1 / 6

第1話

「……やべぇ、ダメだ。身体が動かねえ……」 耳元で朝起きる時間を告げるスマホを取り、アラームを解除する。表示されている時間は七時。二度寝したら確実に遅刻する。鉛のように重たい身体をなんとか起こしてベッドから抜け出し、リビングのある一階へとゆっくり降りていった。 テーブルには、ラップをかけてキレイに並んだ朝食と、エプロンを脱いで慌ただしく準備している母親の姿。 「尊人(みこと)、おはよう!ご飯出来てるよ。ごめんね、最近忙しくて色々家のこと出来なくてさ」 うちは共働きで、小さい頃からずっと慌ただしい。父親は俺より早く起きて俺が寝る頃帰って来るし、母親も繁忙期になると顔を合わせないのが普通だった。 「……おはよう母さん」  ぼんやりする頭でなんとか絞り出すが、うまく喋れているのかもよく分からない。母がこちらへ振り返り目が合うと、血相を変えて駆け寄ってきた。 「どうしたの⁉ そんな顔色真っ青にして!」 「う、ん……なんだろうな……最近ちょっと、調子悪くて……」 「尊人⁉ どうしたの尊人! 尊人っ‼」  —ああ、どうしてこんなことになったんだっけ……。    松岡尊人(まつおかみこと)、十四歳。四月に中学二年生に進級したばかりだった。 最初に異変を感じたのは、四月の中頃。なんだか妙に頭がぼうっとするようになったのだ。 二時間目の数学の授業、何を言っているのかまったく理解出来ないまま時間だけが過ぎていくと、耳元で教師の声が響いた。 「……おい松岡、松岡」 「え、あ、はい」 「ここの答えは?」 「……すいません、聞いてませんでした」 「顔色悪いぞ。具合が良くないなら保健室に行きなさい」 「はい……」  進級したばっかりでやっちまったなぁ、なんて思いながら、重たい足どりで保健室に向かう。保健の先生からは「環境が変わったストレスもあると思うわ。無理しないようにね」と言われ、その日は早退することになった。でも俺の症状は一向に良くならず、悪化の一途を辿るばかり。  鏡を見る度に恐ろしくなった。自分の身体が引くほど薄くなり、頬がこけ、顔色はゾンビのよう。身体に異変が起こっているのは明らかだったし、すぐ病院に行くべきだったんだろう。でもうちの両親は共働きで、小学校を卒業するまで面倒を見てくれていた祖父母も高齢だ。俺が中学に上がってやっと大人たちが自由になったのに、もう一度俺のために時間を割いて欲しいとはとても言い出せなかったのだ。  —その結果が、これである。母親の前でぶっ倒れて以降の記憶はない。目が覚めた時、俺の視界に広がっていたのは真っ白な天井。両腕に点滴が刺された状態で、ああ、病院に運ばれたんだと理解した。すると、病室の扉が開き、入ってきた看護師と目が合うと、驚いた様子でこちらへ駆け寄ってきた。 「松岡さん! 気分はどうですか?」 「……あん……まり……」 「今、先生とお母さんを呼んできても大丈夫ですか? もし難しければもう一度休んでも大丈夫です」  看護師さんに言われ、ぼうっとする頭で考える。きっと母さんは仕事を休まなくちゃならなくなっただろう。時計は十時を指している。今片付けば、お昼から出社出来るかも知れない。 「お願いします」  声を振り絞りお願いすると、看護師さんは少し苦い顔をして病室を後にする。それから程なくして、病室に母さんが飛び込んで来た。 「尊人!」 「ごめん母さん、ビックリさせて。仕事も休まなくちゃいけなくなっただろうし……」 「そんなことはどうでもいい! 体調悪かったのに気付いてあげられなくてごめんなさい……」  別に隠してたのは俺なんだから、母さんが謝らなくてもいいのにな。すると、白衣を着た男性が歩いてくる。おそらく病院の先生なんだろう。先生の表情からは、深刻な何かを感じた。 「……先生、俺死ぬの?」  俺の問いかけに、先生は一瞬黙り込む。その後、ゆっくりと口を開いた。 「死にはしないよ。ただ、今から話すことをよく聞いて欲しい」  きっとこれが、俺への死刑宣告になるという予感を感じながら、早鐘を打つ自分の心臓を握りしめる。先生は静かに、重たく、俺の病名を口にした。 「君は、世界でも非常に珍しい『ヴァンパイア症候群(シンドローム)』を発症してる」  ヴァンパイア症候群。