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最終話
「――なぁ、尊からキスして」
「……は?」
突拍子もないことを言われて俺は固まる。
俺から、キス……?
「いや、無理! 絶対無理!」
「はぁ? あいつにはしたくせに俺にはできないのかよ」
「なっ、なんで、それをっ」
思い出しただけでも赤面ものなアレをまさか中条に知られていたなんて……!
ひよりのやつ……何考えてんだよぉっ!
わなわなと恥ずかしさに震える俺だったが、中条は少し背を屈めて「ほら」とキスを促してくる。
「いや、だってさ……」
「ほら、早く」
「っ、あーもう! ……恥ずかしいから、目つぶって」
観念してそう言えば、中条はご丁寧に俺の目線にまでかがむと満足そうな顔で目をつぶった。
その無防備な顔ときたら……、もうけちのつけようのないほど整っていて見惚れてしまう。このままずーっと眺めてられる自信ある……。
いや、だめだ、見てるだけじゃ、我慢できない。
欲望のまま手を伸ばして中条の頬に触れ、もう片方の手で前髪をかき分ける。
まっさらな額が顔を覗かせた。
目を閉じて額をあらわにして中条の顔は、すごく綺麗でもあり可愛くもあり、目を閉じてるせいか少し幼く見えて、まるで天使みたいだった。
――ゴクリ
生唾を飲み込む音がやけに大きい。
俺は、ゆっくりとその綺麗な顔に近づくと、そっと唇を寄せた。
よし!
やったぞ! どうだこれで文句ないだろう!
軽い達成感に満たされて離れた俺だったけど、目の前の中条は目をぱちくりさせてあっけに取られたような顔をしていた。
なんでそんな顔?
ちゃんとリクエストに応えたのに、とちょっと不満を感じる。
「は? なんでデコチュー?」
「なんでって、だって、お前がしろって……」
「え……、ひよりにしたキスってデコチュー?」
「そ、そうだよっ、いくら頼まれても口にはしないって!」
俺をタラシのお前と一緒にしないでほしい!
ひよりにもおでこにキスをした後、さんざん「口にしてよぉ!」と文句を言われたが、そこは頑として譲らなかった。
いくら諦めるためと言われても、そこはけじめをつけなければいけないだろ。
「っは、なんだ……、嫉妬して損したわー」
「し、嫉妬って? 中条が? 誰に?」
「俺が、イノシシ女に! ったく、ほかに誰がいるんだよ……これだから恋愛経験皆無のコミュ障は……。もう今後、俺以外とキスすんの絶対禁止! デコチューもダメだからな!」
あっけに取られた俺は、わかったな、と念を押されてどうにかこくりと頷いた。
え、中条が、ひよりに嫉妬……。それってヤキモチ焼いたってこと?
そう理解すると、嬉しさと恥ずかしさがじわじわと体の中に広がって、なんだかむず痒い。例えそれが、形だけの彼女への気まぐれだったとしても、中条への気持ちを自覚した俺には喜び以外の何者でもなかった。
誰かの代わりじゃないなら、今のままでいい。
気まぐれにでも俺に関心を持ってくれるのなら、このままずっとそばにいたい。
「はい、じゃぁ仕切り直し。今度は口にして」
「えぇっ」
そ、そんな……無茶な……。
無理難題すぎる、と呆然としている間に、中条はまた目をつぶって待機している。
でも……、キス、したい。
恥ずかしさの中に、確かにそう望んでいる自分がいて……。
ご丁寧にかがんだ中条の肩に手を添えて、その無駄に綺麗な形をした薄い唇に吸い寄せられるようにして自分のそれを重ねた。
触れた途端、体の芯を突き抜ける甘い痺れに、足元がすくむようで、中条のシャツを思わず握りしめる。
それが柔らかくて甘いのは、もう知ってるのに、自分からするっていうだけでいつもと比べものにならないくらい心臓がどきどきしてうるさかった。
重なっていたのは、ほんの数秒、きっと1、2秒だ。
それでも、中条の匂いに包まれながら近くに感じられるだけで満たされていくのを感じていた。
なのに、当の中条は、
「めちゃくちゃ嬉しいけど、こんなんじゃ全然足りない――」
とまたふて腐った顔で、乱暴に唇を合わせてきた。
「えぇっ……んむっ……」
口をむりやりこじ開けられて、侵される口内。ねっとりと動く中条の舌に、俺の舌が絡め取られる。その動きに翻弄されて、与えられる刺激に口の中も頭も、体もパニック状態に陥った。
久しぶりのキスは、激しすぎて刺激が強すぎる。
「んっ、あ……ん」
