29 / 36

ep28. 精霊の血という呪詛

 精霊の里からの帰り道で、カナデは思い切ってカイリに尋ねた。 「カイリ兄さん、あのさ。俺の性転換の薬を作っていたのって、カイリ兄さんじゃ、ないの? 俺が使っている薬は、カイリ兄さんが作ってたんだろ?」  じっとカイリを見詰める。  カナデの視線を受けて、カイリが緩やかに笑んだ。 「残念ながら、違うよ。僕が作っていたのは抑制剤だけ。カナデが産まれた時、僕はまだ七歳だよ? さすがにまだ……、いや、作れたかもしれないなぁ」  惚けた言い回しをして考え込むカイリに、今はじれったさを感じる。 「大事なことだよ! もし違うなら、誰が俺に薬を作っていたんだよ」  カナデの焦りを感じ取ったのか、カイリが表情を改めた。 「何となく気付いているんじゃないの? カナデが女性とベータ性を維持するために飲んでいた薬、それこそが《《呪い》》だ」 「だから、それを誰が……」  迫るカナデの額に、カイリが指を押し当てた。  それだけで、体の動きが止まる。 「他人から聞いた言葉だけを信じて動くの? 自分の目と耳で確かめろとハンナに言われたばかりだよ、カナデ。大事なことは、自分自身で確かめないとね」  カイリの指が触れる部分が、熱い。  体の無駄な力が抜ける。 「……ごめん。そうだった」  俯くカナデの頭を、カイリが撫でた。 「気持ちは理解できるつもりだよ。でも、思い込みは捨てたほうが良い。間違った推測は結論を捻じ曲げてしまうからね」  奥歯を噛んで、俯いた。   (性転換の薬を作っているのがリューシャルト家だって教えてくれたのは、ソウリ兄さんだ。でも多分、カイリ兄さんは嘘を吐いてない。嘘を吐いたのは、ソウリ兄さんだ)  確証はないが確信があった。  精霊の里の守護者《ガーディアン》であるカイリが、カナデの性を転換するための薬を作るはずがない。ソウリは別の場所から秘密裏に性転換の薬を入手したことになる。    しかも、カナデのオメガ性が発覚したのは、生まれてすぐだ。  ムーサ王国における第二の性は、出生直後、第一次性徴、第二次性徴と三つの時期に発現する。いつ発現するかは個人差があるが、希少な性ほど早い段階で現れる。生まれてすぐに第二の性が発現しても、性徴の時期に変化する者もいる。 (女だった頃、何回か性転換の薬を飲んだ。男になる病気を抑えるためって、言われていたけど)  覚えている限りでは、カナデに薬を飲ませていたのはソウリだ。 (でも、生まれてすぐの俺には? ソウリ兄さんは、まだ七歳だ。父上と母上が使ったってことか。入手経路を聞き出せば、何かわかるかもしれない)  ソウリが何故、入手経路を偽ったのか。  本当の出荷元がどこなのかを割り出せば、更にもう一つ、大事なことがわかる。 「あの薬、精霊の気がすごく濃かった。胸が焼けるようで、吐き出したくなるくらい、気持ちが悪い薬だったんだ」  顔が上げられない。カイリの顔が、見られない。   「……そうか」  しばらく間をおいて、カイリがポソリと呟いた。 「もしかして、カナデが女の子だった頃に、精霊の密売業者の荷を襲ってたのって、それが理由?」  いつもと同じ声音でカイリが問う。  思わず顔を上げた。 「何で、それを知って……」  このことは、ジンジルとキルリスしか知らないはずだ。  ジンジルに初めて会ったあの時、運ばれていたのは、売買予定の精霊だった。助けようと現れたのが、キルリスだった。  二人がカイリに話すタイミングは、無かったはずだ。 「自分が女でもベータでもないって、気が付いていたんだね。精霊の血を使った薬は呪術に近い。一度飲めば一生解けない呪詛にも成り得る。それを何度も飲まされていたのなら、確かに神様の試練でもないと、解けないかもね」  カイリが顎に手を添えて押し黙った。 