私の体のことを知っている?)
少年がまた、指を弾く。
セスティの体が弾き飛ばされた。後衛のマイラより後ろの壁に叩きつけられる。
「セス!」
「他人の心配をしている場合じゃない。お前はもっと遠くに飛ばしてやろうな」
叫んだカナデの体が、渦に飲み込まれる。
「いや! カナ、カナデ!」
走り寄ったリアナがカナデに向かい、手を伸ばす。
その手を握ろうと、カナデも必死に手を伸ばした。
「カナ……、カナ!」
全身を強打したセスティが肩で息をしながら駆け寄る。リアナと同じように手を伸ばした。
(セスの息の仕方がおかしい。肋骨が折れているのかも。リアの足から、流血が止まらない。早く、早く治さないと)
二人に向かい、懸命に手を伸ばすが、黒い闇はカナデの体を半分以上飲み込んでいる。どんなに力を込めても抜け出せない。闇がカナデにまとわりつく。
マイラが攻撃魔法を何度も仕掛けるが、渦が消える気配はまるでない。
カナデは、腹を括った。
「マイ、セスとリアをお願い! 早くこの場所を離れて!」
驚愕の顔をしたマイラだったが、表情を改めて、頷いた。
「セス、リア、必ず戻ってくる。私が戻るまで、絶対に、生き延びて」
「嫌よ、カナ!」
「諦めるな、カナデ!」
顔まで黒い渦に飲まれて、二人の顔は全く見えない。二人の手がカナデの指先に触れたのだけは、わかった。
(絶対に戻って、もう一度、やり直してやる。待っていろ、神とかいうガキ)
悠然と笑む少年の顔を思い出して、歯ぎしりする。
黒い闇がカナデの全身を覆いつくす。冷たい闇に意識を侵食されているのがわかる。頭の中が、黒く塗り潰されていく。
(どんなに何かを忘れても、今のこの気持ちだけは、絶対に忘れない)
自分の心に強く言い聞かせながら、カナデは真っ黒い闇の底に堕ちていった。
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