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第27話 想う人1

◆◇◆ 「ヤンが陽太の体を乗っ取った?」  ウルの傷は回復したが、ダメージがかなり大きかったため、昨夜は浄化の後もあのまま目を覚まさなかった。そのため、夜の話し合いは翌日へと持ち越された。  綾人も初めての浄化を終えてからはぐったりとしていたため、貴人様と入れ替わって戻ってきたタカトに寄り添ってもらい、朝までぐっすり眠った。  タカトが目を覚まし、綾人の髪を撫でている時に、瀬川が唸り声を上げながら目を覚ました。そして、自分の隣で穏やかな寝顔を見せている陽太の顔を見て、深い安堵のため息を吐いていた。  今なら落ち着いて話せそうだなと判断したタカトは、陽太と二人でいた時に何があったのかを瀬川に訊ねることにした。その回答が、乗っ取りだという。 「それって、記憶が戻って入れ替わってたってこと? 俺と貴人様みたいな感じ?」 「いや、記憶が戻っただけならこんな風にはならなかったはずなんだよ。というか、あれは俺が知ってるヤンじゃなかった。人格の入れ替えだけなら、合意の上で起きることだろ? でも昨日の入れ替わりは、明らかにヤンが陽太を押さえつけて強引に出てきた感じだったんだよ。そこまでして表に出て来たのに、俺との再会を喜んでる感じじゃ無かった。だからちょっと確かめたいことがあって、賭けに出たんだ」  瀬川は陽太の髪を指で梳きながら、心配そうに顔を眺めている。時折我慢できないように辛そうな表情をして、ぎゅっと目を瞑っては被りを振っていた。何か思い出したく無いことがあるのか、それは起きてから何度も繰り返されている。 「今は陽太として眠っているってことであってる?」 「おう。額の模様も消えてるし、表情から判断しても陽太だと思う」  二人で話していると、「ふあああー」と伸びをしながら、水町が目を覚ました。  昨日、綾人が眠った後に女子の部屋に行き、全員でこの部屋に集まり結界を張って眠ることにした。それは貴人様からの指示だったのだが、その指示を最後に貴人様は現れなくなっていた。  そのため、この結界が何のために施されたものなのであるかを知る者は、まだいない。 「おはよう。結局貴人様はお戻りになってないの?」  水町がタカトの右目を見ながら訊ねた。右目はあざに囲まれていて、それがタカトであるということを示している。  タカトはベッドに腰掛けたまま、寝ぼけて足にしがみついてくる綾人の背中をポンポンと叩いていた。綾人はそれを喜んで、タカトの足にスリスリと頬擦りをする。タカトはその姿を愛おしそうに見つめながら、水町に答えた。 「うん。あのまま戻って無いよ。きっと何か一人で抱えているものがあるんだと思う。最後に俺の体から抜けていく時、ものすごく悲しい気持ちが伝わって来たんだ。だから、昨日の浄化した相手というか、払ったもののこと、本当は払いたくなかったんじゃ無いかなって俺は思ってる」  タカトは、綾人の金色の髪をサラサラと手で梳きながら、水町に答えた。ぐっすりと眠る綾人は、口を半開きにして涎を垂らしながら眠っている。気を許してくれている証拠だなと思うと、とても嬉しかった。  ただ、それと同時に綾人の罪滅ぼしは終わりに近づいていることを知り、別れが迫る寂しさを抱えていた。その気持ちを水町に伝えると、「それはすごくよくわかるよ」と答えてくれた。 「どれだけ諦めようとしても、この温もりに触れられなくなる日が近づいてるってことだけは、どうしても受け入れ難いよね」  水町は悲しそうに眉を下げてそう呟いた。それでも、今ここにいる綾人との関係性を悪くしたくない思いも強いらしく、パチンと綾人の額を弾いて笑っていた。 「で、ヤンが陽太の体を乗っ取っていたとしたら、どうやってそれを止めさせたわけ?」  悲しみを振り払いたくなって、タカトは話題をヤンの話に戻した。上半身裸で寝ていた瀬川に自分のTシャツを投げ渡すと、瀬川はそれを受け取り、「サンキュー」と言いながら素早く袖に手を通した。  