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第36話 約束を再び、いま
翌朝、早い時間に二人で湯浴みをしていたら、デイルが侍女長に怒られた。
本日は建国祭の翌日なので、特別な予定はないものの、家族で食事の約束をしていたのだ。
用意していた衣装では首の痕が隠しきれないと、次からはもっと気をつけるように、とお叱りを受けている。
「許したのは僕なのだから、そんなにデイルを怒らないでくれ」
化粧台の前で侍女に髪を梳いてもらっていたユーリは、侍女長に怒られ、小さくなっているデイルを可哀想に思い、声をかける。
元はと言えば、加減しようとしているデイルを焚きつけたユーリの責任だ。
「でしたらユーリルさま、あなたもあなたです! ベッドがあれほど乱れるまで! サイラスさまは騎士ですよ。加減のできない男だったら大変なことになっております!」
「う、うん」
そのあとも「お二人ともお若いから仕方ありませんけども」と言いつつ、しばらく続いた。
幼い頃から傍におり、エリーサとも年齢が近い彼女なので、ユーリやデイルは息子たちといった気持ちなのだろう。
長いデイルの不在時も心配をかけたため、ユーリは黙って説教を聞いた。
「仕方ありません。今日は髪で隠しましょう。あとは白粉をはたいて。さあ、サイラスさまも早くお着替えを」
「あ、はい」
「どこへ行かれるんですか? 衣装はご用意してあります」
「え? 私の分も?」
部屋を出て行こうとしたデイルは、侍女長にすかさず止められ、戸惑いと驚きの表情を浮かべた。
ユーリもさすがに予想外だったので、小さく首を傾げる。
「本日の朝食の席にはサイラスさまも、とのことです」
「朝からシリウス兄上の小言だろうか?」
昨日のお茶会。ユーリたちが立ち去ったあと、どのように対処したのか、まだユーリは知らない。
いい大人が泣き出して退出したのは、シリウスの耳にも入っているはずだ。
ユーリは見た目が女性的で儚いため、醜聞になっていないだろうけれど。
リディアのお茶会を台無しにしたと、怒られるのだろうか。いくら弟に激甘なシリウス相手でもいささか心配になる。
「まあ、いいか。仕方がない。それよりデイルの衣装は?」
いま悩んでもどうしようもないと割り切って、ユーリは着替えるデイルへ視線を向けた。
朝食の席なのでかっちりした衣装ではない。
シャツにベスト、丈の長めのジャケットと簡素な組み合わせ。
ユーリと似たような組み合わせだ。
だけれどベストが空色であったり、ジャケットが落ち着きのある銀色で、緋色の刺繍がしてあったり。
誰が見ても随所にユーリの色、とわかる差し色が入っていた。
ちなみにユーリのほうは、朝食の席でデイルの黒を大々的に取り入れられないため、衣装の色は白が基調。
ボタンやカフスの宝石にさりげなく黒色や綺麗なピンクが使われている。
「デイル、とても素敵だ。並んだら婚姻式のようじゃないか?」
「ユ、ユーリさま、からかわないでください」
長いデイルの足は黒のズボンと革靴でまとめられている。非常に長身が映える素晴らしい出来だ。
いつもの騎士服もよく似合うが、もっとこういった衣装も着て見せてほしいと、ユーリは満足げに笑った。
「はあ、それにしても陛下であれば、ユーリさまを叱るなんてことはなさらないと思いますが。なぜ、家族の席に私が呼ばれるのでしょう」
「なるほど、昨夜のことがもうバレているのか?」
「……え? では叱られるのは私では?」
「これは母上か、義姉上からか?」
慌てた様子のデイルをよそに、ユーリは侍女長に問いかける。そうすると彼女は深く頷き返してきて「お二人からです」と答えた。
「大丈夫だ、ディー。二人が味方なら、さほど怒られない」
「ですが」
「ディーはなぜそんなに自信がないんだ? あなたは侯爵家の人間だし、いまではれっきとした子爵だぞ。もっと堂々とするといい」
「どれも与えられたものばかりです」
