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第28話 判断を誤った代償

 ミハエルの結界を打ち壊したデイルの魔力は鞭のように、しなやかに伸び、暗色の剣に絡まる。  輝きを放つ魔力でできた鞭はどんどんと、ミハエルの魔力を浄化して言っているように見えた。  ミハエルの持つ剣は姿を崩し始める。 (あの禍々しい剣、嫌な感じがした。なにか改良してこの地の毒を自分の魔力に取り入れているのかも。叔父上ならやりかねない)  ふわりと空中から現れたデイルが、ユーリを護るように目の前に立つ。  マントと鮮やかな色をした髪がなびく様子に、ユーリはほっとした心地になった。 「ユーリルの騎士――デイル、ディーか。ははっ、私としたことがとんだ見落としだ。なにもできない、陰気な魔法使いが、こんなに立派になっているなんて想像ができないよ」  デイルの顔を鋭い眼差しで見ていたミハエルは、額に手を当て急に大笑いをし始める。  彼の発した言葉を聞き、ユーリは無意識に顔をしかめた。 (ディーは人見知りなだけで、陰気なわけじゃない。僕のディーになんて言い様だ) 「そうか、お前が時を戻していたのか。そして今回はドラゴンとやらの加護を手に入れたのだな。だが、神の創造物であるドラゴンは、無償で願いを聞かないだろう。ユーリル、いまの君はなにかを成し遂げなければいけない。できなければ大切なものを――失うんじゃないか?」 「叔父上の甘言には乗らない。僕は、僕の手で」 「私なら君の願いを全部叶えてあげられるよ。各地の浄化も、この場所の浄化も、私は一瞬だ。ああ、未来を変えたい? 家族で仲良く暮らせる未来がいいのかな?」  心の内を見透かすような言葉。  向こうはユーリなどより遙かに経験値が多い。未来での経験、そしていまの世でさらに積み重ねているものがある。  思えばミハエルは嘘や冗談を言わない。すべて叶えるだけの切り札を持っている。 (そうだ。未来もこれまでも、誰も彼を疑わないのは嘘をつかないからだ)  ミハエルの言葉が巧みな証拠でもある。嘘ではないけれど、自身の有利な立ち位置へ持ち込める話術を持ち合わせていた。 (未来でも帝国だけでなく、他国の人間も皆、叔父上に信頼を置いていた。彼ほど正直者はいないと。僕は逆に胡散臭くないだろうかと思っていたけれど)  普段から嘘をつかない人間に、甘い言葉で誘われれば、うっかりと地獄の底へ――足を踏み出してしまうものなのかもしれない。 「ユーリさま、早まった行動はなさらないでくださいね」 「……わかってる。僕は今世ではデイル、あなたを一番に優先すると決めている」 「あまりわかっていないようですが」  振り返らぬまま声をかけてきたデイルが小さく息をついた。  なぜ呆れられるのかと疑問に思いかけ、ユーリはようやく気づく。 (デイルのためならどんなことでもする、って言う意味になるな)  自分も同じ考えのくせに、と言い返してやりたいところだが、いまは暢気にそんなやり取りをしている場合ではない。  一瞬の間に、デイルの片手で抱えられ、場所を移動していた。  先ほどまでいた場所に、魔力でできた矢が数本刺さっている。役目を終えたそれはサラサラと粒子になり、空に溶け、消えていく。 (魔力を物質化できるほど、器用に扱えるのはデイルくらいだと思っていたけど。さすが叔父上だな) 「ユーリル、その男のお荷物になるのは嫌だろう? 私の傍へおいで」 「ぐっ、確かに僕は二人ほど剣も魔法も秀でていないが、それはできない。デイルが悲しむ真似はできない」 「そうか」  ユーリが誘いを真っ向から断ると、なぜだかミハエルは納得したような相づちを打つ。  訝しく思ったユーリが、隣に立つデイルの様子を確かめようとした瞬間、ユーリへとまっすぐ魔力の槍が飛んできた。  驚き固まるユーリとは違い、冷静にデイルは腰に下げた剣を引き抜き、槍をはじき飛ばす。  瞬時に魔力の剣よりも、剣に魔力をまとわせたほうが良いと判断したのだ。  しかし次々と攻撃が放たれる。すべてユーリに向かって―― (手に入らないなら壊してしまえっていう意味か?)  防戦一方になるデイルへ、ユーリも補助魔法で助力するけれど、ミハエルの攻撃は衰えるどころか威力を増すばかりだった。  途方もない魔力を使っているはずなのに、穏やかな――胡散臭い――笑みを浮かべて、顔色さえも変わらない。 「周囲の魔力を自力へ変換する魔法陣を展開しています」 「そんなことが可能なのかっ?」 「この場所の、せいです」  途切れる様子のない攻撃が続き、デイルが苦々しい顔で舌打ちをする。  だが彼の珍しい仕草に、驚くよりも前に、ユーリは彼の言葉の意味を悟った。  いまいる墓所の土はユーリアの意志が宿った魔力を帯びている。だからこそ各所にある土は、毒が拡がらないよう周囲の魔力を吸収し、蓄えて補っていた。  