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第7話
自分の身の保身に走って中条に嘘をついた罪悪感にさいなまれつつ、俺は「先に戻る」と言ってその場を後にした。
あの忠犬のように喜ぶ無垢な笑顔を思い出すと胸が痛い。
まさか女装させられるなんて夢にも思わないだろうな……。
果たして中条は姉ちゃんの頼み(と言う名の指令)から逃れられるのだろうか⁉ 次週、乞うご期待!
胸が痛いとか言いつつも、連ドラの次回予告ばりのうたい文句が勝手に頭の中を過ぎていき、笑いそうになるのを必死に堪えた。正直、姉ちゃんの着せ替え人形と化す中条を見てみたい。あいつの女装とか、どんなんだろう。想像するだけでおかしかった。
「あ、みっくん!」
後ろからかけられたその声の主を俺は見なくてもわかって、反射的に歩く速度を速めた。この学校で、俺のことをみっくんと呼ぶ奴は一人しかいない。
朝、またあとで、と言っていたことを思い出した。
「逃げるなこら」
むぎゅぅ。
抱きつかれて、背中に押し付けられた柔らかなソレがなにか、というのも見なくてもわかってしまう。しかし、俺は至って冷静に、腹に回されたひよりの腕をはがしていく。
「わかった、逃げないから、離れろ」
「あれ? 効果なし?」
なるほど、意図的でしたか。
「女の子が、気安くそんなことしちゃいけません」
「気安くなんかじゃないもん、みっくんだからだもん」
「いくら兄妹みたいに育ったからって、節度があるだろ」
俺の言葉に、ひよりはしかめっ面を見せる。いつまでも子どもの付き合いじゃダメなことってあるだろ。そのくらい、もうわかってもいい年齢だと思うんだが……。
ひよりは、俺にとって妹同然の存在で、家族以外の異性の中で普通に話せるのはひよりくらいかもしれない。
そう、俺は、女性と話すのはあまり得意じゃない。
可愛い女性は、見る分には好きだけど、話したり遊んだりするのはノーサンキュー。もちろん、向こうだってこんな地味男は願い下げだろうけど。
「兄妹じゃ、ないもん」
ぽつり、と呟いたかと思えば、頬を目一杯膨らませてふて腐ってみせる。その癖は、昔から変わらない。
「そんなの、わかってるよ。だから兄妹みたい、って言ってるだろ」
俺は一歩ひよりに近づいて、小さな頭をポンポンと撫でる。そう言えば、昔は俺よりも高かったのに気づけば俺が抜いていたんだな。
なんだかんだで、ひよりは俺より年下で、女の子なんだよなぁ、と今さらなことがしみじみと感じられて手が伸びていた。
「――なにしてんの?」
肩にずっしりとした重みがのって、体が傾きそうになるのをなんとか堪えた。バランスを崩した拍子に撫でていた手も外れる。
「な、中条……?」
俺の肩に腕を回した中条が、体を乗せるようにして寄りかかってくる。頬に、中条のマッシュヘアが触れるほど近くに顔があると思ったら、「だれ、この子」と耳元で囁かれて、やわらかな吐息が触れる。その声と振動に鼓膜が震えた。
ぞくぞく、と体の芯が疼く。
なんだ、これ。
俺、なんかおかしい。
「あ、1年生のひより。俺の幼馴染なんだ。ひより、こっちはクラスメイトの、」
「こくほーきゅーいけめんせんぱいでしょ」
「そうそう、中条な」
「なにそれ、俺そんなあだ名で呼ばれてんの? ウケる」
いやいや、今まで知らなかったことの方が謎なんだけど。
と思ったことは言わずに、愛想笑いだけ浮かべておく。
「みんなカッコいいって騒いでるけど、私にはイケメン先輩のどこがいいのか全然わかんない」
「ひ、ひより?」
なんで、急に喧嘩吹っ掛けてるんだこいつ。
「まぁー、俺に言われてもな」
「みっくんのが断っっっ然いい男だもん!」
そして、そこでどうして俺を比較対象に持ってくるの?
