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第3話
ヤバい。
そう思った時には、視界が明るくなる。けれど、見えたのは、中条の茶色の髪と白い肌もぼんやりとした輪郭だけだ。
「え……?」
一瞬、息を呑むような気配を感じたが、彼がどんな顔をしているのかまでは、見えなかった。
「痛っ」
中条の手が傷口を掠め、ピリッとした痛みが走る。
「あぁっ、ごめん! こめかみのところが切れてる、保健室行こう」
「だ、大丈夫だから……、それより眼鏡を……」
「わ、悪い! ホント、ごめん」
拾ってくれた眼鏡をかけると、ようやく視界がクリアになった。
うぅ、直視できない。
クリアな視界かつ至近距離で見る国宝級イケメンは、目の保養を通り過ぎて毒でしかないことを知る。
けど、眉根を下げて心配そうな表情の彼は、とても幼く見えて、
「か、かわいい……」
なんてセリフが口を突いて出た。
中条が「え?」と耳を疑う。
可愛いものを見ると可愛いと言ってしまうのは、もはや条件反射だからどうか許してほしい。
俺は、慌てて「な、なんでもない! じゃ、じゃぁ、俺もう行くから」と立ち上がった。
なのに、
「ダメだって! 保健室!」
中条は俺の手を掴み、転がっているスマホや鞄をかき集めて強引に歩き出した。
手首は、しっかりと掴まれていて、解けそうにない。
あれ? そういえば中条のやつ、俺のこと片瀬って呼んだよな。
こんな地味男子みたいな俺の名前まで知ってくれてたんだ……。
さすが、陽キャのイケメン。
中身までかっけぇな。
保健室までの道のり、中条の手のぬくもりがじんわりと伝わってきて、なんだか胸がざわついた。
*
さっきは、顔を見られてヤバいって思ったけど、よく考えたら、中条はリンスタをやっていないからmiccoのことは知らないんじゃないか?
それを思い出した俺は、保健室に着く頃には胸のドキドキが治まってきた。
掴まれた手首は、熱いままだけど。
「先生! 手当お願いします!」
突進するかの勢いでドアを開けられた先生は、目を丸くしてこちらを見た。
「血も止まってるし、傷も浅いからこれで大丈夫よ」
「ありがとうございます」
「先生、傷跡、残りますか?」
そう聞いたのは、俺じゃなくて中条だった。
「多分残らないかな」
「多分って、なんか不安なんですけど」
「いや、俺男だし、傷跡残ったとしても慰謝料請求したりしないから安心して」
中条が何をそんなに不安に思っているのかは知らないが、俺は思いつく限りの言葉を伝えておく。
「俺が嫌なんだよ」
冗談のつもりで言ったのだが、伝わらなかったみたいだ。
「だっ、大丈夫よ中条くん! 縫うわけでもないし、残らない! うん、残らないわよ」
そのあまりの落ち込みぶりに慌てた保健室の先生が両手を顔の前でぶんぶんと振る。
イケメン中条、保健室の先生も攻略完了っと。
「……なら良いんだけど……」
「あ、じゃ、じゃぁ、俺はもう帰りますね。先生ありがとうございました」
「お大事にねー」
鞄を持って保健室を後にすれば、俺に続いて中条も着いてきた。
後ろで、はぁ、と盛大なため息を吐かれて、俺は反応に困る。
それは、安心からのため息なのか、大したことがないとわかって時間を無駄にしたことへのため息か。
きっと後者だ。
昼休みに今日の放課後カラオケに行くと約束してたじゃないか。
まぁ、だとしても、俺のせいじゃないからな。
何度も先に帰っていいと言ったのに帰らなかったのは中条だ。
あげく、俺が治療を受けているのを穴が開くほどジーっと見ていたのも、こいつだ。
「あ、あのさ、ホントに気にしなくて良いから。もう痛くもないし、眼鏡も無事だったわけだし」
昇降口の前で、俺は後ろを振り向いて努めて明るく振舞った。
俯いたまま黙り込んでいた中条だが、しばらくしてか細い声が聞こえてきて、俺は「え?」と聞き返す。
国宝級イケメンの顔は、なぜだか苦虫を嚙み潰したような表情をしていた。
こんな状況でも、イケメンはどんな顔をしても様になるんだな、と無責任なことを思う俺はどこか薄情なのかもしれない。
「そんなの、無理に決まってんじゃん! miccoの顔を傷つけたのに気にしないなんて無理だ」
「…………」
思考が停止する。
みっこ、と聞こえた気がしたけど……。いや、俺の気のせいかもしれない。
「みっこって、なんのこと……?」
作戦その一、miccoを知らない体でいく。
しかし、「片瀬……、悪いけど、俺の目はごまかせないから」と真っすぐな視線で射抜かれてしまう。
ズキュン。
うぅっ、あいつの視線はキューピッドの矢かよ。
破壊力が半端ない。
にしても、どうやら聞く耳すら持ってもらえないらしい。
作戦は失敗に終わるが、俺はすぐさま頭を切り替えた。
「えっと……、あ、あぁ! 思い出した、miccoって女子が騒いでるリンスタのモデル? おいおい、何言ってんだよ中条、そもそも俺男だから、性別から違うじゃん」
作戦その二、俺男ですけど?
