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第37話 警察庁副長官 桜谷陽人

 服の試着に夢中になっているうちに寝てしまった枉津日神を連れて、直桜と護は副長官の執務室に向かっていた。 「やっぱり、ウチで面倒見る羽目になるんだなぁ」  警察庁に来る前から、何となく予測していた事態ではあるが。まさか、犬のぬいぐるみを依代にした神様を引き取る羽目になるとは思っていなかった。 「可愛いし、良いじゃないですか。枉津日神様も砕けた性格の御柱ですし、仲良くやっていけますよ」  穂香が持たせてくれた犬用の服がわんさと入ったバスケットを片手に、護が苦笑する。 「ところで、一緒に貰った猫のぬいぐるみは、どうするんです?」 「ん? 何か直日が欲しいっていうから、とりあえず貰ってみた」 「何に使うんでしょう? 同じように依代にするとか?」 「いや、直日は俺という依代が在るから、普通に顕現できるよ。何に使う気なのかはよくわからないけど」  話しているうちに、副長官の執務室に着いていた。 「ぬいぐるみ抱えた男が入っていい感じの部屋じゃないな」  枉津日神は直桜に抱かれて眠ったままだ。動かないとただのぬいぐるみにしか見えない。 「中にいるのは桜谷さんですから、問題ありませんよ」  言いながら、護が腕の時計を見る。  約束の時間であることを確認してから、部屋の扉をノックした。 「公安部13課、化野護、瀬田直桜、到着いたしました」 「入っていいよ」  扉を開けて、部屋の中に入る。  思っていたより狭い部屋は、窓だけが大きく開けて東京の街を一望できた。その窓の前に、桜谷陽人が立っていた。 「懐かしい顔だ。久しぶりだね、直桜」  年の割に童顔で小柄な男が、直桜を眺めて笑んだ。 「化野も元気そうだね。腹の中の魂魄とは決別できたようで、何よりだ」 「その節は、御心配をおかけしました」  丁寧に頭を下げる護の隣で、直桜は何となく面白くない気持ちを抱えていた。  そんな直桜の表情に気付いたのか、陽人の視線が直桜に向く。 「特に他意はないよ。化野の心身の健康を案じただけだ」 「わかってるよ」  つい可愛くない言い方をしてしまう。  促されて、来客用のソファに護と並んで座る。陽人が目の前に掛けて、二人をまじまじと眺めた。 「思っていた以上に相性がよさそうだね。今回は清人の勝ちのようだ」 「十月には正式採用してもらえるって聞いてるけど、陽人はそれでいいわけ?」  三か月の試用期間終了後も13課に残る意志は、清人に既に伝えている。その後、特に何の返答もない。受領されたと受け取っていたが、この男の場合、ちゃんと確認するまでは、わからない。 「お前が良いなら、構わないよ。たった一カ月半でこれだけの功績を上げた職員を無碍には扱えないだろう?」 「功績?」  思わず、険しい顔になった。  直桜とは真逆に、陽人が口端を上げる。  「13課の誰も祓えなかった魂魄を単身で清祓し、巨大反社のリーダーを引きずり出した。行方不明だった枉津日神を見つけ出し、消滅させることなく依代に収めた。誰でもできることじゃない。誇るといい」  陽人が爽やかな笑みを振りまく。  顔が引き攣ったのが、自分でもわかった。  あまりに無害に見えるその笑顔が、腹に一物ある時の笑みであることを、直桜は良く知っている。   「俺らが結果を出せるように仕向けたの、アンタか。集落を説得するために」 「総ては二人の実力だよ。けどまぁ、直桜ほどの逸材を集落で飼い殺しにするのは惜しいと思っていたのが清人だけじゃないのは、事実だよ。お陰で説得が容易になったのもね」  ソファの肘掛けに肘をついて、陽人が足を組む。  リラックスした姿勢と満足そうな表情が、計画通りだったと告げている。   