もしかしてあれか、新手の嫌がらせかなにか?
「おっ、さすが幼馴染、話わかるじゃん! だよな、俺も片瀬は俺なんかよりずっといい男だと思うよ」
中条は、なぜ、ひよりに乗っかるの⁉
もうわけわかんないんだけど。
「っ⁉ あ、あんたなんかに、みっくんのなにがわかるっていうのよ?」
「あ? 幼馴染だかなんだか知らないけど、付き合い長いからってだけで偉そうにすんなよ」
「はぁぁ? 偉そうにしてるのはそっちじゃない! なれなれしくみっくんに触らないで! 今すぐ離れてぇ!」
そう叫んで、ひよりは俺と中条の間に頭から突っ込んできた。ぐりぐりと頭をねじりこませていく。
なにやってんだ、こいつ。
「うわ、ちょっと、ひより!」
「おい、イノシシ女! やめろって」
その小さな体のどこにそんな力があるのか……、みごと俺から中条を引き離すと、「みっくんは誰にも渡さない!」と俺の腕にしがみついてきた。
「片瀬、教室戻ろうぜ」
反対の腕を中条が引く。
「い、痛い! 二人とも離せよっ!」
刺さる周りの視線。
「「いやだ!」」
なに、この地獄絵図。
*
結局、予鈴が鳴ってその場は一時休戦となる。
そう、休戦だ。
「イケメン先輩、みっくんに触らない近づかない話しかけない! いい⁉」
「ふっふっふ、あいにくそれは不可能だ。なぜなら俺は片瀬のクラスメイトだからな」
「ふんっ、クラスメイトなんてその他大勢のモブに過ぎないんだからっ! せいぜい頑張ることね」
「なんとでも言え、イノシシ女」
意味の分からない張り合いをする二人を引き離すように、俺と中条は教室へと戻った。
もちろん周りの人達はなんだなんだ、と好奇の視線をよこしていたし、クラスメイトからは「中条と仲良かったっけ?」「てか、こいつ誰だっけ?」という眼差しが向けられたけれど、授業が始まって事なきを得る。
「なんか、お疲れ」
「おぉ、サンキュ」
太一の哀れみの視線に礼を言って、俺は数学の教科書を開いて授業に集中した。
淡々と説明する数学教師の声に耳を傾けながら、板書をノートに写していく。ふと視線を感じて黒板からズラせば、頬杖をついてこっちを見ている中条と目が合った。ドキドキする俺の心臓に喝を入れつつ、俺はしかめっ面を向ける。
なのに、中条ときたら、目を細めて穏やかな表情でこちらを見つめるだけだった。
イケメンってやつは、いちいち様になるのが癪だよな。
『ま・え・む・け』
黒板を指さしながら口パクでそう言えば、やつは破顔一笑。
なにが面白かったのか、俺はちょっとむくれる。
「よそ見して余裕の片瀬さん、この問題解いてみろー」
「は、はい、すみません」
くっそう……!
