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「ああ、独り身だが」
「恋人は? 大事に想ってる女とかはいねえの?」
「いねえな」
「ふぅん? だったらひとまず資格としては文句なしってところだね」
まあ、仮にお妾ということであっても頭目にとっては厄介な話だろうが、まだ独り身の皇帝にとって生粋の婚約者というなら更に事の重大さに拍車がかかることとなる。それならより都合がいいと言う。
「問題は皇帝様があの子を伴侶として一生――とまでは言わねえが、例えばいずれほとぼりが冷めた頃合いを見計らって離縁するにしてもだ。頭目を納得させるにはある程度の年数は夫婦として一緒にいてもらうことになる。その間、皇帝様に真に愛する相手ができたとしても、あの子を連れ帰って即離婚ってのはまずい。せめて数年――そうだな、五年くれえはあの子を伴侶として側に置けるかってことだけど」
彼のことはどう思ってんの? と訊かれて返事に戸惑ってしまう。
「どうもこうも……会ったことすらねえボウズだからな」
焔 の答えに紫月 は呆れてしまった。
「会ったことがねえって? は――! そんじゃこの手は使えねえかぁ」
これではまた振り出しに逆戻りだ。ところが焔 は即答、それで構わないと言い切ったことに驚かされる羽目となった。
「それで構わねえって……会ったことすらねえヤツと結婚しようってか?」
紫月 は元よりそれまで黙って話に耳を傾けていた遼二もほとほと驚いたふうに目を丸めている。
「ちょい待て、焔 ! いくら何でも即断できることじゃねえ。もう少し別のやり方を探すべきだ」
他に方法がないか考えようと遼二がとめたが、焔 の気持ちは変わらないようだ。
「確かに――これが最良のやり方というわけじゃなかろうが、悪くはねえ方法だ。黄 の爺さんだってもういい歳だ。この先何十年も息災でいられるわけもねえ。言い方は悪いが老先の永くねえ老人に心痛を背負わせたまま逝かせるのは酷な話だ。それに――長い間ファミリーのカジノで腕を奮い続けてくれた爺さんだ。今はあのボウズを取り戻してやることが、爺さんにしてやれるせめてもの恩返しと思う」
その為ならば自分が犠牲になることも厭わないというのだろうか。
「皇帝様の奇特な気持ちは分かる。けど、本当にいいのか? 今は想う相手がいないのかも知れねえが、ヘタすりゃあんたの人生を左右する決断なんだぜ?」
紫月 も念押ししたが、焔 の気持ちは揺るがないようだ。
「俺が生きている意味があるとすれば、それはファミリーへの恩の為だ。妾腹の俺に良くしてくれた継母と兄貴、それに俺を信じてこの九龍城砦を任せてくれた親父。カジノで尽力してくれた爺さんをはじめとしたこの城壁内に生きる人々。その誰もが平穏に暮らしていけるようにすることが俺の役目だ。それ以前に――年端もいかねえボウズ一人の人生が掛かってるわけだ。こんな俺で役に立てることがあるならどんなことも厭わねえ」
「焔 ……おめえ……」
ハナから自分の幸せなど望んではいない、城壁内の人々がささやかながらも笑顔でいられるならば、それが本望だと言わんばかりに焔 の凜とした視線がそう物語っていた。
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