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第4章 F論捨意地(エプロンステージ)
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方々に土下座して回らなきゃならなくなった。ボスがどこからともなく拉致ってきた少年に昏々と入れ込んでるお蔭で。
先代は結論が出たからこれ幸いと何も口出ししなくなった。
「おんなじことしてたんじゃ世話ねえな」とのこと。
先代とその側近との関係。
それはそれだが。
これはこれで。
「至急あの少年の素性を調べます」
「調べてなかったのか」文句や非難、というより。「どうしたよ。らしくもねえ」心配されている。
どうしたのだろう。前代未聞だから?
前代未聞だとしてもその前代未聞に対処するのが私の役割であり。
「失礼します」早く戻ってさっさと調べなければ。
「あんま根詰めんなよ。無理すんなっつうこったな」先代は最大公約数で考えるが。
その側近は。「よろしいですか」
最小公倍数で考える。
靴を履いていたら呼び止められた。
「ご心配をお掛けしていて心苦しいですね」
側近が単体で行動することが相当の異常事態だとみるか。先代がそれほどのことだと捉えていないので勝手にしろとの無関心的黙認を得てここにいるとするのか。
差はないか。
どちらにせよ、私は。「疲れてますかね」
「退院したのでしょう?」スサのこと。
「これでも長くもったほうだと思われます」
丸三日。
本人に尋ねたら、爆睡していて気がついたら三日経っていた、とのことだった。
側近がメガネのブリッジを触る。「あなたに負荷をかけすぎているのだとわかってはいるのですが」ボスの監視役。「あなたに頼るほかない。何かあったら直ちに」報せろ。
それができるから、
私は。「承りました」まだ生きている。
天性の勘。みたいなものはボスの専売特許だが。
経験に鍛えられた予感。みたいなものは私にも備わっている。それが鈍らされている。
何か阻害要因によって。
それがなんなのかわからない。わかったときには手遅れのような気もする。
それでも探らないわけにはいかない。
波形を歪ませる謎の怪電波の正体は。
「遅かったな」スサが眠い眼をこすりながら待っていてくれた。
事務所。
「ボスは」自室だろう。「例の少年も」
「お楽しみ中、にしちゃあ静かなんだよ。さっきもよ、一緒に飯食ったんだが。あいつの手料理でさ。これがけっこう美味えんだ。てのはどうでもいんだが」
「コーヒー?」
「いんや。付き合えなくて悪いが」
自分の分だけ淹れて向かいのソファに座る。
スサは大あくびを噛み潰している。そのくらい静かで。コーヒーメーカのほうがうるさかったくらいだ。
本当に、何を。
しているのだろう。
「のぞくわけにいかねえしなあ」スサが、隣室につながるドアをしゃくる。
「やろうか」
「おいおいおい。そりゃいくらなんでも」
「これが仕事なんですよ、一応」だから私は嫌われる。好かれようとも思ってないから尚のこと疎まれる。
ボスのデスクの奥の壁に隠し扉がある。もしものときにそこから外に出られるようになっている。これまでにそこを利用しなければならなかった緊急事態は発生していないが。これからもそんなことは起こってくれないに越したことはない。
一階は、大きく分けて三部屋。
正規の出入り口を手前に、応接、台所、ボスの自室。この順で面積が広くなる。
フロアの東側に通路が貫いており、その突き当りが裏口。三つの部屋すべてに隠し扉が存在し、どこから出ても裏口から出られる運びとなっている。
裏を返せば、応接室の隠し扉を使って、二つ隣のボスの自室に入ることもできる。のだが、それをやるとボスは鬼の如く怒る。そもそも鬼だとかいう噂もあるくらいで。黒い。
「静かにお楽しみ中だったらどうすんだよ」スサは本気でやめろと言っている。
ボスの部屋の隠し扉は、ボスの寝室にある。
そんなこと誰だって知っている。
ボスの部下なら。
「私は部下ではないので」
「んなこと関係ねえだろうが。やめとけって。明日んなりゃ」
「明日じゃ遅かったとしたら?」
スサが眉をひそめる。「やっぱそうなっちまってんのか」
「勘繰りすぎだったらいいんですが」調べてきたものを手渡す。
スサとて勘繰っていないわけではなかった。勘繰ったからこそボスに全治二ヶ月を負わされた。57日も早く帰ってきたが。
