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27.1000年後
――あれから500年……いや、1000年の時が流れた。
里を囲むぼんやりとした境界線はもうどこにもない。ここはリカさんの世界じゃない。神様が創った世界であるから。
まだまだ大小様々な問題はあるけれど、ひとまず人間と妖が顔を合わせただけで殺し合うような事態はほぼほぼ起こらなくなりつつある。
リカさんや薫 さんを始めとした、温かい世界を望む人達が頑張ってくれているお陰だ。
そんな中、俺は何をしているのかと言えば。
「だあぁぁあ!! 違う!! 違う!!」
意外や意外の『ライター』だ。
取材対象は妖と人間。それぞれにインタビューをして、文化や物事の考え方、好きなもの、嫌いなものなんかの情報をまとめてる。
言い出しっぺは俺。元・人間、現・妖っていう特異な立場を活かして、ちょっとでも平和に貢献出来たらなと、思い至ったのがきっかけだ。
担当編集は柊 さん。雨司 の次男でリカさんの弟にあたる。
ブロンドの長い髪に碧眼。少したれ目がちな目をした、これまた美丈夫な妖狐さんだ。
見た目年齢は、人間換算で言うと20代後半といったところか。
今となっては仕事愛と使命感に溢れる情熱的な人ではあるんだけど、顔を合わせて間もない頃は、今とは正反対の所謂『無気力状態』にあった。
原因は傍から見ても明白。全幅の信頼を寄せていた穂高 さんからは裏切られて、末弟の薫さんには当主の座を奪われてしまったんだ。プライドはズタボロ。心が折れるのは最早必然だった。
『柊さん、ご無沙汰しております。六花 の嫁の優太 です』
そんな柊さんの元に、俺は一人向かった。勿論歓迎はされなかった。
薫さんの紹介で来た。妖と人間のトリセツを作りたいから協力をしてほしいと求めたところ、重苦しい溜息が返ってきて。
『薫め。この上、兄上の嫁の道楽にまで付き合えと申すか』
『ははっ、……そうなっちゃいますかね?』
『惨めだな。僕は一体何のために生まれてきたのだろう』
『……っ』
ここで引き下がっちゃダメだ。取り返しのつかないことになる。大袈裟かもしれないけど、どうにも嫌な予感がして。
ぶつけよう。思いの丈を。前世に置いてきたはずの恥と外聞を遠く彼方に感じつつ、俺は――意を決して口を開いた。
『かっ、架け橋にしたいんです!』
『……何?』
『この本が妖と人間が歩み寄る、その一助になれたらいいなって。でも、俺はこれまでろくに文章らしい文章を書いてこなかったから。曲がりなりにも記事なんで、その……作文とか小論文みたいな書き方じゃダメなんですよね?』
『???』
『ようは今の俺にはやる気はあるけど、技術がないってことなんです!』
『どうして僕なんだ? まさか、あの薫が僕に対して負い目を感じているとでも?』
『能力を評価してのことです』
『……何?』
『柊さんは演説用の原稿をご自身で書かれているんですよね? リカさん、……夫がいた頃は、夫の分も!』
『っ!? 一体どこで――』
『穂高さんとリカさんから直接聞きました!』
『っ! しっ、知らん! 僕には身に覚えがないぞ!!』
『薫さんのスピーチなんかより、ずっとずっと分かりやすかったですよ!』
『っ!!? ほっ、本当か……?』
『はい! 難しい内容であるはずなのに、バカな俺の頭にもすんなり入って来て』
『うっ、うむ。まぁ、そうだろうな。薫も、あの秘書も見栄ばかり気にして、肝心の聴衆に分からせるという点を軽視してしまっているから――』
『そう! そうなんです! 俺が欲しいのはまさにその技術で』
『ぐっ! ……ふんっ、それで口車に乗せたつもりか? 僕はやらんからな』
