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第1話
「そうだお前ら、付き合っちゃえば?」
「……は?」
上藤 駿太郎 がそのセリフを聞いたのは十二月、クリスマスの日だった。
ここはカフェ&バー【ピーノ】。とある商業ビルの三階にあり、カウンター席だけで十人も入れば満席の、小さな店だ。落ち着いた内装はそれだけで大人向けの店だとわかるが、駿太郎は不機嫌を隠さず隣の発言者、松本 将吾 を睨む。
「将吾サン……それ、意味分かってて言ってます?」
しかし将吾はそんな駿太郎の視線など何食わぬ顔で、彼の前に置かれたどて煮を箸でつついていた。
「もちろん。お前らお似合いだと思うよ?」
「お前ら」のところで将吾はカウンターの向こうにいる男を見る。そこには長身で落ち着いた茶髪の、米山 友嗣 がいた。その顔は芸能人かと思うほど綺麗で整っており、涼しげな目は長いまつ毛で縁取られている。すっと通った鼻梁に、薄い唇はリップクリームを塗ったかのように品のある薄桃色――この店の店長だ。
友嗣は何を考えているのか分からない微笑みを浮かべながら、駿太郎の前にブリの煮付けとラタトゥイユを出した。献立の統一性のなさと、その微笑に胡散臭さを覚えながら料理を受け取ると、駿太郎は再び将吾を睨む。
「だって、あの顔の怪我だって恋人に殴られたんですよね?」
「ああ、別れたよ。シュンと同じ、昨日にね」
駿太郎は再び友嗣を見ると、痛々しい痣が左頬にできていた。多くの人が振り返りそうな美形にも関わらず、友嗣が恋人と長続きしないのは将吾から聞いて知っている。
「だから、お前ら付き合っちゃえば? って言ったの」
冗談じゃない、と駿太郎は思う。
もともと、駿太郎が【ピーノ】の常連になったのは二年前だ。その時から、友嗣の節操のなさは将吾から聞いていた。将吾と友嗣は十年来の友人らしく、将吾と話しているうちに友嗣の人となりも知っていく。――聞けば聞くほど、付き合いたくない奴だな、と。
しかも、目の前で友嗣の悪評を話しているにも関わらず、友嗣は黙って否定もせず聞いているのだ。それどころかうっすら微笑んでさえいて、いったいどんなメンタルの持ち主なんだと思ったほど。
「シュンと付き合えば、友嗣の節操なしも直るんじゃないかって」
「……将吾サン、俺の好み知ってますよね?」
将吾の言葉に、駿太郎はブリの煮付けに箸を入れながら、さらに視線を鋭くした。
駿太郎はゲイだ。昨日まで付き合っていた恋人も当然男性で、穏やかで真面目な人だった。けれど駿太郎はある理由で振られてしまったのだ。
「君といると息が詰まる」と。
自分でも原因は分かっている。駿太郎は毎日のルーティンを崩したくないのだ。最初はそれでも良いよと言ってくれていた恋人は、付き合いが長くなってきたら、それが苦しいと言って離れていった。じゃあ初めから、無理して自分に合わせなくてもよかったのに、と駿太郎は思うのだ。
もちろん、相手に自分の融通の利かなさを受け入れるよう、強要することはなかった。自分のルーティンをこなしたいだけで、合わなければそれで良い、というスタンスでいたつもりだった。
そんな駿太郎だからこそ、見るからに何もかも緩そうに見える友嗣が、駿太郎は苦手だった。しかも彼は両性愛者だ、それも苦手に拍車をかけている要因の一つだ。
「好み? もちろんわかって言ってる」
「それに……付き合うって、双方の意見が必要なんですよ? それも知ってますよね?」
これだけハッキリ駿太郎が難色を示しても、将吾は何食わぬ顔でニコニコ笑っている。腹の中で「性悪」と呟きながら、駿太郎は友嗣を見た。
「店長サンにも決定権あるでしょ」
「……俺?」
そこで初めて、黙って微笑んで聞いていた友嗣が喋った。今は店の中に三人しかいない――というか、満席になったところを駿太郎は見たことがない――から、話してもいいと判断したのだろう。
「俺は、寝る場所さえくれたら誰でも……」
「……っ、最低……」
思わず駿太郎は小さく舌打ちする。なぜかこの店の料理は美味しいので、ここに来ることもルーティンの一つになっているけれど、それと店長の私生活とはまた別だ。
まあまあ、と将吾は宥めるように手を振る。
「そう言うなって。昨日振られて、家がないから店で寝泊まりするしかないんだ。かわいそうだろ?」
「……」
駿太郎は黙る。友嗣がその時の恋人の家にお世話になって、別れる度追い出されているのも毎度のことだ。けれど不思議なことに、友嗣はすぐに寝泊まりする場所を確保する。それがどういう意味かは、駿太郎でもよく知っていた。
「だいたい店長サンはバイでしょ?」
「うん、そうだねー」
「俺が友嗣に言ったんだよ。シュンなら、カウンターと椅子しかない店で寝泊まりさせるわけないから、聞いてみようって」
「……」
最悪だ、と駿太郎は内心舌打ちする。将吾は駿太郎の性格を熟知していて、断ることができない言い方をしてきている。昨日、振られたことがショックで、将吾に勢いでメールをしたのが仇になったなとため息をついた。
しかし実際、いくら苦手な人とはいえ、横にもなれないところで寝泊まりするのはかわいそうだと思ってしまう。納得いかないけれど、それなりの優しさはある駿太郎は、渋々頷くことにした。
「……もちろん家賃は取るし、次の家が決まるまでだからな?」
「うん。ありがとう」
駿太郎はそう言ってブリを一口食べると、丁度いい甘辛さと、ブリの脂の香りが口の中に広がった。悔しいけれど、味はこの上なく美味しい。
友嗣は笑って「サービスのおつまみです」と、キムチと枝豆とたくあんの盛り合わせをくれる。どれも駿太郎の好きなつまみだ。
「よし、じゃあ二人は晴れて恋人同士ってことで」
「は? 付き合うなんて言ってませんよ?」
駿太郎は、何をしれっと言っている、という目線をよこすと、将吾はわはは、と笑った。
「友嗣の【魔除け】にもなるから、フリだけしてくれよ」
な? と肩を叩かれ、駿太郎は口を尖らせる。結局、何もかも将吾の思い通りということだ。
以前、友嗣がフリーだと知った女性が、店の前で何時間も居座ったと聞いたことがあるので、その対策だろう。むしろそういう人がいたら、そのままそっちと付き合ってくれ、と駿太郎は思うけれど。
「……よろしくね」
聖母のように柔らかい笑みをたたえた友嗣に、駿太郎は返事もせずビールをあおった。
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