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3-6 声の主

 宴という名の歓迎会が終わり、別邸に戻ると、疲れていたのか早々に三人は寝床についた。夜も更けた頃、ふと無明(むみょう)は目を覚ます。  寝息がふたつ聞こえる中、身体を起こし、何の気なく水浅葱色の薄い衣を羽織って別邸の外に出た。  渡り廊下には屋根があり、下を眺めれば、水の上に浮かんだ美しい白い蓮の花たちが可憐さを感じさせる。欄干に寄りかかって屋根の隙間から見える月を見上げれば、澄んだ星空が一面に広がっていた。 「······呼んでる、の? 俺を······?」  なぜ? と無明は目を細める。 「どうして、俺を、······俺は、神子(みこ)じゃない」  都に入ってから時折聞こえてくる声があった。優しい青年のような声音。その声を無明は一度だけ聞いたことがあった。 (奉納舞の後に、聞こえてきた声のひとつ)  待っている、と言っていた。あの声の主が、ずっと頭の中で話しかけてくるのだ。 「眠れないのか?」  後ろから突然かけられた声に、無明は思わず振り向いた。その低い声でそこに立っているだろう者は解っていたが、頭の中の声に集中していたせいで余計に驚いてしまったのだ。 「······白笶(びゃくや)も、こんな時間にどうしたの?」 「怪異を鎮めて戻って来たところだ」  帰って来たばかりだというのに、留守にしていた分の溜まっていた依頼を片付けてきたらしい。少しも衣が汚れていないが、公子自らが出向くとなれば強い怪異だったはず。 「声が聞こえて······ずっと、聞こえてて。でも、俺は応えてあげられないんだ」  横に並んだ白笶を見上げれば、その不思議な色合いの瞳と目が合った。そういえば、白漣(はくれん)とも白冰(はくひょう)とも違う。灰色がかったその青い双眸は、懐かしさを覚える。 「応えなくともいい」  ひと言、白笶はゆっくりと呟く。え、と無明は思ってもいなかった答えに目を丸くする。 「君が、応えたくなかったら応えなければいい。応えようと思ったなったらば、応えればいい」 「そうなの? ······そっか、そうだね」  どんな声で、何を言っていたかなど聞かずに、白笶は真っすぐにこちらを見つめてそう言った。ふふっとなんだか可笑しくなって無明は笑ってしまう。自分らしくない、と。 「ありがとう、白笶」 「なにかあればいつでも言ってくれ。話を聞く」  うん、と頷き無明は太陽のように明るい満面の笑みを浮かべた。それを見て白笶は月のように仄かで、優しい光のような笑みを浮かべる。  ふたりは肩を並べながら、しばらく碧水(へきすい)についての他愛のない話をし、それからそれぞれの部屋に戻っていった。 『神子、我らの主。どうか、私と契約を』  その声の主はこの地を守護する水の聖獣、玄武。名を太陰(たいいん)。かつて神子を主とし、この地を守っていた者のひとり。しかし、今となっては自らは地を守護できず、宝玉を通して力を貸しているにすぎない。 『————どうか、私の許へ』  それは、まるで救いを求めるような、声。けれどもそれに応える資格はないと、無明は首を振る。その声は呼び続ける。  主が己の使命に気付き、再び応えてくれるその時まで。

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