「でも俺、子供の頃、一回だけ男に戻ってる。薔薇園で、セスに会った時に」  後にも先にも、男の姿に戻ったのは、あの時だけだった。 「そうなんだ。その後は? ずっと女のベータだった?」  カナデは頷いた。  カイリが一つ、小さく息を吐いた。 「多分、生まれてすぐに使った薬と、一度男に戻って以降に使った薬は種類が違うんだ。精霊の血なら、そう簡単に戻ったりはしないからね」  一度言葉を切って、カイリが視線を下げた。 「薔薇園で男の子に戻ったのは、何歳の時?」 「七歳……」 「それ以降、カナデに薬を与えていたのは、誰?」  カイリの確信めいた問いかけに、同じように視線が下がる。 「……ソウリ兄さん」 「そうだろうね」  同じように目線を下げていたカイリが、困った顔で空を見上げた。 「本当に、馬鹿だなぁ。僕があげた薬を試す程度にしておけば良かったのに」  カイリの顔には後悔が滲んでいるように見えた。 「カナは、精霊の密売業者と性転換の薬が関係あるって思っていたんだよね?」  キルリスの問いに、カナデは頷いた。 「精霊の密売元を辿れば、薬の製造元に辿り着けると思ったんだ」  でも、見付けられなかった。  結局、何の手掛かりもないまま、『儀式』に臨むことになってしまった。   「どうして、そんな大切なこと、黙っていたんだ? 相談してくれたら俺たちだって協力できたのに」  カナデを両肩を掴んで、セスティが迫る。 「言えなかった。誰かに話したら、ソウリ兄さんが処罰を受けることになるかもしれないと思って、だから」  だから、一人で探し回った。  あの時、セスティに相談できていたら、今のような大事にはなっていなかったかもしれない。 「ごめん……」  声が徐々に小さくなる。  セスティが言葉に躊躇い、カナデの肩を抱いた。 「リアは気が付いていたみたいだよ。カナがいなくなった二年間で密売元を捜しあてたみたいだった」  カイリの突然の発言に、カナデとセスティは同時に振り返った。 『カナが女の子だった頃、一人で精霊の密売業者を襲って精霊を解放して回っていましたの。私たちには何も話してくれなかったけど、きっと話せない理由があったのですわ。だから私、カナの意志を継ぐことにしましたのよ』 「どうして今、僕にそんな話をするのかなって思ったんだよね。カナが里に行くからかなとも思ったけど。カナの話を聞いたら、ちょっと嫌な予感がしちゃったな。早く戻った方が良いかもね」  カイリが珍しく真面目な面持ちで話している。  それが余計に緊張感を煽った。 「いつも一番慎重なくせに、時々一人で突っ走るのは、変わらないな」  セスティが愚痴りながら走り出す。 「ねぇ、セス。リアがカナを『儀式』に誘った理由だけどさ」  ジンジルの背中に乗ったまま、キルリスが声を掛けた。 「僕と同じだと思うよ。何枚もの皮を被ったあの時のカナは、神様でもなければどうにもできないって思ったんだと思う」  セスティが眉間に皺を寄せて、難しい顔をした。 「それはつまり、カナが女のベータじゃないって、リアは気が付いていたってことか?」 「恐らくね。もしかしたらリアは、僕らの中で一番早くに総てに気付いていたのかもしれない。リアからは、僕らととても近い気配がするんだ」 「近い、気配?」 「守護者の気配。でもちょっと違う気がするんだよね」  キルリスが小首を傾げる。 「ああ、それなら多分……」  話しかけたカイリが言葉を止めた。  ジンジルが走っていた足を止める。勢いあまってキルリスがジンジルの後頭部に額をぶつけた。 「痛いよ、ジル。どうしたの」  ジンジルの視線の先に目を向けて、キルリスが言葉を飲んだ。  目の前で、リューシャルト家の屋敷が燃えていた。

ともだちにシェアしよう!