「陽人は俺を集落の外に出したくないのかと思ってた。だって俺は」  異端、忌み子、災禍の種。  自然の理を変える危険がある惟神は集落の外に出してはならない。集落のリーダーである桜谷家を始めとした五人組が出した結論だ。 「確かにお前は集落が偶然に生み出してしまった神喰いの惟神、神と同化し神に成り代われるほどの人間(依代)だ。強すぎる存在を凡庸な人間が過剰に恐れるのは古来からの因習だね」  陽人の薄ら笑んだ顔が護に向く。  思いがけない視線に、護がビクリと肩を強張らせた。 「だが、今は違う。神殺しの鬼は鬼神になった。守人を得た惟神に集落の人間は安堵する。ストッパーができた、とね。それもまた、二人が上げた功績の一つさ」  陽人がにっこりと笑んだ。  言いたい内容は理解できるが、何故か釈然としない。 「つまり桜谷さんは、直桜が集落を出て13課所属となったことを嬉しく思っておられるのでしょうか。直桜が活躍できる場に出られたと、お考えですか?」  護の言葉に、直桜と陽人が振り返った。  二人に同時に見詰められ、護が少しだけ身を引いた。 「あぁ、そうだね。シンプルにいえば、嬉しいと思っているよ。直桜のバディが化野である事実もまた、僕は嬉しいんだ。これからお前たちは13課を引っ張る存在になるだろうからね」  陽人が嬉しそうに笑っている。  何だか照れ臭くなって、直桜は俯いた。陽人の顔も護の顔も、今は見づらい。 「だからこそ、槐の甘言に惑わされるような事態だけは、避けてもらいたい」  陽人は笑みを仕舞った。  護の表情にも緊張が走る。 「反魂儀呪はこれまでリーダーを始め構成員を隠し、水面下で活動してきた。だが、お前たちの前に現れた八張槐は堂々と身分を名乗った。僕はそれを13課への宣戦布告と受け取った」  陽人の目に冷たい炎が灯っている。本気の陽人が見せる表情だ。  胸の奥に冷たいものが流れる想いがした。 「遠慮は必要ない。反魂儀呪の逮捕に生死は問わない。八張槐も例外ではない」  言葉が出てこなかった。  陽人は本気だ。その顔を見れば、よくわかる。  けれど直桜は同じくらい、集落にいた頃の二人を知っている。張り合って喧嘩ばかりしていた若き日の槐と陽人を、知っている。 「お前たち二人は特に、槐のターゲットだ。普段から注意して行動するのは勿論だが、反魂儀呪に関連した仕事の時には、他の部署からの応援も厭わない。こちらの判断で付けることもあるだろうから、心得ておいてほしい」 「承知いたしました」  護が冷静に返事をしているのが、少しだけ不思議だった。  それくらい、護にとって槐という過去は捨て去りたい記憶なのだろう。 「陽人は槐を、許す気は無いんだね」 「許す価値はない。何よりあの男は、僕の許しなど欲していない」  零れてしまった直桜の言葉に、陽人が間髪入れずに答えた。  鋭い言葉は予想通りで、呟いたことを後悔した。 「僕はお前を易々と槐にくれてやる気は無い。自分の身は自分で守ってもらわないと困る」 「わかってる、わかってるけど」  顔を上げた先の陽人は、真っ直ぐに直桜を見詰めていた。  昔から変わらない、自信に満ち溢れた強い瞳が直桜を射抜く。 「僕はね、直桜。少なくともお前よりは、八張槐という男を理解しているつもりだよ」 「そう、だね。そう思うよ」  直桜は陽人の言葉に、頷くしかなかった。  陽人が小さく息を吐く。   「化野、これからも直桜を頼むね。この子は昔から、賢いが故にメンタルが弱くてね。何かあるとすぐに塞ぎ込むから扱いが難しいと思うけど、君なら大丈夫だろう」  直桜を心配そうに眺めていた護が、頷いた。 「賢くて優しいから気に病んでしまうんですよね。私は直桜のそういうところも好きですから。