確かに一度も聞いたことがない病気だった。母さんは震える手で俺の手を握りしめる。その震えから、きっと良くない病気ということは伝わった。先生は丸イスに腰掛けて、じっと俺の瞳を見つめながらゆっくりと説明を続ける。 「この病気が発見されたのは、二ヶ月前のことで、世界各地で確認された。と言っても数人程度だけどね…。尊人くんは、日本で三番目の発症者だよ」 「……その、ヴァンパイア症候群にかかって、俺の身体はどうなったの……?」 「正直、まだ何も分からないんだ。分かっていることと言えば、この病気を発症すると通常の栄養が吸収出来なくなる。つまり食事を取っていてもどんどん栄養失調になってしまうんだ。君が普段通り生活していたのに、異常なほど痩せていったのはそれが原因だよ」 「……でも今、点滴……」  俺はふと、点滴の方に目をやる。それを見て、なんとなく病名の由来を察した。管を伝って俺の腕へ流れ込んでいたのは真っ赤な液体……「血液」だったのだ。 「ヴァンパイア症候群を発症した人間は重度の栄養失調に陥るんだ。そして点滴をしても改善されず、試しに輸血を施したところ、栄養状態がみるみる改善されていったんだよ。結果として、この奇病を発症した人間は、人間の体液から栄養を吸収する身体につくり変わるということが分かった」 「……人間の……体液?」 「そう。研究を続けた結果、効率良く栄養を摂取出来る体液が血液と判明したから、医療機関と政府はこの奇病を『ヴァンパイア症候群』と名付けたんだよ」  なんだかドラマや映画の話のようで、ピンと来てはいなかった。でも、一つ分かったことがある。 「……先生……俺、吸血鬼になっちゃったってこと……?」 「尊人……っ」  俺がそうつぶやくと、母さんは俺を強く抱きしめた。痩せ細った身体では受け止めきれない強さに、俺は思わず「母さん、折れちゃうよ」と言ったが、母さんが離れることはしなかった。先生はその様子を見ながら、苦しそうに話を続ける。 「吸血鬼なんかじゃない。そう思わせてしまう名称になってしまっていることは申し訳ないけれど……」 「でも俺、もう普通のご飯じゃ生きていけないんでしょ……? これからずっと、病院で生活するの?」 「そんなことにはならない。でも君は今、重度の栄養失調に陥っている。まずは輸血で健康状態を取り戻すことが第一だからしばらく入院することになるけど……状態が回復して退院の目処が立ったら今後について考えよう。一日にどれくらい輸血が必要なのかは人によって違うからね。尊人くんは日本で三番目の患者だけれど、世界で確認された患者は現時点で二十人いるんだ。そして退院後には普通の生活を送っている人もいる」 「え、でもどうやって……?」 「病院に定期的に輸血に来ること。あとは血液パックを処方して経口摂取をするんだ」  経口摂取、それはつまり口から直接血を飲むということになる。なるほど、それは確かに吸血鬼という名前がついても仕方がない。冷静な自分がそう囁く。こうやって頭で理解出来ていたとしても、それが出来るかと聞かれたら答えられなかった。その様子を見て、先生が僕の肩に優しく手を置く。 「……最初は無理をしなくていい。でも、身体が作り変わるということは、そういうことなんだ。そうするしか、ないんだ」  ゆっくり、病気と向き合っていこう。先生はそう言った。先生の言葉の意味を知るのは、もう少し後になる。  俺は毎日点滴を続けたおかげで、二日程で立って歩けるようになった。そして今朝の健康チェックが終了すると、看護師さんから次のリハビリステップへ進むことを告げられた。 「これが、経口摂取用の血液パックです」  そう言って手渡されたのは、真っ赤な液体が入った袋。これ、グロ苦手なヤツが見たら卒倒するんじゃないか……? なんて思いながら血液パックを受け取った時、頭がグラリと揺れる感覚がした。 「……っ⁉」  鼻先をかすめる血液の香りに、喉の奥が熱くなるような感覚が走り、思わず顔をしかめる。これは血が怖くて起こした貧血なんかじゃない。なんだ、なんだ、なんなんだこれは。 「は……あ、うぅ……っ」  血液パックを床に落とし、身体を丸めてベッドに倒れ込む。