そして、しばらく逡巡していたのだが、とても言い難そうに口篭っていた。 「えーっと、まず、あのヤンは正気じゃなかったってことが前提だからな」 「正気じゃなかった? 自分から現れて来たのに?」 「そう。さっきも言ったように、行動がおかしかった。ずっと俺のことをひたすら誘惑し続けてた。碌に話もせずに」 「誘惑? 数百年ぶりに再会して、いきなり? 会話もなしに?」 「そう」 「お前が今世でヤンに出会えなかったのって、あっちがお前のことを忘れていたからなんだよな? それが、いきなり現れて……どういうことだ?」  理解が及ばないといった顔をしているタカトに向かって、瀬川は苦笑いをしながら「変だろ?」と言った。その顔は、ひどく傷ついていた。 「お前は忘れられずにずっと探していたのにな。再会した途端にいきなり誘惑って、なんか軽く見られてるような……ちょっといやだな」  タカトは呟いた後に「あ、ごめん」と瀬川に謝った。やや物言いがストレート過ぎてしまい、配慮に欠けたと思った。 「いや、俺も実際そう感じたから。なんかこう、色魔って感じじゃ無いけど、それしか頭にないような感じで。俺が知ってるヤンはそんなタイプじゃなかったしな。違和感しかなくて、全く嬉しくなかった」  瀬川は右手で陽太の頬に触れた。陽太はその手を、気持ちよさそうに受け入れていた。瀬川はその陽太を見ながら目を細めて、先を続ける。 「俺が貴人様から聞いた話によると、俺が死んだ後に幸野谷百合子の転生者に唆されて、陰間やってたらしいんだよ。その影響なのかもしれないと思ったんだけど……そうじゃなかった」  瀬川は右手で陽太の頬に触れたまま、左手の拳をぎゅうっと握りしめた。そしてギリギリと歯を食いしばると、窓の外に広がる青い空を睨みつけながら吐き捨てた。 「あの女、ヤンを操作しながら、一緒に陽太の体に入り込んで来てたんだよ。そのままにしておくと、体を完全に乗っ取られる危険があった。陽太は一度呪玉に晒されてたから、呪いに流されやすくなってるんだ。だから、貴人様を呼ぶ時間も惜しくて、俺がそのまま直ぐに浄化した。とりあえず、百合子を追い出すことにしたんだ」  日の光に照らされた陽太の首元に、小さな赤紫色のアザのようなものがあった。タカトはそれを見つけて、瀬川の話の意味を理解した。 「瀬川の言う浄化ってもしかして……」  瀬川は苦痛に顔を歪めながら首を縦に振った。それを人に話せば、もう無かった事には出来ない。身体中を刃物で刺されるような痛みが駆け抜けていく。  それでも、ここから先の話をする上で、これは隠しておくべきことではないと考え、タカトには全てを伝えることにした。 「俺が呪いを払うには、方法は一つしかない。対象者の体内に吐精する……そのために、昨日陽太を抱いた。でもその時、陽太の意識はほぼ無い状態だった。だって、俺は百合子に操られている状態のヤンを抱いたんだから。ただ、最後の方では陽太と会話することもできた。だから、何が起きたのかは、陽太も知ってる。ただ、あれは俺たちの意思でとった行動なわけじゃない。だから……、だから、陽太が目覚めた時に、どんな顔をしたらいいのかがわからないんだよ。陽太の体には、痕跡が残ってる。どう思うんだろうかって……申し訳なくて」  タカトと水町は、今にも泣き出しそうな顔をした瀬川を気の毒に思った。  陽太は陽太として瀬川を愛している。百合子に取り憑かれていたとはいえ、その陽太を利用して、ヤン自身の欲を満たしたということになる。  陽太の体を利用して、陽太ではない人格と瀬川が繋がった。ほぼ覚えていないのに、体には痕跡が残っている。それはとても当人を傷つける。そのことを誰よりも理解でるのは、タカトだった。 「あー、俺は陽太の気持ちをわかってあげられると思うんだけど」  水町と瀬川は「どうして?」と尋ねてきた。だから、以前、綾人と触れ合った痕跡はあるのに、その記憶が無い状態が続いたことを伝えた。  綾人に浄化を施すのは貴人様、でもそれをしている体はタカトのもの。痕跡があるのに記憶がないと言うことは、耐え難い苦痛なんだということを二人に伝えた。  瀬川はそれを聞いて俯いた。