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ep28. 精霊の血という呪詛
精霊の里からの帰り道で、カナデは思い切ってカイリに尋ねた。
「カイリ兄さん、あのさ。俺の性転換の薬を作っていたのって、カイリ兄さんじゃ、ないの? 俺が使っている薬は、カイリ兄さんが作ってたんだろ?」
じっとカイリを見詰める。
カナデの視線を受けて、カイリが緩やかに笑んだ。
「残念ながら、違うよ。僕が作っていたのは抑制剤だけ。カナデが産まれた時、僕はまだ七歳だよ? さすがにまだ……、いや、作れたかもしれないなぁ」
惚けた言い回しをして考え込むカイリに、今はじれったさを感じる。
「大事なことだよ! もし違うなら、誰が俺に薬を作っていたんだよ」
カナデの焦りを感じ取ったのか、カイリが表情を改めた。
「何となく気付いているんじゃないの? カナデが女性とベータ性を維持するために飲んでいた薬、それこそが《《呪い》》だ」
「だから、それを誰が……」
迫るカナデの額に、カイリが指を押し当てた。
それだけで、体の動きが止まる。
「他人から聞いた言葉だけを信じて動くの? 自分の目と耳で確かめろとハンナに言われたばかりだよ、カナデ。大事なことは、自分自身で確かめないとね」
カイリの指が触れる部分が、熱い。
体の無駄な力が抜ける。
「……ごめん。そうだった」
俯くカナデの頭を、カイリが撫でた。
「気持ちは理解できるつもりだよ。でも、思い込みは捨てたほうが良い。間違った推測は結論を捻じ曲げてしまうからね」
奥歯を噛んで、俯いた。
(性転換の薬を作っているのがリューシャルト家だって教えてくれたのは、ソウリ兄さんだ。でも多分、カイリ兄さんは嘘を吐いてない。嘘を吐いたのは、ソウリ兄さんだ)
確証はないが確信があった。
精霊の里の守護者《ガーディアン》であるカイリが、カナデの性を転換するための薬を作るはずがない。ソウリは別の場所から秘密裏に性転換の薬を入手したことになる。
しかも、カナデのオメガ性が発覚したのは、生まれてすぐだ。
ムーサ王国における第二の性は、出生直後、第一次性徴、第二次性徴と三つの時期に発現する。いつ発現するかは個人差があるが、希少な性ほど早い段階で現れる。生まれてすぐに第二の性が発現しても、性徴の時期に変化する者もいる。
(女だった頃、何回か性転換の薬を飲んだ。男になる病気を抑えるためって、言われていたけど)
覚えている限りでは、カナデに薬を飲ませていたのはソウリだ。
(でも、生まれてすぐの俺には? ソウリ兄さんは、まだ七歳だ。父上と母上が使ったってことか。入手経路を聞き出せば、何かわかるかもしれない)
ソウリが何故、入手経路を偽ったのか。
本当の出荷元がどこなのかを割り出せば、更にもう一つ、大事なことがわかる。
「あの薬、精霊の気がすごく濃かった。胸が焼けるようで、吐き出したくなるくらい、気持ちが悪い薬だったんだ」
顔が上げられない。カイリの顔が、見られない。
「……そうか」
しばらく間をおいて、カイリがポソリと呟いた。
「もしかして、カナデが女の子だった頃に、精霊の密売業者の荷を襲ってたのって、それが理由?」
いつもと同じ声音でカイリが問う。
思わず顔を上げた。
「何で、それを知って……」
このことは、ジンジルとキルリスしか知らないはずだ。
ジンジルに初めて会ったあの時、運ばれていたのは、売買予定の精霊だった。助けようと現れたのが、キルリスだった。
二人がカイリに話すタイミングは、無かったはずだ。
「自分が女でもベータでもないって、気が付いていたんだね。精霊の血を使った薬は呪術に近い。一度飲めば一生解けない呪詛にも成り得る。それを何度も飲まされていたのなら、確かに神様の試練でもないと、解けないかもね」