合間合間に息をするたびに鼻から抜ける声は、自分じゃないみたいで恥ずかしくてたまらないし、抱きしめられていた手はいつの間にか俺のウェストラインを撫でていた。耳の後ろや首筋には中条の指が這っていて、あちこちから攻められてもうどこにも逃げ場がない。
絶え間なく刺激を受けて、体がおかしくなりそうだ。
「はぁ、ん、な、なかじょ……まって……」
「待てない。まだ足りない」
熱を孕んだ薄茶色の瞳が俺を見つめていた。その色っぽい視線に耐えられなくて、俺はぎゅっと目をつぶった。
「……ぅんっ……あっ――」
制服のシャツをまくられて、中条の手が素肌に触れた。
敏感な脇腹を、掌がなめらかに滑っていって、俺の体はびくんと過剰なくらい反応してしまう。
手は、どんどん上に登ってきて敏感なところを攻めていく。
ううぅ、これ以上は……ヤバい……。
「なかじょ……も、もう――うわぁっ」
突然、視界が反転し、中条と一緒にベッドに倒れ込んだ。
ぼふっという衝撃に驚いたけれど、どこも痛くはなかった。
「び……っくりしたー」
中条の腕の中、俺の口からこぼれたのはそんな言葉。
熱を帯びて反応しかかっていた体の中心部は、驚きと共にさーっと熱が引いていって事なきを得る。
た、助かったぁ……。
と思ったのもつかの間、中条がぎゅーっと腕に力を込めて抱きすくめられた。
「……中条……?」
「ん……、もうちょっとこのままがいい」
「う、うん……」
中条の着痩せする程よく厚みのある胸板に頬が当たり、とくとくとく、と聞こえてくる胸の音に耳を澄ます。それ以外の音は聞こえなかった。
幸い、母さんは俺たちと入れ違いで買い出しに出かけたから、もうしばらくは戻らないだろう。
この家には、俺と中条だけしか居ない。
うわ……。
好きな相手と誰も居ない家で二人きりとか、ヤバくないか。
しかも、ベッドの上で抱きしめられてるなんて。
これじゃぁまるで恋人同士みたいじゃないか。
「はぁ……、俺いつまで我慢できるかな」
頭上からため息と共に吐かれた「我慢」というワードに俺は首をかしげる。
「我慢って、なにを?」
「……」
あきれた目を向けられてしまった。
きっと、こういうところを察することができないのが、今回いろいろと事態をややこしくしてしまった原因なのかもしれない。
「まぁ……こっちの問題だから、尊は気にしなくていいよ」
「え、気になるし……」
「いーんだ。尊はそのままでいーんだ。お前はこのまま変わらないでいてくれればいいよ」
「なんか、馬鹿にしてないか?」
「してないしてない」
「お、おい、変なとこ触るなよ!」
また裾をめくって侵入してきた中条の手が、俺の腰をさすり始めた。誰にも触られたことのない地肌を撫でるその手は温かくて滑らかで、全然嫌じゃないどころか気持ちいいとすら思ってしまう。
「いーじゃん、尊の肌すべすべで気持ちいーんだもん」
だもんって……、か、かわいいかよ!
く、くやしい!
可愛くて、なんも言えねぇっ!
けど、くすぐったくて、俺は身を捩る。
「ふはっ、やめろってば」
「やだ、やめない」
中条に、好きだと言われたわけじゃないし、付き合ってるのだってmiccoとして単なる見せかけなわけだけど……。
もし気持ちを伝えて、距離を置かれるようなことになってしまったらと思うと、とてもじゃないが自分の口から「好きだ」とは言えない。
だから、今はこのままでいい。
こうして、中条のそばにいられるなら、このままで十分だ。
ベッドの上、中条の腕の中で、俺は、ふんわりとした幸せに心満たされていた。
*
「みっくん、おっはよー!」
登校していると、ひよりが後ろからアタックをかましてきた。不意打ちによろけた体をどうにか持ちこたえた俺は「おはよう」と返す。
ひよりの告白を断ったのがつい先週のこと。
申し訳ない気持ちでいっぱいの俺を気遣うように、ひよりは今までと変わらず接してくれていた。だから、ひよりが望むなら、と俺もこれまで通り接する事に努めている。
左腕に自分の腕を絡ませて体を密着させたひよりに、「離せよ」と言うも華麗にスルーされてしまうのがここ最近のお決まりだ。
だから、周りに居る同じ制服を着た生徒たちから冷ややかな視線が注がれるのを、俺は俯いて絶えるしかない。
「おい、離せよ。尊が困ってるだろ」
くっついたひよりとは反対側、俺の右側から顔を出したのは中条。
「イケメン先輩は黙ってて! いーっだ!」
美少女さんと美男子さん。
お二人の間に挟まれた俺の気持ち、考えたことある……?