「自主退学?つーことは」学ランは。「コスプレかよ、うーわ」
「あの服しか持っていないのかも」家族構成を指す。
両親は二年前他界。同日に。
「事故かなんか」スサが紙を捲る。
「現在捜査中だそうで。いまのところ」
自殺。
「おんなじ日ってことは、心中じゃねえの?借金苦とか」ははは、とスサが笑う。自分の職業を皮肉っている。「げ、マジかよ。俺らんとこじゃねえよな」
「残念ながら」最後のページを捲らせる。
「どっちの意味だよ」
二年前、
回収し損ねたカネ。債務者死亡によって。
しかし、間もなく利息分も含めて一括で返済された。
保険金ではない。連帯保証人によって。ボスの手を煩わせることもなくスムーズに返済が行われた、むしろ稀有な例だったのだが。返してもらえればこちらとてどんな汚いカネだって構わない。
済んでいる。すべては終わっている。
「両親の敵討ちでもねえだろうに」スサが爪の先でぺしぺし紙の束を叩く。
「そこなんですよ。どうして今更」二年も経って。
「二年かかった、てのはどうよ。俺らんとこ突き止めるまでに」
「そんなにかかりますかね」それが納得いかない。「行ったことないです?」取立て。「そのときに名刺とか置いてこないですか」
「俺は行った憶えねえが。二年前だろ?どいつんなってた?」担当。「ああ」
わかったようだった。ボスの管轄で、スサが担当でなければ。
残りは。
「遠征中でしたね。いつ戻られるかは」
「さあな。気紛れだかんな。わかりゃ苦労しねえよ」
スサがボスの右腕なら、
ダイは。
口?
マイナスをゼロに戻すのがスサの役割だとしたら。
ダイは、現状がマイナスだろうがゼロだろうがそこからプラスを生み出すのが仕事。
〝ない〟という大前提があって初めて動くのがスサであり、
あろうがなかろうが過剰に〝ある〟という状況を作り出すのがダイの得意技。
「あれ、忙しかったんですか?」おかしい。取立ては主にスサが。
「二年前だろ?そんときゃ別にいまみたいにしてなかったんだよ。知らねえか」
「ボスの監視が仕事ですので」
二年前だろうと今だろうと変わらない。
本当に静かだ。
一つ部屋を挟んでいるとはいえ、クウが来ているときは。それなりに物音や声がする。声の出処はボス以外だが。
「付き合わせてごめん。いいです。休んでくれて」
「お前だけの責任にできない」手の内が見透かされてる。
スサが眠っている間に起こったことなら、スサの責任にはならない。
「また病院送りにされても悪いですので」
「だいじょーだろ。階段ねえし」連帯責任を取ってくれようとしてる。
この情の厚さが、私には重荷なのだが。
「本気だと?」
「じゃなきゃこんなとこ連れてこねえって。あんな楽しそうに飯喰らってるボスはちょっと見たことねえよ。いまのうちにゴマすっといたほうがいんじゃね?」少年に。
「先代と同じなんですかね」
「そっくりだと思うがな。人の話聞かねえとことか」
右腕がそう言うのなら。
そうなのだろう。
「犯罪ですよね」未成年。
「ソンザイがハンザイみてえな俺らにはぴったしじゃね?」スサはとっくに順応している。認めている。
スサは基本、ボスがよければそれでいい。ボスの人柄に惚れてどこまでも付いていくことを決めた人なので。
「いままでよくわかんなかったんだよ。あいつがさ、なに見たいのかが。そいつがようやく見えたような気がすんだ。俺はさ、あいつが見たいもんが見たいと思うわけだ」だからこそ。「邪魔しねえでくれるか。静かにお楽しみ中なとこを」
責任は。
自分に被せたい。
スサは確かに、ボスの右腕なのだから。
「わかりました。私も休むことにします」
「悪いな」スサも楽しそうだった。きっとボスもそんな顔で。「おやすみ」
裏口の手前に階段があり、二階に上がれる。上のフロアも同じく三つに分かれているがこちらはすべて同じ面積。だと思う。比べたことがないのでわからない。
階段に近い順で、スサ、ダイ、客間。つまり、
ボスの部屋の真上がスサ、台所の真上がダイ、応接室の真上が客間となっている。
私は客間を借りている。私のための部屋ではない。たまたまそこが空いているので置いてもらっているだけで。
「んじゃな」スサが部屋の入り口で手を振る。
「ああ、はい。おやすみなさい」
「すっきりしてねえ顔だな」
すっきり。するわけがない。
「元々こんな顔ですので」向きを変える。
私の部屋は、
そこではない。
「入るか」
「お構いなく」その気がないのに。
招き入れてどうしようと?