「俺だって……」
絞りだしたような、苦し気な声。
「俺だって、そんなの、信じられなかったけどさ……、お前の顔見た瞬間、分かっちゃったんだよ。そこから色々考えてたら、そういえば、miccoはタイツ履いてることが多いとか、ライブ発信やらないし声も出さないとか、首元晒さないとかさ、今までなんとなく引っかかってたコトが、全部つながってくじゃん……」
うほ、マジか。
そんな風に怪しまれてたんだ、俺。
まぁ、たまにアンチがそんなようなことをコメントしていたのは知っていたけど。
「もう、疑う余地がないんだよ、micco」
わぁお、そっちで呼んできたよ。俺認めてないのに。
というか、リアルで呼ばれるなんてめったにないから、違和感しかない。
はぁ、またしても作戦失敗。
つか、そこまでmiccoのこと、見てたってことだよな、こいつ……。
え、でも、リンスタやってないって言ってなかった?
まぁ、どちらにせよもう確信している中条に、俺は言葉が出ない。
キュ――
上履きの擦れる音がした。中条が、こちらに一歩距離を詰める。
背の高い中条を見るために、上を向いた俺の両頬をやつは両手で包み込んだ。
「な、中条?」
慌てる俺だったけど、中条の顔を見た途端、その手を払いのけることなんてできなかった。
あまりにも、悲し気だったから。
「こんな可愛い顔に傷つけて、ホントごめん」
中条の手が、俺の前髪をそっと横に避ける。腫れ物に触るかの如し丁寧な手つきとその眼差しは、まるで……。
「あ、いや……、だ、大丈夫だから……」
とにかく、手を離してくれぇー!
こんなとこ、ほかの誰かに見られたらどうするんだよ。
「にしても……、ホントかわいい、micco……いや、片瀬か。まさか、miccoが男で、そいつがクラスにいたなんてさ……、マジでヤバいよな……」
ヤバいって、なにが?
クラスのやつに暴露したらヤバいよなってこと?
俺は怖くて聞けない。
あたふたしてると、中条はようやく手を離してくれた。
包まれてた頬が外気にさらされてほんのりと冷えていく。
あー、もーどうしよー……。
心臓が、ドクドクと血液を過剰に送り出していく。鞄を握る手に、ジワリと汗がにじんだ。
この胸のざわつきが、一体どこからきているものなのか、もはやわからなかった。
もう、この手しかない。
――パンッ!
「頼む中条! このことは黙っててくれないか! この通りだ!」
顔の前で両手を合わせる。
作戦その三、懇願。
俺は、中条の言う通りmiccoは自分だと自白した。
「結果として騙すことになったのは、悪いと思ってるんだけど……。まさかこんなに人気が出るとは思ってなくて……今さら男ですとは言えなくて……」
これは、マジだった。
そもそも、姉ちゃんの服の宣伝アカとして作っただけで、ここまで大事になるとは思わなんだ。
それに、miccoは俺をイメージして作ったブランドだから。
姉ちゃんは、俺に服を着て宣伝して欲しいのだ。
「でも、これは、俺の趣味でもあるけど、その前に姉の仕事でもあるから……、どうか、miccoが男だってことは黙ってて欲しい……」
一通りの釈明をした俺は、中条の出方を伺う。
片手で額を押さえて、なにやら考えている様子の中条は、息を吐く。
「……それは、いいんだけど、」
「ほ、ホント⁉ ありがとうっ中条! 恩に着るよ! なにかお礼させて!俺にできることなら、なんでもするから」
「え、お礼? 俺、そんなつもりで言ったんじゃないけど……」
「いいのいいの!」
「……なんでも?」
きょとん、とするイケメンの顔に俺の心がくすぐられてしまったのと、なんとかmiccoの秘密を守れることにほっとして気が大きくなってしまった俺は、なんでもいいから言ってよ、と大口を叩いてしまった。
「……じゃぁ、俺の彼女になってくれない?」
「え……?」
彼女?
彼女って、あの彼女? 彼氏彼女の彼女の方?
彼氏彼女の彼女の方って、女の子だった、よな?
中条の言った意味を理解しようと、ない頭でぐるぐると考えるも、答えが導き出せない。
「ご、ごめん、もう一回言って?」
「俺の彼女になって、片瀬」
あれ、俺、なんか、いろいろ間違えた?
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