お前のせいだぞ、と中条を睨みつければ、教科書で顔を隠して笑いをこらえて肩をひくつかせていた。
*
「うそ⁉」
「えぇぇっ⁉」
「マジで⁉」
放課後、唐突に教室に響き渡る叫びに、クラス中の生徒が何ごとかと振り返る。もちろん、その中心は中条だった。
周りの女子たちは「うそでしょ!」と悲壮感を滲ませていたが、当の本人は人の良い笑顔を浮かべてにこにこほわほわしている。
俺は、またなにが始まったんだ? と耳だけ意識をそっちに向けて帰る支度を進める。
すると、
「お前、い、いつの間に彼女できたんだよ?」
と、中条と一番仲がいい友だちの佐伯が言った。
はい、おったまげー。
彼女できた宣言だったんですか、中条さん。
ちなみに、その彼女っていうのは……、
「先週の金曜日」
はい、どうやら俺のようです。
「誰? まさかこの学校の子?」
聞かれて中条は少し考えてから、人差し指を口に当ててナイショと言った。無駄に色気を振りまく国宝級イケメン。
周りは根掘り葉掘り聞きたがったが、中条がこの話は終わり、と切り上げてしまう。
男子は、中条の彼女が一体どんな人物なのか興味津々だったし、女子は女子で自分にもチャンスあるかも⁉ と希望を持つポジティブ思考の人たちと、とうとうこの日が来たかと打ちひしがれている人たちで二分して教室内はしばらく騒がしかった。
「もはや騒動だな」
太一の呆れに頷いた。明日には全校中に周知されてるだろう。
遠目でしか見たこともなければ、言葉を交わしたこともなかった中条佑太朗は、対面してみればそれはそれは周りの対応も納得のいいヤツだった。
確かに、魅力的だと思う。
同性の俺でさえこんなにも絆されてしまっているんだから、これが異性ならたまらないんじゃなかろうか。知らんけど。
「じゃー俺帰るわー」
「おう、お疲れまた明日」
太一に挨拶をして、鞄を手に席を立ったその時、
「――あ、片瀬待って! 俺も帰る」
国宝級イケメンの一声で、クラスメイトたちの視線がまたしても俺に突き刺さった。
学校からの帰り道、国宝級イケメンの隣をクラス一の地味メンが歩くの巻。
俺の返事なんかあってないようなもので、後をついてくる中条を無下にもできず、俺は仕方なく公開処刑を受けている。同じ学校の生徒たちは、中条を見ると決まってそのまま隣の俺へと視線を移す。そして見慣れない地味男に冷めた眼差しを向けるのだ。
俺は早く帰りたい一心で、歩を進める。
「なぁ、お前ってあぁいう子がタイプなの?」
タイプ? あぁいう子?
どういう子だろうか。首をかしげる俺を見て「昼のイノシシ女だよ」と言った。
言い得て妙だなと、昼のひよりを思い出して笑ってしまう。俺と中条の間に頭をねじこませていたあの姿は、まさしくイノシシのようだった。
「ひよりは、妹みたいなもんだよ」
「あっちはそう思ってなさそうだったけど?」
それは、不思議に思っていたことだった。
ひよりとは、家が近所で親同士も仲がよくてと言う典型的な幼馴染だ。けど、いつ頃だったか、一時期避けられていると思う時期があったんだ。
そうだ、中学の時だ。学校ですれ違えば挨拶や軽い会話をしていたひよりが、ある時から挨拶どころか目も合わせてくれなくなった。
身に覚えが無かった俺は、それとなく親や環にひよりのことを伺うも、特に変わったというような話はなく、俺だけ避けられていることを知る。
だから俺は、それ以来こちらから話しかけるのを止めた。
それからどれくらいだろう、しばらくして何ごとも無かったかのように普通に話しかけてくるようになり、元に戻ってよかった、と安堵した。近所で顔を合わせることもあるから、関係は良好に越したことはない。
だからそんなひよりが、あんな風に俺に接するのを不思議に思うのは自然な流れだった。
「それは、ないな。なにか理由があるのかも」
もしかして……なんか悩みでもあるのかも。
クラスに馴染めていないとか、いじめられているとか……。
それで寂しいから俺に構って欲しくて来ているとか。
「だからその理由はお前が好きだからだろ」
「うーん、それは、やっぱり考えられないな」
中条はまだなにか言いたそうな顔をしたが、それ以上は追及してこなかった。
駅に着いた俺は、そこで初めて中条と家が同じ方面だと知る。
降りる駅こそ違うものの、その数たったの3駅。
そんなことすら知らないくらい、俺と中条の関係は浅いのだ。
「でだ、中条」
俺は、ベンチに座り電車が来るのを待っている間に話を済ませようと切り出した。
「学校では、あまり俺に関わらないでほしいんだ」
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