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第1話
休暇が終わった。いつも暗闇でもがいているような瞬間は唐突に終わりを告げ、疲労困憊した身体は猶予を与えられて日常に戻る。支配者が人間についてどう甚振れば長く遊べるか知り尽くしているせいで、アレグはどこからみても健康体のまま、身体の中がどろどろと蕩けた熟れた果実にされていくのを拒めない。
よく食べさせられ、よく寝かされた身体は心と裏腹にすっきりと目覚める。淫蕩に耽っている間も、勉強する時間は確保されていた為課題は終わっている。主席であらねばならない、そのプレッシャーが誰よりも大きくて、アレグは天井を見て呆けたように笑った。
主人の起床までに起きていなかったために足蹴にされることもなく、深夜から朝日が昇るまで犯されることもない。ごろりとベッドの上で寝返りを打つといつのまにかチャージされているスマホに手を伸ばしてメッセージを確認する。ずっとスマホは手元に置かれていたが、それが返って怖くて触ることすらできなかった。お前がSOSを打った瞬間に、お前の残された家族は地獄に引き摺り込まれるのだ。それでもお前は自分だけを救えるか?そう嘲笑われているようで、アレグは体が竦んでいた。
母と弟からのメッセージ、大学の同期から、アレグの父の友人から、友達から、そして……、彼女からのメッセージ。できるだけ何も考えずにメッセージを返す。『ごめん、ちょっとリフレッシュしたくて返信が遅れた。元気だよ、明日から大学に戻るから。』
溜まっていたメッセージを返信した数分後、寮のドアがノックされた。ご丁寧にも施錠されたドアを開けると(彼の部下がアレグを送り届けた際にしっかり施錠したのだ)、金色のふさふさとした髪の毛が一瞬視界にちらついたのち、アレグの懐に衝撃が走った。
「オリガ、」
抱き止めた体は柔らかく、甘い匂いがした。飛びつくように腰に回された足を支えて、オリガの髪に鼻を埋める。柔らかい金色の髪はゴールデンレトリーバーを想像させ、抱き止めたままベッドに後ろ向きに座り込む。
「心配した、ねえ本当に」
太ももに柔らかいオリガの体が乗っている。目線を上げると透き通った水色の目が、金色のまつ毛に彩られてじっとアレグを見下ろしている。
オリガはアレグのことを二歳から知っていたが、最近のアレグは変だ。ホリデーの間、ほとんど毎日連絡が取れていたのにパタリと一週間どこかに行く。最初の頃など、急に一ヶ月間留学に出てしまうことだってあった。アレグの父親が死んでしまってから、当然と言ったらそれまでだが、ずっと何かに怯えている。あれだけナチュラルにできていたスキンシップも、驚くほどに何もできなくなってしまった。
「うん、ごめん」
アレグはぎゅっとオリガを抱きしめて深く息を吸い込んだ。暗く湿った冬の匂いと、オリガの甘い匂いが混じって落ち着く。心が張り裂けそうに痛かった。オリガが好きだ。オリガのことを愛している。であればやらなければいけないことは一つなのに。
「アレグ、いいよ。大好き、戻ってきてくれたからそれでいい」
オリガの指がアレグの髪をゆっくりと梳く。その指が愛おしくて、後ろめたくて、胸が締め付けられるように痛い。アレグが何度別れを切り出してもオリガは首を縦に振らず、「今回だって一緒に乗り越えられる」と励ましてくれる。でも、そうではないのだ。彼女はきっと、アレグの父のことを言っている。でも違うのだ。父の死から引き起こされた、今自分が渦中にいることの方が耐えられないのだ。
オリガのことを抱きしめるたびに罪悪感が募り、彼女が抱いて欲しそうにするたびに浅ましい自分が重なる。少し前だったら、こんな風に抱きつかれていればぐるりと体勢を入れ替え、あっという間に一つになっていただろうに。
オリガの柔らかい唇が、アレグの唇にそっと押し当てられる瞬間、アレグはそれを思わずかわしてしまった。
自分の唇は……、身体は、誰よりも汚れている。1週間で何回、この喉を陰茎で擦られたのだろう。何回卑猥な言葉を吐いたのだろう。粗相を自分の口で始末し、二度と同じ過ちを繰り返しませんと嘯いたのだろう。
オリガ、こんなに天使のような彼女にこの汚れた手で、身体で触るべきではない。
「、ごめん、そう言うわけじゃ」
「最近謝ってばっかりだよ、大丈夫、気にしないで」
「おれ、本当にダメになっちゃったんだ。オリガ、本当にごめん。本当におれの事はもう構わないで」
「ううん、それだけはできない。二歳から一緒にいたの。例え今みたいな関係にならなくても、友達として心配する。わかる?普通一週間も勝手にいなくならないから」
オリガは小さく震えるアレグの手を何気なく視界に入れて、自分に言い聞かせるともアレグに言い聞かせるとも取れるように呟いた。そう、アレグはあまりにも何かを隠しているのだ。
「私たち、幼馴染でもあるから。そう簡単には離れないから!……、私もごめん。急ぎすぎた。とりあえず課題は終わった?」
「まだ課題がちょっとだけ残ってるんだ。そのあとチームにも顔出して練習に参加しなきゃいけない」
「じゃあ図書館に一緒に行って、課題終わらせちゃおう」
情けなそうな表情をしたまま、微かに震えているアレグの頭を抱え、頭頂部にキスをする。そう、私たちはきっと大丈夫と願いを込めて。
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