『協力してください! 柊さん!!』
『~~っ、うっとおしい奴め』
『お願いします!!』
『絶対に嫌だ』
『とっ、当主命令ですよ!』
『断固拒否だ!!』
――そんな夢と希望と嫌々が詰まった出会いから彼是 1000年。
今では俺達の本は妖・人間双方の教育の現場でも用いられるように。仕事ぶりを認められてか、柊さんもどんどんどんどん前向きになっていった。
「まぁ、相変わらず笑顔はレアなわけなんですけどね」
今ではすっかり鬼編集長だ。爆裂お怒りモードな柊さんの顔を思い返して、深い深い溜息をつく。
不意に何かが視界の端を掠めた。桜だ。開かれた襖 の向こうには、見上げる程に大きな桜の木が植わっている。
頭の上の耳をぴんっと立ててみると、生垣の向こう――50メートルくらい先から、子供達の楽しそうな笑い声が聞こえてきた。5人組か。3人は素足、2人は草履を履いているな。
「素足の方の子達は妖で、草履の方の子達は人間……かな?」
断言は出来ない。けど、そうだったらいいなと夢見心地に思う。
「ただいま」
庭とは反対側の襖を開けて誰かが入って来た。他でもない、俺の旦那様のリカさんだ。
白地に大小あられの柄が入った上品な着物に、無地で紺色の羽織を合わせている。
銀色の長い髪は高い位置できゅっと結んでいたけど、部屋に入るなりしゅるりと解いてしまった。
あれはそう――プライベートモード突入の合図だ。
案の定、リカさんはとろっとろの甘えたな表情を浮かべて、一歩一歩と近付いてくる。嬉しいけど。でも。
「かっ、勘弁してください! 明日締め切りなん――」
「根を詰め過ぎるのは良くないよ」
リカさんは言いながら、俺の後ろへ。そしてそのままゴロンっと横になった。直後、尻尾がぐっと締め付けられる。
見ればリカさんが、俺の尻尾に顔を埋まっていた。黒くてふっくらとした尻尾を、ぎゅーっと抱き締めるようにして。
「もふもふ~……」
「くっ……」
「ねぇ、優太」
「…………」
「優太?」
「…………はい」
「休憩、しよ?」
「…………………………………………」
気付けば俺は筆を置いて――リカさんの方に膝を向けていた。そして。
「わっ! ふふっ、擽ったい」
リカさんの銀糸みたいな綺麗な髪を揉みくちゃにしていく。文字通りのボサボサだ。にもかかわらず、リカさんは物凄く嬉しそうに笑って。
「もっと」
甘えたな声でオネダリをしてくる。ああ、堪らん。
「この作業妨害ギツネめぇ~~っ」
「ふふふっ、いつものことでしょ?」
この1000年で、リカさんはすっかり甘えん坊になった。
あんなに抵抗感を見せていたモフりもこの通り。
顎 の下を擦れば、もっともっとと強請るように顎を持ち上げるし、耳の裏を擦れば切なげな声を上げて。
嫁冥利に尽きる。いや、モフリスト冥利に尽きると言った方が良いか。
「ねえ、優太」
「はいはい、何ですか?」
「来月の東 への出張の件だけど――」
「またその話ですか。ダメですよ。俺、締め切りがあるんで」
「私から柊に掛け合ってみるよ」
「セルフモフりでお願いします」
「酷なことを言うね」
リカさんは言いながら僅 かに膝を丸めた。突き出たお尻にはもう尻尾はない。
『空狐』になったからだ。言わずと知れた妖狐の最上位格。出来ないことを探す方が最早難しいレベルだけど、それでもやっぱり神様とは対話が出来ないらしい。
基本は不干渉なんだろうな。でないと、仕事にならないというか。クレーム対応にかかりっきりになってしまうんだろうから。
『残念だな。神に文句の一つでも言ってやりたかったんだけど』
そう言って悔し気に零していたっけ。ふっと思い出して、小さく笑う。
「一緒に行こうよ」
