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第7話 お引越し
清人との約束通り、次の日には早速、仕事に取り掛かった。
最初の仕事は、引っ越しだ。
事務所兼住居である例のマンションに直桜が入ったのは、あれから五日後だった。
「なぁ、化野。段ボールってどこ捨てたらいい?」
事務所で作業する化野に声を掛ける。
「荷解き、もう終わったんですか? 早いですね。事務所の隅にでも置いておいてください。出しておきます」
言われたっとおり、ゴミ箱の辺りにまとめて立てかける。
「引っ越しっても、三か月だけだしさ。住んでるアパートも契約そのままだし。最低限の荷物しか持ってきてないよ」
面接に来たマンションの、事務所の隣には化野の部屋がある。その隣に空き部屋があるので、契約期間である三か月間はそこで暮らすよう、清人から言付けられていた。
『バディを組んだら一緒に生活すんのが基本な。暮らしてれば、化野の魂魄も祓いやすくなると思うぞ』
清人の言葉は、何となく理解できる。
直桜が入った部屋は恐らく、化野の前のバディが住んでいた部屋だ。
席を立ち、コーヒーを淹れる化野の腹を遠目に眺める。
(あの腹ン中にある魂魄は、多分ソイツなんだろう。聞くまでもないし、聞きたくもないけど)
清人に追い回されたあの日以降、化野の中の魂魄が邪魅を帯びることはなくなった。だが、目を凝らせば魂魄の拍動を視認できる。化野の中で生きているような存在感だ。
(……気に入らない。死んだヤツが生きた人間を翻弄している事実も、それを甘んじて受け入れている化野自身も)
立ち上がり、化野の後ろに立つと、その腹に手を回した。
「えっ! 瀬田くん⁉」
びくりと肩を震わせてカップを落としそうになる化野に、体を寄せる。
「じっとしててよ。邪魅が憑きにくくなるように神力送り込んでるだけだから。嫌なら口から流し込むけど?」
囁いた耳が熱を帯びていく。
「……お願いします」
このままが良いのか、口からが良いのか、いまいち曖昧だ。
化野の顎を持って引き寄せる。
唇を覆って、神力を流し込んだ。
「っ……ふっ」
唇を離すと、戸惑った表情の化野が、直桜を見上げていた。
「これでしばらく、酷い状態にはならないと思うよ」
「ありがとう、ございます」
化野が顔を背けて俯く。耳が真っ赤に染まっている。
「化野ってさ、ゲイなの?」
細い肩がぴくりと反応する。小さく頷いて、化野が振り返った。
「でも、瀬田くんは、違いますよね」
コーヒーをテーブルに置き、向かいの椅子に腰かける。
「どうだろ。今までは違うと思ってたけど。俺、化野とキスするの、嫌じゃないし。そもそも他人に恋愛感情とか抱いたことないから、気付かなかっただけかな」
狭い集落の偏った常識は、異性を愛して結婚し子を残すのが普通だった。ステレオタイプの考え方に疑問すら持たなかったのは、環境が大きかったように思う。
「性別って後付けっていうか。好きになった相手が男でも女でもそれ以外でも、只の結果論て気がするよ。性別で相手を好きになる訳じゃないというか。化野とキスして、そう思った」
コーヒーカップに手を伸ばす。
視界の先に見えた化野の手か震えている。
見上げると、口元に手をあてて、フリーズしている。
「ごめん。俺、なんか変なこと、言った?」
この手の話題は割と繊細だ。
その気がなくても、相手を傷つけてしまうこともある。
「いいえ。ただ、その。今後は、神力を送る時、手をあてる方法で、お願いします」
思いっきり目を逸らされて、胸が痛んだ。
「俺にキスされるの、嫌だった? なんか、ごめん」
「違います。自分が勘違いしてしまいます。三か月後、君がいなくなる現実を、受け止められなくなる」
どきり、と心臓が下がった。
面接に来た時の化野の告白は、惟神としての瀬田直桜に向けられた言葉だと思うようにしていた。より強い術者を求めての言葉であると、そう理解しようと思っていた。
けれど、目の前で辛そうな表情を懸命に隠している化野の顔は、直桜自身を好いてくれている。直桜の方が、そんな風に感じてしまう。勘違い、してもいい気がしてしまう。
(いまだに前のバディの魂魄を腹ン中に持ってるくらいだ。好き、だったんだろ)
「わかった。今後は、気を付けるよ」
「……はい。お願いします」
化野が立ち上がり、デスクに戻る。
カタカタとタイピングの音だけが、事務所内に木霊する。
「腹ン中の、魂魄のこと。聞いたら、教えてくれる?」
タイピングの音が、ぴたりと止まった。
だが、化野は何も言わない。
「やっぱ、今は、いいや」
「いいえ、すみません。話すべき、ですね」
立ち上がりかけた直桜を、化野が慌てて制した。
「瀬田くんは、この魂魄を祓うためにここに来てくれたのだから、話さなければいけません。君の普通を、私が奪ってしまったのだから」
腹に手をあてて、化野が唇を噛んだ。
「そんな風には思ってないよ。三か月のお試し契約は俺が決めたことだ。魂魄のことも、化野が話したくないなら聞かない」
直桜は、今度こそ席を立った。
「瀬田くん!」
ドアノブに手を掛けて、化野を振り返る。
「でもさ、話したくなったら、話してよ。どうせ三カ月間は四六時中、一緒にいるんだし。いつでもいいよ」
返事を待たずに、直桜は事務所を出て、扉を閉めた。
扉に凭れて、清人に言われた言葉を思い返す。
『護は魂魄の事情を話したがらないと思うから、最終的には強制排除していいよ。そんな荒業、直桜じゃなきゃ出来ないと思うから。その後、護が暴れたとしても、取り押さえんのは上司の俺の役目だからさ』
祓戸四神の惟神は現在、三柱が13課に所属している。いずれも神降ろしの状態だ。その力では、今の化野の魂魄は祓えない、ということだ。
(強制排除。無理やり祓うことも、そりゃできるよ。でも、あんなに大事にしてる魂魄 、勝手に祓ったりできるかよ)
自分の手のひらを、じっと見つめる。
この手が、誰かの大切なものを奪うかもしれない。恐怖がじんわりと胸の中に広がった。
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