「あーまだあのこと」
「憶えてるんだったら」やめてほしい。
私はこんなにも耐えているのに。
「そうゆうイミじゃなくてな。気になるんだったら」ボスの部屋の真上。「聞きゃ気も晴れっだろ?」
「止めたじゃないですか。さっきのは」だからしぶしぶ部屋に戻ろうと。
「気配消せねえだろうがお前。ケガすんのは俺だけでいんだよ」
そういう意味だったのか。
わかりにくい。
「もういいです」
「納得してねえんだろ?だったら」肩を摑まれる。「信用させろよ。お前、部下じゃねえとか抜かしてやがったがな。先代になにいわれてんのか知らねえが、俺は」
肉に食い込む。痛くない。といえば嘘になるが。
私には、
この距離のほうが痛い。
「放してください」
「どうせぐだぐだ考えてて寝れねえよ。確めてけ」
ボスが少年に入れ込んでようが、本当はどうだっていい。
私は監視役なので。あったことを、ありそうなことやこれから起こり得ることを。先代につぶさに報告すればいい。
私がすっきりすることは、
未来永劫あり得ない。
「あのこと引っ張ってんなら」
引っ張るに決まっている。
「わかってるじゃないですか」
抉らないでほしい。
そうっとしておいてほしい。
触れないで、忘れてほしい。
「放してください」
「好きなんだろ?」
そういうところが。
「だったら?」
「ヤっちゃえば?」スサの声じゃない。後ろから聞こえた。
後ろ?
スサの部屋と客間に挟まれた。部屋にいる。
「スサもさ、男だとか意地張ってないで。いー加減新たな一歩踏み出しなって。モロちゃんけっこうイイよ?」ダイが、ドアを開けてのぞいている。
度重なる脱色のせいで髪は真っ白。肩をはじめとする骨格が意外にがっしりとしているのだが、顔だけなら年下のスサより断然幼く見える。人畜無害そうな垂れ目がそれを増強して。そうやって油断させる。
9割は騙される。
騙されないほうが。悪い。
「なんでお前。えんせーじゃ」スサが私を突き飛ばして。ダイに詰め寄る。「帰って来てんなら顔出せよ。つーか聞いてんじゃ」
「まあまあまあまあ。じょーじがあったりなかったりでね。あ、じじょーか」
「知るかよ。ボスは」知ってるのか。
「だからね、じじょーがあったりなかったり、てわけだ」ダイが私の肩に手をかける。
まったく気配を感じなかった。
気づいたら、手が。
「聞きたい?」僕に言った。
「顔出してねえんだな?」
「明日出すよ。もー疲れちゃって疲れちゃって」
息が耳にかかる。
顔を背けても意味がなさそうだった。
「こっちで確めてってもらっていいかな。そのケがないみたいだから」
「好きにしろ」スサは自室に戻ろうとする。
止めてくれない。期待するほうが間違ってる。
「だから断られるんだよ。力づくの使いどころをわかってない」
「使いもんにならなくしたら殺す。てめえみてえに下半身で行動してねんだよ」スサの部屋のドアが勢いよく閉まる。
耳鳴り。ドアの軋んだ音というよりは。
「よかったねえ、モロちゃん。心配してくれてんだよカラダを」撫で回す。
首筋がひんやりする。
舐められた。
「私にもその気がないんですが」鳥肌が立った。
「ボクにもないよ」あっさり解放。「おみやげあんだけど、来る?南の島のさ」
あくまで自分の意志で部屋に引きずり込もうとしている。
「その割に焼けてませんね」
「カントクは焼けないんだよ。乗り物酔いが酷くってさあ。さっきまでぐーすかぴーと寝込んでたわけね」
「その乗り物は?どちらに」
わかっている。
「わかってること訊かなーい」ダイは、私を。
便利な乗り物くらいにしか思ってない。
「ノり捨ててきたよ。現地解散。いまごろノりまくられてんじゃない?エンジンぶっ飛ぶまでさ」私にもたれかかる。「モロちゃんいーにおい。アイドリング中?」
「どこから聞いてました?」スサに話した内容。事務室で。
「ボスが本気だって?」笑い飛ばされる。いま引っ込んだばかりのスサが怒鳴り込んできそうなくらい大音量で。「本気?あのボスが。ないない。ないね。おーかたノってないんじゃない?ノってないってことは、まあそゆこと」
本当にそうだろうか。
そのくらい大切にしているということは。
「げんそーだよ。アイとかコイとか。教えてあげたじゃん。もっかい」オシえてもらいたいわけ?