希少種が多かったのも、やって来る者たちに対する撒き餌ではなく、効能を浄化の助力としていたのだ。 「毒が応用できたら、魔力も応用できる、か。本当に無駄に頭が良くて厄介な人だ」  毒を抑え、なおかつ花が咲き乱れる墓所、全体が魔力溜まりになっている。  ミハエルは土地から魔力を吸い上げているのだ。  魔力欠乏が起こり、土が赤くなった現象をミハエルが利用していた、とわかったけれど、デイルが不利だと状況の理解ができただけだ。 「すぐに真似できるような陣ではないです。すみません」 「デイルが謝ることじゃないだろう! あっちは年の功によるものだ!」  いくらデイルが天才でも、この状況下で読み取ってすぐさま展開させるのは難しい。  というよりどういった魔法陣を発動しているのか、わかっている時点ですごいのだと褒めてやりたいけれど、やはりそれどころではない。  無尽蔵な魔力を確保しているミハエルと、延々とやり合うのはこちらが圧倒的不利だ。 「デイル、来るのか?」 「来ます。ただもう少し時間稼ぎは必要かと」  ユーリが端的に質問すると吉報と状況の悪さが同時に知れる。 「ふぅん。帝国の天才魔法使いの名は、伊達ではないのだね。君がいまの魔法文化を促進させたのは知っている。だけれどね、私も無駄にやり直しているわけではないんだ」  こちらは必死になっているのに、ミハエルはのんびりティータイムをしているみたいな、リラックスした様子だった。  優雅さを見せるのに反して、攻撃は上空から矢が降り注いだり、隆起した地面が刃のように襲いかかってきたり、ユーリたちは休む暇もない。  気づけば、デイルの空けた結界の穴さえ修復されている。 「デイル、僕はいったん引いたほうがいいか?」 「駄目です! 私から離れてはいけません!」 「でも――っ」  ユーリは自身を庇いながらでは、デイルが本領を発揮できないのではないか、と思ったけれど彼に一喝された。  そんなやり取りを見ていたミハエルが初めて表情を変える。  ニィっと口の端を持ち上げて、美しくも恐ろしい笑みを浮かべた。――途端。  ほんのわずかな隙をつかれ、ユーリは足元から這ってきた魔力の蔓に足を取られる。  ぐんと足首を引っ張られ、ひっくり返るユーリの体。  とっさにデイルへ手を伸ばせば、彼の背後で地面が身の丈を超えるほど隆起し、鋭利な槍へと姿を変える。 「ディーっ!」  目の前で愛おしい人を二度も、為す術もなく失ったデイルは、どれほどの絶望を感じたのか。考えたユーリは想像だけでも恐ろしかった。  だが恐ろしいなどというのは生ぬるい。  いま目の前で心臓を背後から貫かれた彼の姿を見て、発狂しそうなほどの喪失感を覚え、喉が切れそうなほどの叫び声を上げた。 「……ディー、ディーっ! 嫌だ、いやだ」  足首を拘束されたままでは、地面を這いずってもユーリは彼に近づけない。  うつ伏せで倒れたデイルはピクリとも動かない。  地面を引っ掻くユーリの爪は欠け、剥がれ落ちそうになる。 「ユーリル、君は彼がいると彼を優先してしまうんだろう? だったらいなくなればいい。簡単な話だ」  ゆっくりと近づいてきたミハエルがユーリを見下ろし、慈愛を含んだような優しい笑みを浮かべた。まるで慈悲を与えたと言わんばかりの表情だ。 「――さない。許さない、許さないっ! あなたの魂を粉々にしても足りない」 「君はそんな表情もできたんだね。怒りに染まった顔も綺麗だよ」 「僕から――『わたしからディーを奪う人は許さない!』」 「ああ、美しい色だ」  ユーリは自分の感情に重なる、もう一つの感情を感じ取ったが、抵抗することなく身を任せた。  己とまったく同じ、怒りの感情を抱くのは魂に残る〝ユーリア〟の心だからだ。  気づいたミハエルは瞳を輝かせて喜色を浮かべる。  自身から溢れた魔力の圧で、なびいたユーリの髪は鮮やかな緋色だった。 「これが君の本当の色なんだね」 「近寄るな!」  夢見心地といった風情のミハエルが足を一歩踏み出せば、威嚇するようにユーリは魔力の火花を散らす。それと同時に、足首にまとわりついていた蔦もはじけ飛んだ。  ミハエルは暢気に目を瞬かせ驚いているが、ユーリはすぐさまデイルに駆け寄る。 「ディー、ディーっ、いま傷を塞ぐから」  デイルの傍へユーリが駆け寄ると、地面に血が染み込み始めていた。瀕死でありながら血溜まりになっていないのは、まだ貫通した槍が刺さったままだからだろう。  いつミハエルが魔法を解いてしまうかわからない。  ユーリは慎重に土と岩で成形された槍を分解して、デイルの傷を塞いでいく。  元々ユーリは回復魔法に秀でていなかったが、おそらくユーリアに知識がある。  とは言ってもデイルの心臓は止まっている可能性が高い。  血の気のない真っ白な彼の顔を見たユーリの瞳からは、ボロボロと涙がこぼれてきた。

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