心臓の鼓動が早くなり、今までに感じたことのない高揚感に、恐ろしさを覚えていた。口いっぱいに広がる唾液が気持ち悪い。うずくまって動かない俺の背中を看護師さんは優しくさすり、血液パックを拾って俺の手に握らせてくれる。 「……ヴァンパイア症候群は、体液を見ると異常に興奮を覚えるようになるのも、症状の一つだと言われています。空腹状態が強いほど、その症状は顕著に表れるそうです」 「な……なんで……?」 「恐らく、それしか栄養を摂る手段がないので、見逃がさないように身体が本能的に叫んでいるのではないかとも言われていますが、実際にはまだなんとも……」  看護師さんは、血液パックの先を開き、俺の口元へとゆっくり運ぶ。その光景がゆっくりと、スローモーションのように目に焼き付いて離れなかった。 「さあ、飲んでみて」  いやだ、血なんて飲みたくない。そんなのもう、人間じゃない。先ほどまで俺の頭を支配していた理性的な言葉たちは、むせかえる血液の香りの前に吹き飛んだ。 「あ……ふ……んぐっ」  気付いた時には吸い口を加え、ゆっくりと血液を吸い上げる。口いっぱいにため込んで、ゴクリと喉の奥へ流し込んだ。 「……どうですか?」 「……です……っ」 「え?」 「おい……しい、です……っ」  ボタボタと、床に小さなシミが出来る。ああ、もうダメだ。輸血の時はまだ、俺は病気なんだという気持ちが強かった。でも、血を飲んだ時に分かってしまった。俺はもう戻れない。とんでもないバケモノになってしまったんだ。だって今飲み込んだ血液は、俺が今まで口にしてきた物とは比べものにならないくらい「美味しかった」のだ。嗚咽を漏らして泣き続ける俺を、看護師さんがそっと抱き寄せる。 「あなた以外の患者も、初めて血を飲んだ時泣き崩れていましたよ」 「……その人たちは……?」 「守秘義務なので申し上げることは出来ませんが、今は退院して普通に生活しています。いつか体制が整ったら会うことも出来るかも知れません」 「……そう……ですか」  ぐちゃぐちゃの思考の中で、俺はそれしか応えることが出来なかった。だってこんなこと、到底受け入れられるはずもないのに、他の人のことを気にしている余裕なんて一ミリもなかったのだから。  それから母親は仕事に行く前にお見舞いに来ては、あれこれ手渡してくれる。食べ物に意味がないので別の物を選んでくれていた。 「はい!今日は本にしたよ。おばあちゃんが選んでくれた物もあるんだけどね。尊人は本が好きだもんね。でもすぐ読み終わっちゃうかな」  不安そうに本を重ねていく母親を見て、思わず笑ってしまう。両親は俺が物心つく前からずっと多忙で、幼少期の俺を可愛がってくれていたのは祖父母だった。そして祖父母は俺の頭が良くなるようにと、たくさんの本を買い与えてくれた。頭が良くなったかは別として、本好きに成長した俺にとって、それは何より嬉しい差し入れだった。 「嬉しいよ、ありがとうね」  俺がそう言えば、母さんはやっと安心したような表情を浮かべる。上から一冊本を手に取りパラパラとページをめくっていくと、本の隙間から一枚、紙が落ちてくる。それは俺の体調を気遣った祖母からの手紙だった。 「……ばあちゃんもじいちゃんも、病気を知ったら、俺のこと嫌いになるのかな」 「尊人……そんなこと言わないで」 「だって父さん、一度も見舞いに来てくれないもんね」 「それは、仕事が……」 「いいよ別に。嘘言わなくて。病気のこと、父さんに言ったんでしょ?」  母さんはそのまま押し黙る。そりゃ子どもの入院理由を身内である父親に黙っておくわけにはいかないだろうから。  この病院では、インターネットのフリースペースがある。そこでは入院患者用にパソコンが何台か置いてあって、俺でも使うことが出来た。そして調べたのは、自分の病気について。先生が教えてくれたこと以外にも様々なことが書いてあった。 「……Vロームって、言うんだろ。それで、俺以外にも、どんどん患者が増えてるって」 「尊人……」 「先生は言わなかったけど、血液以外にも栄養になるって。唾液とか、汗とか、せ、精液とか……っ」 「尊人!」  大きな声で、俺を怒鳴りつける。母さんに怒鳴られるなんて、いつ以来だろう。でも止められなかった。 