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1-11 白群の第二公子

「や、······やった、か?」  ぜぇぜぇと肩で息をしながら、頬を流れる汗を拭って竜虎(りゅうこ)は辺りを見回す。  静寂を取り戻したのを確認し、ようやくほっと息を付いたその時。陥没したままのその大地から、ぼこぼこと連続して、土が盛り上がるような奇妙な音が鳴り響いた。  次々に現れる無数の手は、まるで地面いっぱいに咲いた曼珠沙華のように、赤い月に向かって蠢きながらどんどん伸びていく。  その数は、もはや数えきれない。 「嘘だろ······あれが地面から全部出てきたら、俺たちだけでは本当にどうにもならないぞ!」  全身から力が抜けてしまったのか、がくんと膝から崩れ落ちる。  そんな竜虎の右腕を掴んで、無明(むみょう)が立たせようと引っ張った。 「まるで、無理やりなにかに呼び起されているみたいだ、」  這い出てこようとしている殭屍(きょうし)の群れだが、完全に姿を現すまでには時間がかかりそうだ。 (なにか、原因となるものがあるはず、)  無明は竜虎の腕を放すと、もう一度笛を口元に運んだ。  あの荒々しい音色とは真逆の、柔らかい優しい音色が奏でられると、ふわりと無明の身体が宙に浮き、殭屍(きょうし)の群れの中心へと昇っていく。  高い位置から見下ろし、笛を吹き続けながら眼を凝らす。笛の音に合わせてぼんやりと、赤い文字で描かれた広範囲の陣が、赤黒い光を湛えて薄っすらと浮かび上がったのだ。 (こんな陣、見たことがない。陰の気が強くて禍々しい······これって、強い陰を招く陣なんじゃ····)  この陣が下にある限り、この地に眠る死体が無限に湧いて出てくる。これでは助けを待つどころか、霊力が尽きて終わりだ。 「真下に大きな陣がある! これを破らないと、いつまでも湧いて出てくるよっ」  声の方を見上げ、竜虎はくそっと膝に力を込めて立ち上がる。霊剣を握り直し、落ち着くために大きく息を吐いた。  冷静にならないと。  ここで自分たちがやられれば、この先にある都が殭屍(きょうし)で埋め尽くされてしまう。助けは望めない。離れることも赦されない。ならば。 「わかっている! 陣があるが術士がいないということは、どこかに媒介があるはず。それを無効化できれば、勝機はあるってことだろ!」  笛を奏でながら、その声に無明は小さく頷く。 (そのためには、この陣の形を把握しないと、)  宙に浮き続けるのはかなりの霊力が必要だった。今の状態ではあまり長くは持たないだろう。  奴らを押さえつけながら媒介を探す。今の自分には容易なことではなかった。  眼を閉じ、あの荒々しい音色を再び奏でる。土から這い出てこようとしている殭屍(きょうし)の群れは、またあの圧力で地面に戻される。  その強さに大地が震え、地震でも起こっているかのように地響きが鳴る。 (これは······六角形の陣?)  先ほどよりも、さらにくっきりと浮かび上がった赤い陣は六角形で、それぞれ線が重なる場所に、黒い霧がかった部分が見えた。 (陣が下からもはっきり見える······よしっ)  まずは近い場所から取り掛かる。霊剣をしまい、右手で印を結び、素早く片膝を付いて、地面に強く両手を付く。  途端に、赤い陣に纏わりつく黒い霧が、白い光に包まれてすぅっと消えていった。 「よし、あと五つ!」  片手を付いて反動をつけ、勢いよく立ち上がる。上で鳴り響く笛と、下で蠢く殭屍(きょうし)の身体半分を交互に見ながら、次の場所へと駆ける。  あと四つ、三つ、二つ、と次々に媒体を無効化していく竜虎だったが、最後の一つに取り掛かろうとしたその時、笛の音が突然ふつりと切れた。  はっと見上げたその時、赤い月がまず眼に入った。その次に、大きな月に照らされ、ぐらりとその華奢な身体が力なく傾ぐ姿が見えた。  黒い衣は月のせいか赤黒く染まっており、傾いだ身体が頭を下して、ゆっくりと無数の殭屍(きょうし)たちの待つ地面へと近づいていく。  まずい! と、考えるより先に、再び自由を取り戻した殭屍(きょうし)の群れに向かって、地面を強く蹴ろうとしたその時————。  白い光を湛えた大きな陣が闇夜に咲き、この辺り一帯を照らすように展開された。  その瞬間、活発に動き出していた殭屍(きょうし)の群れが、再び強い霊力で圧し潰されると同時に、ぼろぼろと崩れて土に還っていく。  降り注ぐ光は神々しく、まるで天女でも降りてきそうな光景だった。  突然の出来事に呆然として立ち尽くす竜虎だったが、次々に上がる獣のように耳障りな殭屍(きょうし)たちの悲鳴で、すぐさま現実に戻される。 「無明!」  辺りを見回し、はっと何かを見つける。丁度、陣を挟んで反対側。崩れていく殭屍(きょうし)の群れの先に、人影があった。 「無明、 無事かっ!?」  大声で叫ぶ。あの人影がそうに違いないと確信する。しかし、眼が慣れてその姿が現れた時、竜虎は色んな意味で驚愕した。  そこには、薄い青色の衣を纏った青年に大事に抱きかかえられた、無明の姿があった。  その薄青の衣が意味するのは、金虎(きんこ)の一族ではなく、碧水(へきすい)白群(びゃくぐん)。  そして竜虎はその人物を知っていた。 (········白笶(びゃくや)公子?)  腰まである長い髪を、藍色の髪紐で高い位置で結んでいる背の高い細身の青年が、ゆっくりとこちらをふり向いた。  興味がないとでもいうように、無明を抱きかかえたまま、赤い陣を冷たい瞳で見下ろしている。  上空に展開されている白い陣は、今もなお殭屍(きょうし)たちを次々に塵にしていくが、いつまでも生まれ出るそれらに気付いたようだ。 「白笶公子、この赤い陣を無効化しない限り、やつらは召喚され続ける。あとひとつで終わるので、それまでどうか力を貸して欲しい」  声の届く場所まで駆け寄って、簡潔に話す。非常事態なので言いながら軽く拱手礼の仕草を見せ、相手は手が塞がっているため、代わりに会釈で快諾の意を表す。 「········かまわない」  低い声が返ってくる。眉目秀麗な青年は、口数が少なく、あまり交流はなかったが、顔見知りではあった。毎年この時期にだけ、この地に訪れる。  まさかこんな所で出くわすとは、夢にも思わなかったが。  竜虎が最後の媒介を無効化し、赤い陣がゆっくりとあの禍々しい光を失っていく。  同時に宙に展開されていた白い陣が、地面にどんどん近づいてきて、しまいにはすべてを地面に押し戻し、役目を終えたとばかりに消えてしまった。

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