カイリが顎に手を添えて押し黙った。
「でも俺、子供の頃、一回だけ男に戻ってる。薔薇園で、セスに会った時に」
後にも先にも、男の姿に戻ったのは、あの時だけだった。
「そうなんだ。その後は? ずっと女のベータだった?」
カナデは頷いた。
カイリが一つ、小さく息を吐いた。
「多分、生まれてすぐに使った薬と、一度男に戻って以降に使った薬は種類が違うんだ。精霊の血なら、そう簡単に戻ったりはしないからね」
一度言葉を切って、カイリが視線を下げた。
「薔薇園で男の子に戻ったのは、何歳の時?」
「七歳……」
「それ以降、カナデに薬を与えていたのは、誰?」
カイリの確信めいた問いかけに、同じように視線が下がる。
「……ソウリ兄さん」
「そうだろうね」
同じように目線を下げていたカイリが、困った顔で空を見上げた。
「本当に、馬鹿だなぁ。僕があげた薬を試す程度にしておけば良かったのに」
カイリの顔には後悔が滲んでいるように見えた。
「カナは、精霊の密売業者と性転換の薬が関係あるって思っていたんだよね?」
キルリスの問いに、カナデは頷いた。
「精霊の密売元を辿れば、薬の製造元に辿り着けると思ったんだ」
でも、見付けられなかった。
結局、何の手掛かりもないまま、『儀式』に臨むことになってしまった。
「どうして、そんな大切なこと、黙っていたんだ? 相談してくれたら俺たちだって協力できたのに」
カナデを両肩を掴んで、セスティが迫る。
「言えなかった。誰かに話したら、ソウリ兄さんが処罰を受けることになるかもしれないと思って、だから」
だから、一人で探し回った。
あの時、セスティに相談できていたら、今のような大事にはなっていなかったかもしれない。
「ごめん……」
声が徐々に小さくなる。
セスティが言葉に躊躇い、カナデの肩を抱いた。
「リアは気が付いていたみたいだよ。カナがいなくなった二年間で密売元を捜しあてたみたいだった」
カイリの突然の発言に、カナデとセスティは同時に振り返った。
『カナが女の子だった頃、一人で精霊の密売業者を襲って精霊を解放して回っていましたの。私たちには何も話してくれなかったけど、きっと話せない理由があったのですわ。だから私、カナの意志を継ぐことにしましたのよ』
「どうして今、僕にそんな話をするのかなって思ったんだよね。カナが里に行くからかなとも思ったけど。カナの話を聞いたら、ちょっと嫌な予感がしちゃったな。早く戻った方が良いかもね」
カイリが珍しく真面目な面持ちで話している。
それが余計に緊張感を煽った。
「いつも一番慎重なくせに、時々一人で突っ走るのは、変わらないな」
セスティが愚痴りながら走り出す。
「ねぇ、セス。リアがカナを『儀式』に誘った理由だけどさ」
ジンジルの背中に乗ったまま、キルリスが声を掛けた。
「僕と同じだと思うよ。何枚もの皮を被ったあの時のカナは、神様でもなければどうにもできないって思ったんだと思う」
セスティが眉間に皺を寄せて、難しい顔をした。
「それはつまり、カナが女のベータじゃないって、リアは気が付いていたってことか?」
「恐らくね。もしかしたらリアは、僕らの中で一番早くに総てに気付いていたのかもしれない。リアからは、僕らととても近い気配がするんだ」
「近い、気配?」
「守護者の気配。でもちょっと違う気がするんだよね」
キルリスが小首を傾げる。
「ああ、それなら多分……」
話しかけたカイリが言葉を止めた。
ジンジルが走っていた足を止める。勢いあまってキルリスがジンジルの後頭部に額をぶつけた。
「痛いよ、ジル。どうしたの」
ジンジルの視線の先に目を向けて、キルリスが言葉を飲んだ。
目の前で、リューシャルト家の屋敷が燃えていた。
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