2
一睡もできなかった。寝息とか寝返りとかもろもろがモロモロで。
俺がでっかすぎるので間違って潰しちゃいけないので、ベッドを譲ったわけだったのだが。寝相が悪いのなんのって。落ちて気やしないかとひやひやもんで。
あーよーやく寝れそう、とか思っても。妙な物音が。かたかたがたがた。
いっそ寝るのをやめることを思い立って。ベッドの傍らで万一に備えて構えていたわけなのだが。寝顔くらいしか見るものがなくて。寝顔なんか見るんじゃなかった。
クウ呼ぶか。
生理だとかなんだとか。
知るか。んなもの来るわけがない。追っかけたって全速力で逃げる。
ただのヘンタイだろう。俺が。
バレなきゃいい。要は、
見つからなきゃ。寝てるんだ。こいつは。
至近距離でまぶたを見る。だいじょぶ。狸寝入りではなさそうだ。
寝てるということは。いやいやそいつはさすがに。
ダメだろう。もういろいろが。
この部屋の隣の隣にスサがいる。今日あたりモロギリだって帰ってくる。センジュカンノンにあることないことチクって。同棲だ?
居候させてやってるだけだ。ただで置いてやってない。
家事をやると申し出てきた。やればいい。住み込みで家事を手伝う。
それだ。
なんもやましいことはない。
ただ急だったからまだ部屋を用意してなくて。仕方なく俺の部屋で寝てもらってるだけだ。部屋が用意でき次第、そっちに移ってもらう。つもりだ。そうゆうことだ。
なんでこんな喉が渇くのか。
なんでこんな首がむずかゆいのか。もっとかゆいとこは別にあるのだが。
手が出てた。
引っ込める。とまたもう片方の手が。
叩く。
なにやってんだか。時刻を確認したいがもしそれで朝までだいぶあるとしたら。
まだしばらくは夜だとするなら。
布団を直すだけだ。寝相が悪すぎるので布団があっちこっち。掛けなおすためには。
いったん、
捲り挙げる必要はない。ないだろう。ないのだが。
布団を床に捨てる。邪魔だった。
上を脱ぎ捨てる。邪魔だった。
彼は、着替えも何も持ってなかった。一張羅がしわになるのを気にしていたので。俺のシャツを貸した。勿論でかすぎる。下を履かずとも十分ひざまで隠れる。
彼は寝相が悪い。
首元は肌蹴け、白い。太ももを遮るものは。
どうしたい?
最終確認するまでもない。
これでやらなかったら。
モロギリの言うとおりだ。布団を掛けなおす。
どうかしている。
アタマを切り替えたくてシャワーを浴びる。白いもんが流れてもどうでもよかった。垂れ流しといた。排水溝に吸い込まれればおんなじだろう。
よけい火照った。バカくさい。
なんでやらない?やりたくない?
わからない。
布団を剥ぐまではそうだったかもしれないが。いざ布団を剥いだら。
失せた。意識がない相手に云々しかも十以上も歳下のガキてのよりは。
やりたくなかった。まだ。
やりたくなるときが来る。
まだそのときじゃない。いまはまだ。
「何時?」
起きた。らしかった。
彼が。
ここからじゃよく見えない。視界がぼやける。髪を拭ってないからかもしれない。
「何時なん?」心の底から時間を知りたい。という口調じゃなかった。
俺が起きてるかどうか。確めたい。
起きていた場合にも、起きてなかった場合にも対処できる。
起きてたら俺が時間を答えればいいし。起きてなかったらそのままスルーして。
上体を起こす。彼は、きょろきょろと周りを見回して、一張羅に着替える。
勝手のわからない部屋で、満足な照明がないにもかかわらず。自分の服を着るのに手馴れていた。一度や二度じゃない。
嫌な予感がして。「どこ行く」声を発する。
「ああ、いてますやん。おはよーさん。シャワーやったん?」
「どこに行くと聞いてる」誤魔化された気がした。「早く起きろといった憶えはないが」
「なんやら気ぃに障らはったん?」
気に障るとかそうゆうことじゃ。
なくて、ただ。
「とにかくまだ寝てていい。どこへも」行くな。
「濡れるん困るんやけど」
抱きついていたことにようやく気づく。
「悪い。ごめん、そんなつもりじゃ」
じゃあ、どんなつもりだと?
