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第22話 彼方の記憶
護が13課の存在を知ったのは、十五歳の時だった。
鬼化などしなくても喧嘩で負けたことはなかった。差別には暴力で抗うしかない。それが己を守る唯一の方法だと信じていた。
価値観を粉々に打ち砕いたのは、東京からやって来たおかしな連中だった。嵯峨野を荒らしまわっている鬼がいると聞きつけて退治しに来た男に、護は完敗した。
「それだけの力を無駄に使うな。天が与えた才を使う場所をくれてやる」
笑いもせず、蔑みもせず言い放った男は、警察庁公安部特殊係13課の班長・須能 忍と名乗った。
「天が与えた、才?」
鬼の力を才能と呼んだ人間に、初めて出会った。自分自身ですら、煩わしいとしか感じていなかったのに。
褒められたわけでも評価されたわけでもない。その、たったの一言で、この男に付いて行ってみようと思った。
忍の計らいで故郷の嵯峨野を離れ、東京の高校に進学した。
この場所で生き直そうと思った。
高校に通いながら、護は13課の仕事を始めた。
霊・怨霊担当部署では、バディを組まされた。初めて一緒に仕事をする男は、忍と一緒に嵯峨野に来ていた奴だ。
妙にチャラくて軽いのに、やけに親切で隙がない。
「藤埜さんはやめろって。清人でいいよ」
急に距離を詰めてくる人間は好きではない。蔑まれる鬼に寄ってくる人間は、大体が下心を持っている。
だが、この男はどうやら違うらしい。
仕方がないので清人さんと呼ぶことにした。
この頃は清人も大学生で、学生コンビだったので、然程大きな仕事が入ることもなかった。
東京に来て半年ほどが経過し、土地にも仕事にも順調に慣れた頃、大きな捕り物があった。
怪異対策担当部署、通称妖怪退治部が巨大反社の摘発をするのに人手が足りないというので、他部署の護たちも駆り出された。
反魂儀呪は呪術で人の生命を脅かす。人の霊を利用して人を壊す。そういう組織だと聞いた。手練れも多く、護の鬼の力は大層、重宝された。
その日の集会で行われていた呪術には、子供の霊が利用されていたようだった。
幼子の霊は未成熟で柔らかく、使い勝手が良いらしい。ただ、不安定なので数が必要なのだそうだ。
囚われていた子供は、全員が体の何処かを壊されていた。
『眇目 は神に愛される』
目だけでなく体の何処かを欠損した幼子たちは、神を降ろす儀式に必要な呪具だった。
ほとんどが死んでいる中で一人だけ、生きている子供がいた。
左目を抉られた未玖は、口がきけなかった。
傾きかけた孤児院に売られた子供に帰る場所はない。
未玖は13課に引き取られ、護と清人と共に生活することになった。
「その時、未玖は六歳でしたが、碌に文字も書けない子供でした。絵本を読ませて、少しずつ清人さんと覚えさせたんです。弟ができたみたいで、楽しかったんですよ」
当時を懐かしむように、護が顔を緩めた。
「私にとって、美玖は家族でした。しかし未玖が私に向ける想いは違っていた。その思いにだけは、どうしても応えられなかった。家族を、失うようで怖かったんです。だからと言って、逃げていいものではなかったと思いますが」
弟だと思っていたからこそ、護にとっては未玖から向けられる恋情が辛かったのだろう。未玖を傷付けずに、家族であり続けるために選んだ結果が、結界の中のコテージだった。
「眇目、か」
ぽつり、と直桜は零した。
祓戸四神の惟神、瀬織津姫神をその身に宿す従姉弟も、左目がない。惟神になるために、実の親に抉られたのだ。
(反魂儀呪も桜谷集落も、やってることは同じだな)
非人道的な行為を御神の御為という大義名分で正当化しながら反社を非難する。そういう歪んだ精神は、直桜が吐気がするほど嫌いな集落の因習だ。
「ここで、三人で暮らしてたの?」
浮かんだ思いを振り切って、直桜は護の話に気持ちを戻した。
「いいえ。このマンションは実は新しいんです。未玖が死んでから移ってきた場所なので。前は大宮の外れにあった、昭和レトロなアパートでしたよ」
少しだけ、ほっとした。
思い出が残る場所に、自分が入り込んではいけない気がしたからだ。
「未玖が浄化師になったのは、清人の影響?」
「そうですね。護身術のつもりで教えたようですが、才能があったんでしょう。或いは、儀式に利用された影響かもしれませんが」
それは多分にあるだろうと思った。
幼少期に左目を抉られ、呪術の影響を受けていれば、鋭敏にもなる。呪具として集められたのなら、元々が感度が高い霊だったのだろう。
「清人さんが統括に上がってからも、私の新しいバディがなかなか決まらなくて。清人さんは統括をしながら、私のバディを続けていました。だから、三人で住んでいた時期も長かったんです。八年、くらいでしょうか」
護の顔に、痛みが見えた気がした。
浄化師や清祓師の中には鬼である護を忌み嫌う者もいると、清人が話していた。
(その頃の話なのかな。嫌な思いしたっていうのは。中途半端な奴ほど、穢れを無駄に恐れるもんだ。けどそれは、普通の感覚だ)
鬼は邪魅や血を武器にする。穢れを武器にしているのと同じだ。
本来祓うべき存在が、自分たちと同じ仕事をしている嫌悪感もあったに違いない。
「そんな私を見兼ねたのもあったのでしょう。未玖が私のバディになりたいと言い出して。私は勿論、反対しました。最初は清人さんも反対だったんですよ」
「どうして? 未玖を浄化師にしたのは、清人だろ? 鬼の血に弱かったから?」
13課に拾われて浄化師になった未玖が護のバディになりたがるのは、むしろ自然な流れだと思う。
「いえ……、未玖は呪術そのものに弱かったし、邪魅にも中てられやすい子でした。自然と吸い寄せて、その身に取り込んでしまう。清人さんが浄化術を教えたのも、その為だったんです」
「自然と……?」
直桜は口元を抑えて押し黙った。
(まるで今の護と同じだ。感度が高い霊なら、有り得えなくはない。幼少の頃に受けた呪術が残っていた可能性もある。けど)
「未玖が鬼の血に弱いとわかったのは、死ぬ直前です。半年前の反魂儀呪の集会に踏み込んだ時、何故か途中で血魔術が解けて、解呪された血を未玖が全身に浴びてしまった。次の瞬間には、未玖の姿はなく、私の腹の中に魂魄が在りました」
「……は? ちょっと、待ってよ、なにそれ。そんなのまるで」
護が話した状況が、頭の中で映像のように浮かび上がる。
半年前の集会では呪術が行われていた。人の霊から呪詛を作る呪術。儀式の最後は、呪詛にする人間に穢れた血を纏わせる。
(まるで、護の血を、待っていたみたいじゃないか。初めから、そうするために、仕組まれていたような)
突然に、一人の男の顔が浮かび上がった。
奥底に沈んでいた、遠い昔の記憶の中で、男は鬼を高揚した顔で眺めていた。
(高揚? いや、そんな健全なもんじゃない。もっと歪んだ愉悦を孕んだ顔)
幼心に嫌悪と恐怖を抱いた男の顔だ。
直桜は、ぐっと奥歯を噛み締めた。
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