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第18話 『僕』という人間
「僕、ですか?」
少し唇が震える。
何で僕を?魔界に行けばって言ったのはナットライム殿下だ。
でもユオ様が、僕はまだ殿下の婚約者だって言ってた。それに僕が王宮や学院から出るには陛下の許可が必要とも。
想定外の出来事の結果、ライラに此処に連れて来られたけど、それがダメだったのかな……。
暫く自分の考えに沈んでいると、コンっと何かが額に当たった。
はっと目を上げると、僕の額に魔王様が自分の額を合わせ近距離でじっと見つめていた。
「何を考えている?」
「………」
一度口を開いて、また閉じる。
僕は自分が来たくて魔界に来たけど、魔王様に多大な迷惑をかけてしまったかも。
僕は意外と………。
「ーーん?どうした?」
すりっと合わせた額を動かし、低い声がゆったりと尋ねてきた。
「僕は……、そうですね、自分で思っていた以上に魔界が好きなのかもしれません」
ちゃんとした部屋を貰えた。美味しい食事も優しい笑顔も、気遣う言葉も、全部この魔界で与えられたもの。
ほわほわと心の奥が温かくなって自然に顔が綻ぶなんて、もう僕は久しく経験していなかった。
でも、魔王様がそれを僕に与えてくれたんだ。
「ーーそうか」
僕の言葉に、ふっと笑う気配がする。そしてため息の様に呟く魔王様の声を聞いた。
「そうか………」
金赤の瞳が瞼に隠れる。僕はそれをじっと見つめた。
「レイルの気持ちがハッキリしているなら、打つ手は色々ありますね」
そう言うと、プルソンは少し好戦的な笑みを浮かべてイソイソと執務室を出ていった。
「あ、」
「アイツに任せておけば良い」
自分の事なのに人任せにしてしまうのも……と、呼び止めようとしたら、魔王様が僕の顎を摑んで振り返れなくする。
「今一度言う。アイツに任せておけ」
余っ程ヘンな顔をしていたのか、魔王様は少し僕に密着させていた身体を離し、顎に当てていた手で グイッと目元を拭った。
え?僕、まさか泣いてた?
「よく聞け。お前が望まぬ事は強制できぬ。また望む事を妨げてはならぬ、そう決められている 」
「ーー決められている?」
「お前に自覚はないかもしれんが、レイル、お前はこの世で唯一人の覇者になるべき存在だ。その存在が望むように、……っっ!!」
不意に魔王様が言葉を切る。一瞬眇めた目に苦痛の色を見て、僕は慌てて視線を巡らせる。
そして魔王様の首に、歪な黒い星形の痣が浮かび上がっているのを見つけた。
「魔王様、それは……」
「……伝える事のできる範疇を越えたか」
ため息と共に軽く頭を振ると、魔王様は苦々しく笑った。
「これは気にするな。さてレイル、お前に問う。人間界と魔界、どちらに居たいと願う?」
「僕は、魔界に居たいです」
キッパリと言うと、魔王様は満足そうに頷いた。その時、シュッと空気を斬るような音がして、プルソンが戻ってきた。
「ラニット、ご報告が……」
一瞬迷うように僕を一瞥 した彼は、ラニットに視線を戻して口を開いた。
「レイルの母君が危篤とのことです。彼に会いたがっているため、彼を戻すように、と」
「都合の良い事をいう……」
不快そうに顔を顰める二人を見つめながら、僕は自分の胸をそっと押さえた。
ずっと昔に生家から放逐されてる。両親を恋しいと思う気持ちもないし、特別会いたいとも思わない。
何なら、そんな事を理由に魔王様を煩わせる彼らに苛立ちすら感じた。
「ラニット、貴方に会うまでは梃子 でも動かないようです。一度お会いになってみては?」
「……居座られても面倒だな」
顎をしゃくりプルソンを先に行かせると、魔王様は大きな手で僕の頭をくしゃっと撫でた。
「レイルは部屋に戻って待て」
そして空中に向かって命令を飛ばした。
「ヴィネ!レイルを部屋に送り、そのまま守護しておけ!」
その言葉の終わりと同時に、ズン!と室内の容積が増えたような気配があり、気付くとそこに逞しいヴィネの姿があった。
「任せるぞ」
「承知した」
短いやり取りのあと、魔界様は僕を膝から下ろすとすっと音もなくその場から姿を消した。
「レイル、行くぞ」
ヴィネ……、その屈強な身体つきからヴィネ将軍って呼んだほうがピッタリくる彼から促されて歩き出す。
「随分不安そうだな。何が君を不安にさせている?」
トボトボと力ない歩みに、ヴィネ将軍は片眉を上げて聞いてきた。
「不安そうですか、僕?」
「無自覚か?飼い主に捨てられた魔獣みたいな顔をしているぞ」
「捨て魔獣?」
クスリと笑いが洩れる。そして自分の顔をそろりと撫でてみた。
「君は自分で気付いていないのか……」
「?」
歩みを進めながら、真っすぐ前を向いたままのヴィネ将軍は言葉を紡いだ。
「君は一見するととても素直で、感情豊かだ。だが、本質は違う。酷く歪 で、混沌とした人間だと俺は思う」
僕は無言のままヴィネ将軍を見上げた。
「育った環境のせいで捻れて育まれた君の性質が、君自身を苦しめない事を願うよ」
その言葉は酷く不吉な予言の様で、僕は思わず小さく身震いをした。
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