(以前はかなり毅然とした印象だったけれど。髪色が元に戻ったら前の性格が顔を見せ始めたな。確かに魔法の才で侯爵家に入って、いまは兄上から賜った爵位だ)
しかも現在は平民と変わらない魔力量。自信をなくすなというのが無理かもしれない。
だとしても積み重ねてきた実績が消えたわけではない。
「ディー、あなたはこの国の魔法文化の発展に貢献した人だ。本来であれば子爵ではなく、伯爵位をもらってもおかしくないんだぞ。公にしたがらないから、仕方なく、なんだからな!」
「……はい。ユーリさまのお言葉に恥じない振る舞いができるよう、努めます」
「堅い! いいか、ディー。今日呼ばれたのは家族として迎えるって意味だ。そのように仰々しく構えるな。余計にからかわれるぞ」
「家族……」
驚きで目を瞬かせるデイルにユーリは額を抑えた。
槍玉に挙げるため、呼ばれるとでも思っていたのか。そんなわけがないとユーリでもわかるというのに。
「そうだな。僕たちが婚姻を結べる日も遠くないかもしれない。そうしたらディーとの約束が果たせそうだ。いまも半分は叶っている気はするけれど。公爵領と子爵領は飛び石になっているだろう? きっと真ん中の領土は僕たちにくれるつもりのはず。三つ併せたらなかなか大きな領地になる」
「公国に、なさるおつもりですか? ですがのちが大変です。私は、ユーリさまがいらっしゃる場所であればどこでも」
どうやらデイル自身も約束を覚えていたようだ。
――あなたの築く国の未来をともに見届けたい。
それがたった一つのデイルの望み。未来では果たせなかったけれど、いまであれば叶えられる。ユーリはそう思ったのだが、彼はどこまでも健気だった。
この約束の意味は二つある。
額面どおり、ユーリの国を見守りたいという意味。
そしてもう一つは、たとえ結ばれなくとも、心だけは永劫ともにあるという意味だ。
「じゃあ、僕たちの領地が未来まで健やかに繁栄するよう、ともに歩もう」
すっとユーリが右手を差し出せば、デイルは嬉しそうに目を細めた。
「はい。未来をともに」
ユーリの右手を恭しく持ち上げ、デイルは爪の先にそっと口づけを落とす。
まるで婚姻の宣誓のようで、その場にいた侍女の一人が思わずと言った様子で手を叩いた。
やけに音が響き、慌てて彼女は手を引っ込めたが、続けて侍女長が拍手をしたので、室内はささやかながら祝福の雰囲気となる。
「さあ、ユーリルさま、サイラスさま。陛下たちがお待ちですよ」
「よし、ディー、出陣だ!」
「えっ? 先ほどは構えるなとユーリさまが」
「僕と兄上との戦いだ」
颯爽とジャケットを翻し、立ち上がったユーリはデイルの手をぎゅっと掴んだ。
足早に歩き出すと、彼は慌ててあとをついてきた。
「いってらっしゃいませ」
揃った従者たちの声が二人を見送る。
この日、エルバルト家の朝食時間はなかなかに騒がしい一幕となった。
『ユーリル・エルバルト・フィズネス公爵――長年の想いを貫き、ついにエディオン伯爵と婚姻を結ぶ』
そんな見出しの号外が配られたのはそれから二年後のことだった。
同時にユディル・タム、という名の少年を二人は養子として公爵家へ迎え入れる。
見事な緋色の髪と赤い瞳を持ったユディルは、その姿から初代皇帝の再来かと言われるほどであった。
たったそれだけでも、帝国諸国では大きな話題だというのに、長い間、想像上の生き物とされていた緋色のドラゴン――の子供――が常にユディルの傍にいた。
のちにユディルはフィズネス公爵領を受け継ぎ、土地を治めるが――時代を経たウォンオール帝国はこれまでにも増して、大陸の歴史に残る名の知れた大国となっていった。
――これは、余談ではあるが、長年改訂されてきたドラゴンの絵本。
そこに描かれるドラゴンの友、として最期に残されたのは初代皇帝ではない。
〝緋色の美しい髪と空色の瞳〟をした青年と記されている。
end
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