陽太の頬に添えていた手を引っ込めて、その手で自分の頭を抱えた。仕方が無かったとはいえ、取り返しのつかないことをしたのだと、改めて痛感したようだった。 「何が気になるかって、その直前に話してたんだよ。俺はヤンの代わりに陽太を抱くことはない、って。そう言ったばっかりなのに……なんでこんな方法しか取れなかったんだろう。貴人様を呼べばよかった」  深い悲しみに暮れ、嗚咽を漏らし始めた瀬川の頬を、ぼろぼろと涙が零れ落ちて行った。  それはそのまま下で眠っている陽太の顔に落ちていく。落ちた涙が頬を伝わり、シーツに落ちてシミを広げていく。それはさながら、昨日の陽太のようだった。  瀬川に、ヤンの代わりでもいいと叫んでいた陽太の足元にも、涙がつくったシミがあった。瀬川はその光景を思い出して、胸が潰れる思いをした。  タカトと水町は、ただ黙ってその様子を眺めることしかできなかった。瀬川の悲しみがどれほどのものなのか、水町にはわからない。タカトも似た気持ちになったことはあるが、完全に理解できているわけではない。  何百年も待ち侘びた再会が汚され、その原因が自分にあると思い悩んだことなど、これまで一度も無いからだ。ただ、タカトには一つだけ自信を持って言えることがある。それは伝えておこうと思い、口を開いた。 「瀬川、でも俺はそのことを今はもう気にしてないよ」  瀬川は何も答えなかった。ただひたすらに涙を流しながら、陽太の顔を見ていた。陽太の頬には、瀬川の涙が雨のように降り注いでいる。 「上書きすればいいんだよ。俺はそうしたよ。お前もそうしろよ」  タカトの言葉とは思い難い、乱暴な表現だなと水町は思った。それはきっと、彼なりに悩み抜いて出した答えなのだろう。なぜなら、そう語るタカトの目には、少しの迷いもないように見えたからだ。   「上書き? もう一回やれってこと? 陽太はヤンの代わりになった事が辛いと思うんだろ? 回数の問題じゃ無いだろ?」 「そんな事言ってない。だって、お前は偽物のヤンを追い払うためにやったんだろ? その時思っていたのは誰だよ。陽太だろ? ヤンを思ってヤンの代わりに陽太を抱いたんじゃない。陽太を想って、陽太のためにしたことだ。それ自体を悪いことだと捉えないで、これから先にもっといい思い出を残していくんだよ。多分、陽太もそうして欲しいと思ってると思うよ。この事が原因でお前が離れていく方が、陽太にとっては辛いと思うんだけど」 ——記憶が無い時にしたことを許してまで、俺と一緒にいてくれるのだろうか。  瀬川は、その点で自信が無かった。自分の判断が間違っていたと責められることが怖かった。 「俺の判断が間違ってたかもしれないのに、陽太は俺と一緒にいたいと思ってくれるのか?」  陽太の顔に向かって瀬川は問いかけた。溢れた涙がまた、陽太の顔に落ちていく。頬を滑り、シーツへ落ちていく水滴が幾筋かに別れ、耳を伝って行った。そのうちのほんの僅かが、ピアスを濡らした。そして、血を吸い込んだ時のように、瀬川の涙を吸い込んでいった。そして、あの時と同じように、ギラリと一つ、嫌な光を放った。  瀬川はそれを見逃さなかった。このピアスが瀬川の体液を吸い込むと、それが引き金になってヤンが呼び起こされてしまう。 「タカトっ! 綾人を起こせ! 」  瀬川はタカトに警戒するように呼びかけた。水町は瀬川のその形相に驚き、すぐに立ち上がって身構えた。陽太のピアスからはシュウシュウと音を立てて、水蒸気のようなものが立ち上っている。 「綾人っ! 起きろ! 今ここで戦えるのは俺とお前しかいないぞ!」  瀬川は綾人に向かって大声で吠えた。その声に合わせて、タカトは綾人の頬を叩いた。「うう……、なんだようるせえな……」と言いながら目を覚ました綾人の目に飛び込んできたのは、水蒸気のような物体が人間の形をして襲いかかってくるところだった。 「綾人っ!」  瀬川が綾人のそばに行くまでに、その白い人のようなものを止めることは出来なかった。

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