わからない。
わかる日が来るだろうか。
「朝飯、なにがええやろか?」
「お前」
「けったいなことゆわんといてな。食べれるもんで」
いまのが冗談ではないと受け取ってもらえるまでは。
たぶん、
どこにも行けない。
3
寝られやしねえ。壁がペラすぎるし、わざと壁際でやってやがる。
早々に諦めて部屋を出る。
廊下にもだだ漏れ。真下にも聞こえてる。はずだが、
ボスが静かにお楽しみ中だってんなら。
どうだっていいんだ。どうしろってんだ。
ボスの部屋のすぐ横を素通りして台所の隠し扉を通過。応接。
テーブルに出しっ放しだった。モロギリがご苦労にも調べてきた紙の束。
出しっ放しとはこれまた。ボスの机に置き去りにするならわかる。視界に入れるかどうかはビミョーなとこだが。
これまた珍しい。片付けてってない。
モロギリが淹れてったコーヒーは、買ってきたまま長いこと冷蔵庫に入れっぱで買ってきたことすら忘れてたみたいに冷え切ってた。ホットよか喉を通りやすいのでもらうことにする。どうせ俺が飲むだろうと思って残しといてくれたとか。
そこまで予測できてたならなんで。
こっちは。
読む前にぐっちゃにしてどうする。そいつはボスがやってくれる。机に置いとけば。
だから俺がやることは。こいつをシュレッダにぶち込むことじゃない。
絵に描いたような不幸なやつだった。
名前なんか憶えると情が移るのですっ飛ばした。
確かに俺はこいつを担当ってない。俺じゃなきゃダイだが、ダイのやつがいちいち憶えてるかどうか。
憶えてないな。済んでんだから。
済
てゆうハンコを押して、あの神経質が服着て歩いてるみたいな先代の側近がきっちりあいうえお順に並べてる。
そっからわざわざ引っ張り出すまでもないような内容だったんだろうが。わざわざ引っ張り出したんだろう、
モロギリのやつは。
どう考えた。こいつを読んで。それを聞きたいが。聞いたような気もするが。
仇討ち?にしちゃやっぱ遅い。いまさら感が強すぎる。
わかんねえ。
あのガキが不審な行動を取り次第始末するのが筋なんだろうが。そしたら、
俺がボスに殺される。俺だけじゃない。モロギリもダイも。
どうすりゃいい。
ボスがよければ俺もいいんだが。そこに付け込まれてぐさりとやられたら。
ボスは甘んじて死んじまうかもしれない。たぶん、
ボスを殺してガキも死ぬ。そんだけの覚悟がなきゃんなこと思いつかない。
ガキを殺せば俺が死ぬ。
ガキを生かせばボスが死ぬ。そんでガキも死ぬ。
どっちにしろガキは死ぬ。そう長くない。
んな長いこと耐えられるわきゃない。
親の仇だぞ?
