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第26話

 映画の撮影が無事終わり、宿舎に戻ってから数日が経った頃、父親から理事長室に来るようにと僕に連絡がきた。何か良くないことを言われるのかと、僕はすぐ習慣のようにネガティブな感情になった。でも、多分徳田から別荘で起きたことを聞き、そのことを心配してのことだろうと、僕はすぐに思いを変えた。そうしないと、父親に呼び出されて良かったことなど一度もないのだから。いつも否定的な意見を言われ、僕を認めようとはしない。そんな親に会いたい子どもなどいるわけがないのに。  今回、僕の体を心配しているような態度を珍しく取っていたが、それだって怪しい。何か別な思惑があるのではないかと疑ってしまう。  悲しいな……。  自分の息子が、親を疑ってしまうことが悲しいと思っていることなど、多分あの父親は知る由もないだろう。  照とヴァレリオとは、あの行為のあと三人で細かくルールを決めた。僕たち三人が破綻せず完璧なトライアングルを維持できるように。   まず一つが、二人で行動することは許すが、その時は残りの一人に必ず連絡をすること。だから僕は、照とヴァレリオが二人で行動することもあるだろうと聞いたら、二人即答で『ない!』と答えた。僕は正直その言葉に安心したが、この先、この二人の関係性がどう変わるかは分からないから、不安がないと言ったら噓になる。でも、このトライアングルの中心が僕なのは変わらないと、二人は僕に強く訴えてくれる。そこは絶対に覆ることはないと。それでもやっぱり不安だが、不安になるということが、僕が人をちゃんと愛せている証拠のような気がして、胸が熱くなるのもまた事実だったりする。  二つ目のルールは、セックスは基本三人ですること。ただ、二人だけでキスをしたりオーラルセックスをしたりすることは構わない。でも、二人きりで繋がることは禁止。理由は、繋がるという行為は特別で、そのことでどちらかに気持ちが偏らないようにするためだ。  ヴァレリオは、アルキロス星での性行為について、AIが選別した相手との子孫を残すための義務的な行為であると話した。そこにはもちろんオーガズムはあるが、エモーショナルはないと。愛する相手と繋がる行為が、最高の幸せであり最高にエモーショナルなことだと気づいたヴァレリオにとって、二人きりで繋がることは、僕たち三人の関係を崩しかねないということらしい。  それには照も渋々納得してくれた。でも、もしどちらかがそのルールを破ったらどうする? という質問に対し、ヴァレリオは、『その時はまた摩央にどちらかを選んでもらおう』と言ったから、僕は即答で『嫌だ!』と言って、僕たちは笑いあった。  理事長室の前で、僕はいつものように深呼吸をすると、慎重にノックを三回した。中から『どうぞ』という声を聞き、僕は『失礼します』と言い部屋の中に入った。  そこには、目の前の仰々しい机に手を組んで座る、神妙な面持ちの父親がいた。いつもの堂々とした威圧的な父親ではなくて、僕は拍子抜けしたように父親を見つめた。  「ああ、摩央……心配したぞ。別荘で何があった?」  僕が部屋に入るや否や父親はそう言うと、いきなり立ち上がり僕に近づいた。僕はそんな父親の態度に驚き、一歩後ろに身を引いた。 「え?……ああ、その久しぶりに海で泳いで、疲れていたのか溺れてしまい、それを照に助けてもらうということがありましたが、い、今は全然元気です」  僕は父親を目の前にして、緊張しながらそう言った。確かに今、僕の体調は悪くない。でも、あの別荘で起きた自分の体の変化をもちろん忘れてはいない。明らかに自分の中で何か良くないものが生まれ始めている恐怖は、今でも感じている。 「そうか、徳田からはある程度話は聞いていたが……」  父親はその先の言葉を躊躇うように口を閉じる。何かを心の中に隠し持っているような雰囲気が伝わり、僕はそれがとても気になる。 「あの、お話はそれだけですか? 僕は今から映画の編集作業をしたいので、これで」  僕はわざと映画の話をして、自分がまだ夢を諦めていないことをアピールする。今回父親は、映画撮影のために別荘を使わせてくれた。どうした心変わりなのかと最初は訝しんだが、父親がやっと僕の夢を認めてくれたのかと、そう前向きに捉えるのは少し早合点だったろうか。 「待て……摩央、今から私が言うことをよく聞いてほしい」  父親はいきなり僕の肩を掴むと、余裕のない表情で僕を見つめた。僕はそんな父親を見るのは初めてで、ひどく驚いしてしまう。とにかく感情的な一面を見せないところが父親の特徴で、僕はいつも心の中でAI人間と毒ついていたからだ。 「摩央……お前は今病魔に侵されているんだ。それは母親と同じ病気だ……お前の母が亡くなってから二十年近く経つというのに、未だこの難病の根治薬は生成されていないんだよ……それがどういう意味か、分かるか?」 「……は?」  父親は顔を歪ませながら、僕の目を逸らさずそう言った。父親の瞳には苦しみが滲んでいるのが僕でも分かる。 「え、待って……それってつまり、僕はもう、そう長くは生きられないという意味ですか?」  僕は震える声でそう言った。父親から突然突き付けられた現実を前に、僕は茫然と立ち尽くす。 「そんなことあってはならないんだよ! 