「気持ち悪いって、人間じゃないって、掲示板にいっぱい書いてあった……っ!」 「そんなもの読んではダメ。そんなことない。あなたは今こうして立派に生きてるのよ」 「……Vロームは、急に痩せるから、すぐ分かるって。ねえ、昨日、Vロームの人が乱暴されて自殺したってニュースに出てたよ」  俺の言葉に、母さんはついに言葉を失った。それは外国のニュースだったけれど、被害者は若い女性で、Vロームなら、ありがたく栄養をもらえよと、男性数人に囲まれ、性暴力の被害に遭ったという。そしてその女性は、搬送先の病院でこう言ったのだ。 『死ぬほど頭がスッキリした。お腹がいっぱいになる感覚があった。もう私は人じゃない』そうして、病院の屋上から飛び降り自殺した。このニュースは新聞の一面にもなって、今もワイドショーを騒がせ続けている。 「ねえ、母さん……っお……俺っどうしたらいいの……っ」  母さんは、ただ無言で俺を抱きしめた。何を言ってもどうにもならないことを、母さんはよく分かっているんだ。その事実が、俺の心臓を握りつぶしているとも知らずに。    入院してから一週間。栄養失調が改善されたため、退院の許可が出た。週に二回輸血に通い、それ以外は一日に決められた量の血液を摂取することが義務づけられる。何か少しでも体調不良を感じたらすぐ連絡するよう念を押され、俺は退院することになった。少ない荷物をまとめて病室を出ようとすると、そこにはたくさんの人が立っていて、何事かと目を見開く。先に口を開いたのは母だった。 「一体何事ですか?」  警戒を露わにする母に対し、正面に立つ男性が胸元から手帳のようなものを取り出し、母に見せる。それはドラマでしか見たことの無い、警察手帳だった。 「警察です。今病院の前に、Vローム患者が退院すると聞きつけたマスコミが押し寄せて います。非常に危険なので、裏口につけた車でお送りします。こちらへ。顔も見えないように布を被っていきましょう。気分の良いものではないでしょうが、我慢してください」  考えることも質問することも出来ないまま、有無を言わさず布を覆い被させられる。母さんは力強く手を握り、ぴったり離れず歩いてくれた。前が見えないので今どこを歩いているのかは分からないが、外へ出た瞬間、すさまじい量のフラッシュが押し寄せてきた。そして飛び交う質問と、聞いたこともない怒声にも近い声。 「あなたがVローム患者なんですか⁉」 「心情をお聞かせください!」 「その状態になってまでこれからどうやって生活していくんですか⁉」 「年齢や性別を教えてください‼ お願いします‼」  俺は今どこにいて、何を聞かれているのか、動悸が速まり息苦しくなる。恐ろしくなって無意識にシーツから顔を出す。その瞬間、目の前に広がる無数の人、カメラ、シャッター。 「あ、あ……っ」 「ダメ‼」  母親が大声で叫び、俺の耳を塞ぎ、布を被せなおして車へと押し込んでいく。 母さんに抱きしめられていても、身体の震えも、呼吸の速さもなかなか収まらない。 「大丈夫、大丈夫。大丈夫だからね」  くり返し、俺の背をさすりながら、何度もそうくり返す母。でも窓ガラスの向こうでは相変わらず大声が飛び交い、みんな俺を暴こうとするバケモノに見えてならなかった。 どれくらい時間が経ったか分からないが、あまりの人の多さに車は走り出せないままでいた。すると、警察官が窓ガラスを開けて大声で「これ以上は公務執行妨害に当たります!」と威嚇する。すると、アクセルを踏み出して車が走り出した。窓の外を見ていない俺には、どうやってあの大量の人間を退かしたのかは分からない。それでも、やっと少し、心臓の動悸が収まった気がした。そして母親が、身を乗り出して助手席に座る警察官に話しかける。 「このまま自宅へ帰るんですか?」 「いえ。今ここで自宅に戻れば、住所を特定されることになってしまいますので、一度警察署へ向かいます。あれだけマスコミが押しかけてきましたが、Vローム患者の個人情報は一切流出しないように働きかけますので安心してください。もしご不安でしたら今日は自宅に戻らずホテルに宿泊するのもいいでしょう。