俺だったら。そっこーケリ付けたい。
てっぱやくなんかしら動くか。そいつを見逃さないように。そんだけ。
ボスが死ぬのは俺が困る。俺が死んでボスが生き残るのはいいとして。
生かすべきはガキじゃない。
事務所の電話が鳴った。留守電になってたが、ヤな感じがして。
「あい?」せめて非通知かどうかだけでも見とくんだった。
非通知。
「夜が長すぎやしませんか。なかなか朝が来ないでしょうに」知らない声だったが、面倒ごとを持ち込もうとしてるのだけはわかった。
「フツーのとこは時間外じゃねえかな」
「営業時間が明記されていなかったもので。普通の、つまり世間一般では非常識な時間でしょうが申し訳ありません。世間一般から逸脱しているあなたがたの組織では無関係かと思われましたので」どんだけケンカ売ってんだ。
「ボスなら寝てる」
「アポを取りたいと思いまして。いわば前置きです。前座で結構ですよ」
「前座で悪かったな。まずやらなきゃなんないことをすっ飛ばしてる」
「おはようございます?」
「もういいや。で?前座に言伝といてほしいことは」
「でき得る限り早急に予定を空けていただきたくお電話差し上げました。可能でしょうか」こいつは、できるかできないか。なんか聞いてない。
作れ。
作らなくても無理矢理押しかけるからそのつもりでいろ。そう言ってる。
「世間一般から外れてるとこなんざ世間一般のジョーシキは認めねえと」
「ご理解が早くて好ましいです」
相当セーカク悪い。おまけにアタマもいい。相手の出方を百手先まで読んでやがる。
俺の一番苦手なタイプ。
「言伝は伝言しか責任もてねえが」
「結構です。あなた方のボスは、必ずや私に会いたいと思われるでしょう」その自信はどっから来る。「根拠を申し上げましょうか」
ほらやっぱ読んでやがった。
詠んだついでにここいらで一句。
ピンポンが。
鳴った理由がわからない。
「そちらでご厄介になっている、私どもの」
シャイン?死ね。
「殴り込んだとこ間違ってねえかな」
「社長の慈善活動についてお詳しいでしょうか」返事を渋ってたら勝手にゴーサインかなんかだと取られた。「二年前に救った少年が、つい先日より行方不明なのです。うちで貸していた部屋も蛻の殻。ケータイもどういうわけか繋がりません」
どういうわけか。
知ってる口調だった。知ったうえでわざと。
俺の反応を見てる。俺がどこまで関わってるか。
どこまでも関わってないんだが。
「やっぱ間違ってねえかな。事務所違いとか」
「彼の不在を証明できますか?私がそちらを訪問する以外に」
ピンポン。
ピンポン。
もっかいなったらピンポンダッシュってことにしよ。
「ボスの寝起きの悪さを知ってるんなら。悪いこと言わない。出直したほうが」
ピンポン。ダッシュに決まり。
「二年前に亡くなった彼の父と、社長の母上様、すなわち会長は、社長が生まれてすぐに離婚しています。それについての詳細はここでは触れないとしまして」
応接と台所は、三つのドアで行き来できる。
簡易キッチンの横。これが通常。
ボスのデスクの裏。これが異常。
洗面所とトイレに。これが非常。そこからボスが出てきた。「どっからだ」
それなに?自分のやったことについてセルフツッコミ?
なんつータイミング。
いつもこの時間寝てるだろ。
とにかくいまはダメだ。引っ込め、という意味のジェスチュアを。
したけど、寝起きのボスに何言ったって無意味。「どっからだって」
ピンポン。
ぽんぽん。ぴんぽん。
「家主に許可をいただけますと嬉しいのですが」
「だれと話してやがんだ」貸せ、と有無を言わさず奪い取る。ボスのだるそうな顔色は。
そんなことくらいじゃ変わらないが。
「用があんならてめえで来いっつったろ。あ?知るかんなこと」ボスには心当たりがあるらしい。
社長。慈善活動。と聞いて思い当たるのは、
一人くらいのもんだが。
「そこ」俺は口パクで知らせる。
電話かけてる相手がドアの向こうに突っ立ってることを。
んなことわかってんだよ。といわんばかりに、ボスは。
玄関と反対側をしゃくる。見てこい?連れて逃げろ?
どっちでもなかった。
「茶ぁ、くんでこい」受話器を置いて玄関を開けにいく。
いいのかよ。
「早くしろ。客だ」
いいのかよ。「わーったよ」知らねえからな。
知ってるだろ。
俺が茶なんかいれたことねえの。
4
某不動産会社の本社ビルに出入りしなくなったかと思えば。
某店舗型風俗店で一日体験雑用をしてみたり。
某悪徳高利貸しの事務所で住み込みの家事手伝いをやりだした始末。
どーなってんだろね。
知ってんだけど。尾行してるから。
てきとーに巻き込んだ新入りの部下は、のんきにあくびなんか噛み殺している。殺したほうがいい。
殺されるから。
上司に。「ぜって眼ェ離すなよ」
しばらく寝るから。
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