「リカさんならその気になれば、いくらでも尻尾を生やせるでしょ」
「あんなまやかし物で満足出来るわけ――」
「だっ、ダメだよ! かえで!」
「ひゃほーーう!!! おじゃま致しますーーー!!!」
内側の襖を開けて2人の妖狐が押し入ってきた。
同じ顔をした双子の子狐だ。片方は銀髪、もう片方は黒髪。肩まで伸びた髪を無造作に一本に纏めてる。作務衣姿で、尻尾はそれぞれ一本ずつだ。
切れ長の目に金色の瞳、長くてふさふさな睫毛、すっと通った鼻筋、薄くて形のいい唇。見れば見るほどそっくりだ。――どっかの誰かさんに。
「椛 、楓 。ダメだろ? 俺、今お仕事中ー」
「ボクは怒られるよって、言ったんです! 言ったんですけど、かえでが――」
「あはははっ! 父上が入ったら、お仕事おしまいでしょ? いつものことじゃん♪」
「その通り。流石だね、椛」
「あっ! ~~っ、ぼっ、ボクだってちゃんと知ってましたよ!」
「えぇ? じゃあ、何でダメーとか言ったの?」
「そっ、それは……」
「ん~~?」
「……いじわる」
「ふふふっ、どっちも凄いよ♡ さぁ、一緒にモフモフしてもらおう」
「は~い♡」
「はっ、はいっ! わっ!?」
「きゃはーー!!!」
リカさんは半ば強引に2人を抱き込んだ。面白かったのか、2人はきゃっきゃとはしゃいでる。
銀髪の方が椛、黒髪の方が楓だ。
椛の方は内気で、楓の方は活発。性格は対照的だけど、2人はいつも一緒にいる。お稽古の時も、遊ぶ時も、寝る時も。
一見すると、台風みたいな性格の楓が椛を連れ回しているように見えるけど、椛もしっかり同意してるんだよな。楓の姿が見えないと物凄く不安がるし。
……依存し過ぎか? ある程度は自立させるべきなのかな? 何とも悩ましい限りだ。
「「母上?」」
「優太?」
「っ!!!」
物欲しげな目でじーっと見つめてくる。揃いの金色の瞳で。
あ~あ゛もうダメだ。仕事にならん! 今夜は徹夜確定だな。未来の俺、ガンバ。
「もっ……」
「「「も?」」」
「もふもふ~~~!!!」
「うわっ!」
「わわっ……!」
「きゃーっ♡♡♡」
俺は右手で椛の、左手で楓の頭をもみくちゃに。尻尾でリカさんの顔や体を撫でまくっていく。
遅ればせながら、椛も楓も俺の息子。父親は言わずもがなリカさんだ。
『空狐・六花様のお子様をぜひとも後世に!!!』
『『『奥方様ぁ!!!!』』』
『ヒェッ……!!!!』
雨司の皆様、里のみんなからの熱烈猛プッシュにより俺は子供を産んだ。
リカさんの妖術で女の人にしてもらって。もう50年も前の話になる。
生理も悪阻 も陣痛も聞いてたよりずっとしんどかった。女の人ってすげぇって何遍も思って。正直、俺にはもう無理だと思ってる。
義父母や重鎮の皆様からは、顔を合わせる度に子供を、子供をとせがまれてはいるのだけれども。
「ん? リカさん?」
リカさんの手が、俺の頬に触れる。
おっとモフモフ返しですか? 大歓迎ですよ。期待に鼻を膨らませていると――微笑みが返ってきた。
その笑顔は春の麗らかな日差しを思わせるような、とても穏やかなもので。
「幸せ?」
悪戯っぽい笑顔を添えて問いかけてくる。
「……もう」
答えなんて分かり切ってるはずなのに。ズルい人だな。
胸の奥から鮮やかな感情が溢れ出てくる。それらの感情が俺の顔を、全身を彩って――答えを紡ぎ出す。
「見ての通りですよ」
「ふふっ、そう」
リカさんの表情が綻んで、ぱっと弾けるように笑った。
今の俺には自分の表情を確かめる術はない。だけど、見なくても分かる。
俺はきっと笑ってる。リカさんと同じように。
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