こちらで手配しますから」 「すいません、ありがとうございます」  母親と警察の会話を遠くに聞きながら、ぎゅっと身体を小さくしてうずくまる。  —ああ、あれが、俺を見る世間の目、俺がこれから生きていかなければならない、差別と、軽蔑と、好奇心。たったの数秒で心臓を滅多刺しにされたような気分になり、涙が溢れた。その涙に気が付いたであろう母親は、特になにを言うわけでもなく、静かに俺の背中をさすり続けてくれた。  その日はホテルに泊まり、朝早くにようやく帰宅する。一週間ぶりに自分の部屋に入り、ベッドへと横たわった。そこから見える窓の外の景色はいつもと何も変わらないはずなのに、何もかもが変わってしまった。その事実が、重く、重くのしかかり、俺は部屋から出ることが出来なくなっていった。  それでも友達は相変わらず心配してくれているのか、定期的に連絡が届くし、自宅に宿題を届けてくれるやつもいた。母さんの話では、俺は盲腸の手術で入院、長期欠席していることになっているらしい。学校にも俺がVロームを発症したことは伝えていないと言っていた。まあ、誰にも言えないだろうし、これからもひた隠しに生きてくことになるんだろう。 『尊人がいないとつまんないよ、早く元気になって』と、画面越しに並ぶ友達たちの声。俺だって本当は会いたい。会って、話したいことがたくさんある。でもそれ以上に怖かった。一度会えば全てが終わってしまうのではないかと。でもこのままずっと不登校でいれば、友達はもちろん、担任だって家に来るだろうし、母さんの仕事にも支障が出る。家に帰ってきて三日、学校を休んで十日目、俺は明日、登校することを決めた。 「……本当に行くの? もっと休んでもいいんだよ?」  玄関で靴を履いていると、背中越しに聞こえる母親の不安そうな声。ぎゅっと靴紐をしめて、母親の方へ振り返った。 「長く休んで解決することでもないし。具合悪くなったらすぐ帰って来るから。それに母さんもここのところ俺のせいでちゃんと働けてないでしょ?」 「今は仕事なんてどうでも……」 「どうでもよくないでしょ。それじゃ、行ってきます」  今日のドアノブは、今まで人生で一番重たく感じた。病院での輸血の日々は、俺の身体を確実に軽くしてくれた。鈍っていた思考もだいぶ動くようになっている。そうしてたどり着いた考えは「俺がVロームだと学校にばれてない」と確認すること。少し早めに登校して、誰も居ない教室で一人教科書を読む。    ――どうか、バレませんように。祈るような気持ちでページを進めていくと、一人、また一人と教室に入ってくる。 みんな「え! 久しぶり‼」「もう大丈夫なの⁉ ていうかライン返事しろよ!」「めっちゃ痩せてんじゃん! 大丈夫?」と、本気で心配する声を掛けてくれた。Vロームだとバレていないのか、それとも知らないフリをしてくれているのかは分からない。でも本音を言えば嬉しかった。このまま誰にもバレずに、元の生活に戻れるかもしれないと。そうであったら、どれだけ幸せなことだろうと、涙が出そうになった。だってそんなことは、ありえないのだから。 朝のホームルームのチャイムが鳴るのと同時に、教室の扉が開く。入ってきたのは担任の先生だった。 「揃ったかー……おっ! 松岡! だいぶ痩せたな、もう大丈夫なのか?」 「はい、ありがとうございます」  それから普通に授業を受け、休み時間も友達と普通に楽しく過ごした。そして、給食の時間を迎える。考えてみれば普通の食事を目の前にするのはかなり久しぶりのことで、妙に緊張した。ただのご飯のはずなのに、まるで食品サンプルでも並んでいるような感覚になる。 「松岡、どーした?」  正面に座っている友達が、小首をかしげてこちらを見つめる。ここで食べないと余計に怪しまれるだろうと思って、一口ご飯を口に入れた。 「……っ」  思わず手で口元を押さえると、隣の席に座る女子が心配そうに声を掛けてくれた。 「ま、松岡くん?どうしたの?」 「……なんでもない。ちょっとトイレ」  大して受け答えもせずに勢いよく立ち上がり、教室を飛び出しトイレに駆け込んだ。そして、口にした少しのご飯を胃液ごと吐き出す。 「はぁ……っうぇ……っ」  味は今までと変わらないはずなのに、身体が食べ物を拒絶しているように感じた。