ここ連日繰り返されるこの光景にがっくしと肩を落として、俺は項垂れた。
「つーか、お前は振られたんだろ、いつまでも未練がましく尊にくっついてんじゃねぇよ」
人の失恋の傷を抉るとか、ちょっとひどくないか。
ちょっと言い過ぎだろそれは、と思ったものの、傷をつけてしまった張本人である俺が言えることは何もなかった。
しかしひよりは、ダメージを受けている様子もなく、「私ね、決めたの!」と突然こぶしをぐっと握りしめた。
「みっくんはまだ2年生だから、卒業までまだ2年近くあるでしょ! だから、別に無理に諦める必要ないんじゃないかーって」
「は?」
「え?」
俺と中条から、驚きと疑問の声が漏れ出るも、ひよりは意に介していないように続ける。
「今は振られちゃったけど、この先みっくんの気持ちがどうなるかなんて誰もわからないじゃない。もしかしたら、私のこと好きになってくれるかもだし? 諦めたらそこで試合終了でしょ? なら、私は諦めないから無期限サドンデス戦突入ー!」
どやあ、って顔で胸を張り、こぶしを高々と掲げたひよりに、空いた口が塞がらない俺と中条。
なんて、ポジティブ思考なんだ……。ここまでいくと、清々しくて羨ましくさえ思う。俺にひよりの10分の1でいいから前向きさがあったら、もう少し上手く立ち回れていたかもしれないな、と頭の片隅で思った。
「おい見てみろ、イノシシ女、尊の顔が引きつってるぞ!」
「もー、みっくんってば、照れ屋なんだから」
「お前の目は節穴か? どうしたらこの顔が照れてるように見えるんだ? お前、それでも幼馴染か」
「もちろん、歴とした幼馴染ですよ? お風呂も一緒に入ったし、一緒に寝たことだってあるもんねーみっくん!」
「ちょ、ひより、誤解を招くような言い方はやめろって! それは、子どもの頃の話だろっ」
「はっ、そんながきんちょの頃のことなんかなんの自慢にもならないね。俺は、尊のファーストキ――んぐ」
「わあぁーー!」
ばかかコイツは!
こんな人の多い所でなにを言うつもりだ!
思わず肘鉄を喰らわしてしまった。
脇腹を押さえて悶絶している中条に、ひよりは「イケメン先輩って、バカなの?」と冷めた視線を送っていた。俺も心の中で激しく同意。
「――あ、もう学校着いちゃったぁ。みっくん、また後でね」
「用も無いのに来るなよ」
「みっくんに会うっていう用ですー」
「尊はお前の相手するほど暇じゃないんだよ」
おかしい……。
ひよりを振った前と後とでなんでなにも変わってない!
それどころか、悪化してるじゃないか!
「イケメン先輩だって、みっくんの彼氏でもなんでもないじゃない? みっくんの行動を制限する資格ないんだけど。それとも二人、付き合ってる?」
「振られたお前には関係ないだろ」
「あーその感じは付き合ってないな。ぷぷぷ、イケメンのくせにヘタレなんだから~」
「お、お前、先輩に向かってヘタレ言うな!」
「――あー! もう! お前らいい加減にしろーーー!」
人通りの多い階段でぎゃーぎゃーと言い合う二人を両手で引き離す。
「もう、どっちとも一緒に登校しないから!」
一息でそうまくし立てて、俺は二人を置き去りに階段を上る。
――まだまだ、前途は多難そうだ。
「ちょ、おい、尊!」
「待ってみっくん!」
慌てて階段を駆け上ってくる二人の気配を感じながら、俺は深いため息をついたのだった。
To be continued……?
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