バディとして支えていきたいと思っています」 「バディとして? それだけかな?」  陽人がニコニコと如何にも無垢な笑みを向ける。  護が焦った顔で言葉に詰まっていた。 「正式なバディ契約は十月以降ならいつでも受け付けるよ。申請は班長の忍に出してくれればいい」 「正式なバディ契約して、いいの?」  おずおずと聞いてみる。  正式なバディ契約を結ぶということは、ある意味で護と結婚するようなものだ。集落が望む男女の結婚からは遠ざかる。  陽人がまた、直桜に視線を向けた。 「自分の決意を貫く覚悟がないなら、やめておけ。日本において、男同士の結婚はまだまだ一般的ではない。この先、山ほどある障害を越えていく覚悟は必要だ」  それくらいのことは、言われなくてもわかっている。  わかっていても陽人に言葉にされると、困難な現実が浮き彫りになったようで、怖くなる。 「陽人は、俺たちのこと、どう思ってんの? 応援、してくれないの?」  思わず俯いた口から出た言葉は、まるで甘えた子供のようで、自分でも情けなくなった。 「応援する気がないなら、正式なバディ契約は勧めない。どうせ直桜は化野以外、愛せないだろう。そういうところ、頑固だから」  あまりにも普通に言ってのけた陽人に、ほっとする。 「二十年以上、律姉さん以外愛してない陽人に言われたくない」 「えぇ⁉ 水瀬さんて、私より年下じゃ……」  うっかりといった体で声を上げた護が、自分の口を慌てて塞いだ。 「何かな? 化野」  陽人が張り付けた笑みを護に向ける。  護がふるふると首を横に振る。   「直桜も想ったら一途なタイプだと思うから、浮気の心配はないと思うよ。化野が浮気したら、ちょっと大変なことになるだろうけど」 「確かに、浮気されたらめちゃくちゃ怒るかも」  護を振り返ると、げんなりした顔で息を吐いていた。 「そういうつもりは毛頭ありませんが。お二人の話を聞いて、安心しました。安心して、直桜の隣にいられます」  護に笑いかけられて、胸が熱くなる。  そっと絡んだ指が優しくて、その冷たさをもっと感じていたかった。  二人の姿を眺める陽人が満足げに笑んだ。 「僕からの話は以上だよ。今後は班長を介して連絡してくれ。13課を仕切っているのは、忍だからね」 「大した話はしてないよね。何で呼び出したの?」  怪訝な顔になってしまった。  世間話の延長みたいな話しかしていない。 「久しぶりに従兄弟の顔が見たかった。元気になった化野に会いたかった。それだけだよ。僕にとっては大いに実りのある時間だったよ」  陽人の嬉しそうな顔は、嘘をついている風でもない。  立場上、絶対に暇ではないはずなのに、不思議だなと思う。 「忍にはまだ会っていないだろう。今日は外しているはずだから、近いうちに挨拶しにおいで。梛木も会いたがっていたよ」 「うん、わかった」  陽人がずい、と身を乗り出した。 「実際に会って顔を見て話さなければ、わからないこともある。直桜、この仕事をすると決めたなら、自分の中の譲れない矜持だけは、常に意識しておくようにね」  陽人の顔が間近に迫って、心臓が嫌な音を立てた。 「会って話すのは、陽人の矜持ってこと?」 「それもあるね。あとは、可愛い直桜を眺めたかっただけ、かな」 「はぁ?」  陽人の顔が離れて、護に向いた。 「化野から忍に連絡を入れておいてくれるかな? 直桜の正式採用の前に一度、する時間を作りたい、とね」  ニヤリと笑んだ陽人の顔に、護が一瞬怯えたように見えた。 「承知しました」  短く返事して頭を下げる護の姿を眺める。  何となくだが、只の挨拶ではないのだろうなと直感していた。

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