難病とは言っても、薬剤で症状を抑え普通に日常生活を送れている患者はもちろんいる。ただ妻の場合は医者もお手上げで、薬剤ではどうにもできなかったんだ……この間の摩央の健康診断で、明らかにこの病気の進行を示す数値が急激に上昇していた……妻の時もそうだった。あの日を境に、妻は日に日に……」  父親は床の一点を見つめ、その日のことを頭の中で思い起こしているのが分かる。それは多分壮絶に辛い思い出のはずだ。父親はどこか此処にあらずのような表情をしていて、僕には、必死にその思い出を俯瞰しているように見える。 「どんな症状が現れるんですか? もしかして、体に力が入らなくなるとか?」  僕は恐る恐る問いかける。別荘で起きた自分の体の変化を思い出しながら。  父親はがばっと頭を持ちあげると、僕の肩を痛いほど掴んで揺さぶった。 「そうだ! 筋肉が著しく衰えていく病気だ! 進行すると、自ら呼吸することもできなくなる……会話も、知的な作業も……できなくなるんだ!」   父親は自分の頭を抱えると、床にしゃがみこんだ。 「ああ、ついに摩央にも……どうしてこんなことに!」  父親は頭を掻きむしりながらそう叫び、しばらく黙り込むと、いきなり思いを変えたように立ち上がった。 「でも、摩央。お前を助ける方法は確実にあるんだ……」  僕は父親のその言葉に安堵する。父親が僕をここまで心配してくれることに感動しながら。もしかしたら、父親がこの大学に僕を無理やり入れたことも、映画監督なる夢を諦めさせようとしたことも、全部この病気を心配してのことに繋がるのかもしれない。僕を自分の傍に置き観察しながら、戦々恐々とその日が来るのを待っていたのだとしたら、これほど辛いことはないではないか。 「その方法って何ですか?」  僕は父親に、両手を強く握りながら問いかけた。 「アルキロス星には特別な資源があると、以前私が話したのを覚えているか? その資源には様々な病気に治す力がある。鉱物の中に長年蓄積された微生物が、病気の原因を見つけ、それを適正に戻したり、排除したりするんだ」  僕は父親の口から出たアルキロス星という言葉に心臓を鳴らす。父親にはいつか、僕が同性愛者だということを話さなければならない。でも、まだそのタイミングではないはずだ。まさか、『僕たち三人は愛し合ってます』と伝えるのは、さすがにとてもハードルが高い。 「アルキロス星? ヴァレリオの? ええ、確かに資源の話を聞きました。日本政府が大きく絡んでいると言ってましたよね? それってつまり」 「そうだ。今回政府は、アルキロス星と貿易関係を結び、その資源を輸入するという計画を企てていたんだ。私はその話を知った時、絶対に実現させようと心に誓った。だから、自分の大学に招き入れ、手厚くもてなし、ヴァレリオ王子に対する扱いには注意をするよう摩央にも伝えた……しかし、まさかこんなことになろうとは……思いもしなかったよ……」  父親は僕に背を向けると、机の後ろにある大きな窓の先の景色を見つめる。まるで、はるか銀河に存在するアルキロス星を睨みつけるかのように。 「こんなことって、何ですか?」  僕は父親の後姿を見つめながら、不安な気持ちで問いかける。 「ヴァレリオ王子のSPの一人が、アルキロス星の王である、ヴァレリオ王子の父親に密告したんだ。そのSPは王が仕込んだスパイだったらしい。そのSPは、ヴァレリオ王子が、本来のアルキロス星の目的である、日本が資源の輸出相手として相応しいかどうかの調査とは関係のない怪しい動きをしていると察知した。その怪しい動きとは、ヴァレリオ王子が、日本の娯楽を密かに自星に持ち帰ろうとしていることだ。これは一種のテロ行為だと憤慨した王は、ヴァレリオが二度とおかしな真似をしないように、すぐさま彼をアルキロス星に送還させ、幽閉し、彼の自由を一生奪おうとしているらしい。そして、彼に良からぬ影響を与えた日本とは、金輪際完璧に関係を断つと、さっき日本政府に連絡が入ったそうだ……それでは困るんだ! それでは摩央を救えない!」  父親はぐるっと振り返ると、怪我をしてしまいそうな強さで、両手で机をガンガンと叩いた。 「そ、そんな、ちょっと待って!」  僕は慌てて父親に近づくと、両手を掴みその行為を制した。手は赤く腫れていて、父親の思いの強さが胸に響いて痛い。 「それは本当ですか? じゃあ、早い話、ヴァレリオは一生幽閉されてしまい……僕は、このまま自分の体が病魔に蝕まれて行くのを受け入れるしかないと?」  この展開に頭が追い付かない。もしや夢なのではないかと思いたくなる。でも、父親の手の腫れが、これは現実なのだということを僕に知らしめる。 「すまない。摩央……できることなら変わってやりたい。でも、もうどうすることもできない……」  父親は項垂れたままそう言った。その声は、今まで聞いた父親の荘厳な張りのある声とは対極にあるものだ。まるで人格まで変わってしまったような父親の変化に僕は驚く。でも、父親が取り乱しながら、自分のことを思ってくれていた事実が、今心にじんわりと染みる。喜べる状況でないことは百も承知なのに、それでも、嬉しいという気持ちが胸いっぱいに広がる。   一体どうすればいいんだ……。  ふと現実に引き戻された僕は、自分とヴァレリオに重く伸し掛かる運命を、心の底から強く呪った。

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