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第3章 酩酊状態2
黒く焼き焦げたネギマを食べているわけでもないのに、やけに口の中が苦く感じる。グラスを手に取り、一気に喉から胃へと流し込む。
空になったグラスを木目調のテーブルに置き、息をつく。
すると航大が両目から涙をボロボロこぼし始めた。大事にしていた宝物が壊れて、なくなってしまった子どもみたいに、しゃくりあげる。人目もはばからず鼻水を垂らして男泣きする。
どんなにいやなことがあって泣きたいときでも、歯を食いしばる。いつだって人好きのする笑顔でいる。それが航大の長所であり、強さだ。
それなのに……たったひとりの女 によってアルファである航大が弱くなり、涙を流している。
その事実に愕 然 とした。
「違う……憂はそんな人間じゃない。……おれの知っている憂は、人を騙したりしない……悪い子じゃないんだよ……」
無力な幼い子どもや、小動物をいじめているような罪悪感に襲われる。
泣いている航大にハンカチを渡し、彼の震えている肩を軽く叩く。
「ごめん、悪かったよ。何も芝谷さんがぼくの言った通りの人だって決まったわけじゃない。泣かないでよ」
「けど……憂が他のアルファの男とラブホに入っていたのも事実だ。……もしも晃嗣の言うように憂がやむをえない事情や理由で、身体を売っていたりしたら……おれ、どうすればいい?」
「航大、オメガの女の子なんて他にいる。魂の番じゃないんだよ。芝谷さんのことは、あきらめな。深入りしたら、めんどくさいことに巻き込まれるだけだよ」
ぼくの渡したハンカチで目元を拭 いながら航大が緩く頭 を振った。
「あきらめられないよ……憂の笑顔が頭から離れないんだ。悲しい目に遭ってほしくない。たとえ、魂の番じゃなくても……おれの手で幸せにしたいんだよ」
ぼくは唇を強く嚙みしめた。
どうして? どんな事情があったって浮気をしたり、他の男とやらしいことをしている女であることは変わらない。
芝谷さんよりも、ぼくのほうが航大のことを知っている。長年、親友としてずっと一緒にいたんだよ?
ぼくを見てよ。
「申し訳ございません、お客様」
眉を八の字にした店員に声を掛けられる。
気がつくと閉店時間を過ぎていた。
客もぼくらふたり以外にいない。
「すみません。今、お会計をします。航大、行くよ」
肩を揺するが航大は夢うつつな状態で船を漕いでいる。しかたがないので一度立ち上がり、スマホのQRコード決済を済ませる。席に戻ってカバンを左肩に引っ掛け、机に突っ伏している航大の左腕を右肩に抱く。
「ごちそうさまでした
挨拶をして店内を出る。エレベーターでエントランスまで下りたら夜の街を歩いていく。その間も航大は芝谷さんの名前を何度も口にしていた。
居酒屋近くにある航大が暮らす賃貸マンションにはエレベーターがついてない。彼の部屋は最上階の四階にある。自分と同じ173センチメートルもある男――ひどく酔っ払って千鳥足になっている人間――に肩を借し、階段を上るのは正直きつい。
航大のトレンチコートの上着のポケットから家の鍵を出し、玄関のドアを開ける。
そのまま暗闇の中を歩いて彼の寝室を目指した。
白い扉を開ければモノトーンカラーで統一されたシンプルな部屋が眼前に現れる。
ベッドの端に航大を座らせた。航大は無言のまま項垂れている。部屋の中には、芝谷さんの使っている石鹸の香りのコロンと、オメガのフェロモンがかすかにした。
「グラスを借りるね」と一声掛けて、ぼくはキッチンへ向かった。
冷たい水を一気に飲み干す。シンクの淵に両手をつき、ため息をついた。目を閉じて頭の中で数字をカウントする。
ふたたび目を開く。胸がざわつき、いやな考えばかりが浮かんでくる。
このまま、この場にいるわけにはいかない。
グラスをゆすぎ、水切りカゴへ入れる。カゴの中には、かわいらしいデザインをしたピンクのマグカップが置かれていた。
玄関に向かう途中で、カバンを航大の寝室へ置いてきてしまったことに気づく。ふたたびため息をつき、重い足取りで彼の寝室へ向かった。重苦しい雰囲気が漂っている扉を開ける。
航大は膝を抱えてベッドの上で三角座りをしていた。
「航大、グチだったら、いつでも聞くよ。そんなに落ち込まないで」
「晃嗣、帰るのか」
「うん、今なら終電に間に合うし」
床にポイと置かれていたカバンを手に取ろうと、しゃがみ込む。
ギッとベッドの軋む音がしたかと思うと手首を航大に摑まれた。
なんだろうと顔を上げれば、ひどく不安定な表情を浮かべ、目を潤ませた航大がいた。
「帰らないでよ。一緒にいて」
その言葉に胸がどきりとする。
でも、ぼくは航大の手をそっと放し、カバンを肩にかけて立ち上がった。
「ごめん。今夜は航大の家には泊まれない。また明日LIMEしてよ。いろいろと相談にのるからさ。じゃあ……」
その場を後にしようとしたら航大に後ろから、ひしと抱きしめられてしまう。
いったい何が起きているのかわからず茫然自失状態になる。
落ち着けと自分に言い聞かせ、努めて冷静に対応する。期待して馬鹿を見ることはしたくないから。
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