この身体に入れて良いものは、これじゃない。欲しいものは、これじゃないって。 便座にぐったりもたれかかっていると、遠くからしゃべり声が聞こえる。ここにいると見つかってしまうと思い、重たい身体を引きずるようにその場を後にした。保健室に行けばいいんだろうけど、保健の先生はVロームのことを知っているかもしれない。 「どこに、いこう……」  俺は帰宅部だから、校内で行ったことのある場所は限られている。人の居ない場所っていうのがよく分からない。このまま廊下をフラフラ歩いていたら先生に見つかるだろうし、どうしよう。 「……あ、図書室……」  図書委員だったら、そこにいても怪しまれないし、具合が悪くて動けなくなったとか、適当に言えばいい。そんな風に考えていると、視界がグラリと揺れた。 「な……んっっ⁉」  身体を強く引き寄せられ、口元を覆われる。気付いた時には床に尻持ちを付いていて、誰かに腕を引っ張られ、床に突き飛ばされたと理解するのに少し時間が掛かった。そして顔を上げると、目の前には見慣れない顔の男子が三人。足元に目をやると、上履きの色は「緑」……この学校は学年ごとに色が決まっていて、こいつらは後輩の一年生ってことになる。そして、教室のドアを閉めてこちらへ向かってくる男の上履きは「赤」。俺と同級生ということになる。そして、振り返った先に見えたのは…… 「……む、らい?」  隣のクラスの村井。接点はそこまで多くないが、友達の友達くらいの距離感で、顔と名前は一致している。いわゆる陽キャ、一軍の連中だ。俺は比較的地味だし静かな方だけど、こんな風に空き教室に閉じ込められるようなことをされる覚えはない。 村井はしゃがみ込んで俺の顎に手を添える。そしてぐっと自分の方に引き寄せて、不気味な笑みを浮かべながらつぶやいた。 「痩せたよなぁ、お前」 「も、盲腸……だった、から……っ」 「俺もやったことあるよ、でもこんな痩せ方しねーんだよな」  全身に寒気が走る。こいつの、俺をなめ回すような視線、ああ、この視線、知ってる。病院を出た時に感じた、あの視線だ。 「……お前、なにが言いたいんだよ……‼」 「俺の親父さぁ、テレビ局で働いてんだよ。担当が報道なんだけど……ここ最近忙しそうなんだよね。なんでか分かる?」  知らない、知らない。知りたくない。もう何も聞きたくない。でも、俺の両手は一年に押さえられていて動かない。顔は村井に固定されていて、視線を逸らすことすら出来ない。溢れそうになる涙を必死にこらえていると、村井はポケットからスマホを取り出した。そこに映っていたのは、ブレているけど、遠くに映っている、たくさんの人に囲まれた俺の横顔だった。 「親父、Vローム担当になったらしくて、なんか大変そうだよ。この日も退院患者の取材が出来なくて~とか母さんに愚痴ってた。その時見せてくれた写真にさ、お前が映ってたんだよね」 「……人、違いだろ。こんなの、誰かなんて分かんないし」  遠いし、ブレているし、ぼやけている。言い訳はいくらでも出来る。冷静になれ、認めたら終わりだ。湧き上がる恐怖心を必死にかみ殺して村井を睨み付ける。しかし村井は相変わらず飄々とした笑みを浮かべるばかりだった。 「お前がVロームか見分ける方法、俺知ってるよ」  そう言って村井は、手の平を俺の前にかざす。親指の下あたりに、大きな絆創膏が貼られていた。 「昨日部活で転んですりむいたんだけど」 「は、あ……っ」  目の前が、ぐらぐらと揺れる。 鼻をかすめる、充満した血の匂い。 欲しい、欲しい、欲しい……! 今にも理性が吹き飛びそうだったが、村井はすぐにその手を引っ込めて、笑い声をあげた。 「あはは! マジで血が欲しくなるんだ? きもちわるっ」 「……こんなことして、何がしたいんだよ、お前……っ」  振り絞るように村井に言葉を投げると、予想外の言葉が返された。 「Vロームを襲ったヤツの書き込み見て、気になってたんだよな~。海外のやつを翻訳したみたいなヤツで、親父がコピーした資料が置いてあったの読んだんだけど」 「けいじ、ばん……?」  俺もVローム関連の記事は読んでいて、翻訳されているものはなるべく目を通した。でもその掲示板の内容は知らない。俺は被害者の声ばかりを集めていて、加害者側についてあまりよく理解していなかったらしい。そして俺がこれからどういう目に遭うのかも、全く想像出来ていなかった。 「栄養が全部吸収されるから、中出ししても精液出てこないんだって、おもしれーよな」  こいつが何を言っているのか、俺には全く分からない。何一つ分からない。でも、本能的に理解した。俺がこれから、どういう目に遭わされるのかを。村井は不気味な笑みを浮かべ、後輩たちに目配せをする。その視線の動きに、冷や汗が吹き出た。 「本当にそうなるのか試させろよ。別にいいだろ? それで腹一杯になるならさ」  周りの生徒がそれぞれ俺の身体を押さえつける。そして村井は、自分のズボンと下着をおろし、俺の両頬に手を添えた。 「声出すなよ、バレるとだりーから」 「い……いや……っやめ……っ」 「歯ぁ立てんなよ」 「んぶっ……⁉」  顔を引き寄せられたかと思うと、無理矢理口を開かれ、モノが喉の奥まで侵入する。喉の奥を強引にこじ開けるように何度も押しつけられた。 息が苦しい。痛い、怖い、助けて。 喉が塞がれた俺の口から漏れるのは、みっともないあえぎ声のようなもの。 自分のよだれとこいつのモノから出た先走りが混じり、口の端からぐじゅりと液が溢れ、嗚咽が止まらなかった。 どれくらい時間が経ったかは分からないが、村井が俺の頭を抑える力が強くなる。 「あー、そろそろ出そう。全部飲めよ」 「んぶ、うっふぁっ」  頭を固定し直され、喉の奥めがけて白濁が放たれる。 人のモノを咥えたこともなければ、精液を飲んだことなんてもちろんない。ないはずなのに……っ! 俺の表情を見て、村井はゲラゲラと大声をあげて笑い声をあげる。 「あはは!やっぱ美味しく感じるわけ?彼女はくそまずいっつってすぐ吐き出したのに」  心底楽しそうに、新しいオモチャで遊ぶように、今度は俺のズボンと下着を引きずり降ろす。俺は息も絶え絶えで、抵抗する気力すら薄れていた。 「やめ……なにを……」 「だから言ったじゃん。中出ししたらどーなんのか見てぇって」  なんとか、こいつの気を削ぎたい。その想いで、絞り出すように侮蔑の言葉を投げつけた。 「きも……っホモかよお前……っ」 「いや、面白れぇオナホとしか思ってねえけど。人の体液でしか生きられないなんて人間じゃねえじゃん」  その言葉が、深く心臓へ突き刺さる。ああ、そっか、俺、人とも思われてなかったんだ。  目の前にいるこの醜い男の性欲と好奇心のはけ口にしかならない、オモチャ以下の存在。 でも、だからといってその扱いを受け入れるわけもない。未知の恐怖から逃げるため手足をばたつかせて抵抗するが、重度の栄養失調の影響で筋力が落ちた俺の身体は、男3人に抑えられたら勝ち目なんて全くなかった。 「ひ……っ」  尻に、冷たい違和感が走る。たぶん何かを入れられたんだ。気持ち悪い、信じられないほど気持ち悪い。そして次に侵入してきたのは、一本の指だった。 「あっう……や、やだ……ひぎ……っ」  教室に、びちゃびちゃと水音が響く。いやだ、いやだ。信じられない。尻の穴を指でかき回されるなんて、そんなことありえない。 「まあこんなもんでいっか」  穴を好き勝手出入りしていた指が抜かれ、入り口に熱が当たる。その時、これから起こりうることが脳裏によぎり、心臓が凍りついた。 「や……やだ、そんなの入るわけ……っ」 「暴れんなよ」  ずぐり、内臓をえぐられる音がした。それと同時に「かひゅっ」と、喉の奥から空気が漏れる。 痛い、痛い、怖い。 助けて、やめて、いやだ……‼ どれだけ俺がそう叫んでも、腰に打ち付けられる衝撃が止まることはなく、俺を押さえつける必要がないと分かった他の連中の一人が、自分のモノを俺の口の中に突っ込んだ。 「ぶっぐぇ……っ」 「あははっ出すぞ! よかったな、上からも下からも出してもらえんだからさ」 「んぐああ……っぐ、んっっ」  腹と、喉の奥の奥まで、白濁が流し込まれる。もう、自分がどうなっているのか考えるのも疲れて、意識はどんどんと遠のいていく。    尻の穴からモノが引き抜かれたあと、村井は俺の穴を広げて乾いた笑みをこぼした。 「マジで垂れてこねーじゃん、やば」

ともだちにシェアしよう!