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番外編 内緒のバイトとやきもちと8 side深森

(俺はなにを試されているんだ……)  早朝からの練習で疲れ果てた後、恋人の驚く顔を見たかったというそれだけの理由でやってきた。 しかしそんな自分にこの仕打ちはあんまりではないか。  次から次に訪れる嫉妬を煽る波状攻撃に流石に深森もぐうの音も出なくなった。  まず、卯乃とバイト先の店長や他のアルバイトの女性との距離が異様に近い。  兎獣人はスキンシップ過多だとは聞いたことがあるが、果たして職場でもあんな風に距離が近いのだろうか。スタイルの良さが強調されるメイド服姿の白兎美少女が、卯乃にしな垂れかからんばかりにくっついて何やら囁き合っている。卯乃も照れる様子もなく、なんだか気安げな感じだ。すると今度は店長が白兎から卯乃を引きはがすようにして後から抱きかかえるのが見えた。  まるでお前だけ独り占めするなといわんばかりの仕草にぴきっと額に青筋が立つ。  しっかりと腰にまで手を回してのバックハグ、今すぐガラスを蹴破って卯乃を自分の腕の中に閉じ込めたい衝動にかられる。  だがそれを思い立ったのは卯乃の反応に戸惑ったからだ。彼の顔に嫌悪の色は浮かんでいない。 (なんだよ、あれ)  卯乃はそもそも、あまりスキンシップが得意な方ではない。可愛い見た目のせいで色々な種族の男からしつこく言い寄られ続けてきたせいだ。  それがああもやすやすと抱きしめられていることに、彼との付き合いが自分よりずっと長く、卯乃が気を許している間柄なのだろうと透けて見えた。 (そいつとのこと、俺に見られたくないから、ここに来させたくなかった?)  臓腑が熱く炙られるように苦しくなる。 「あの、サービスのドリンクここに置かせていただきますね」    先ほど卯乃と話していた白兎の店員がやってきた。よく手入れされたふわふわの白い毛並み耳をこれみよがしにピンと立てている。近くで見るとアイドル並みのルックスであることは深森にもわかった。 「何かあったらお声をかけてくださいね」  トランプのカードのように指先でコースターを挟んで愛嬌たっぷりに微笑みかけてくる。 「おい、お前顔が怖すぎだぞ。それじゃお姉さんがが可哀想だ」  脛を友人の膝で蹴られてはっとする。反射的に強張った笑顔を作って「ロップイヤーの兎がいたら、お願いします」とだけ呟いた。  アイスコーヒーの方が先に置かれ、何故かあとからもったいつけるようにコースターを渡してきたが、深森はノールックでそれを受け取るとテーブルに置いた。 「ロップイヤーのミップちゃんは大人しい子で抱っこしやすいと思いますよお。でも手触りの良さだったら、アンゴラの白兎ちゃんもいいと思いますけど、私の耳と一緒でぇ。触り心地いいと思いますよ」  白兎の定員はそんな風に甘ったるい声を出しながら、ピアスの付いたふわふわの耳を自らかき上げ、明らかな秋波を送られた。  だがもう深森はどんな美女にも目もくれない。  隣にいた友人がいち早くコースターに書かれた連絡先に気が付いて、何度か無駄に深森の周りをうろついていた彼女に『これ、返しておくな』と渡していたのにも大して気にも留めなかった。  そのうち、卯乃は高校生らしき二人組を接客し始めた。  キュートな桃尻から覗く小さなしっぽをふりふりしながら、店内を歩き回る卯乃に、明らかに彼らはは釘付けになっている。 (俺の卯乃をじろじろ見るな)  深森はガラス越しにもかみ殺さんばかりの視線を送っていたら、何かを感じとったのか兎が膝から逃げてしまって正気に返った。 (いちいち嫉妬していたらきりがない。卯乃はきちんと仕事しているだけだろ)  卯乃は自分がこんな風になることを見越して、バイト先を教えてくれなかったのだろうか。だとしたら卯乃から見た自分はとんだ束縛狭量彼氏ということであまりにも残念過ぎる。  落ち込むまでは行かないが、やはりここは度量の大きいところを見せねばと深森はミップちゃんを探しに行って宝物のように抱きしめなおした。 (嫉妬も自分でいられなくなるようなこの感覚も、俺の中だけで起こっていることだ。それを面に出して、卯乃を怖がらせちゃ駄目だ。卯乃も柔らかなウサギ。大切に包み込んで、守ってあげないと)    そうしている間に今度は卯乃が彼らの元にオムライスらしきものをもって現れた。  そしてちらり、と深森に視線を送る。一瞬だけ視線がかみ合った気がしたが、すぐに逸らされた。それに僅かに傷つく自分に驚く。  卯乃から目が逸らせない。見つめる深森に気が付いているのかいないのか、白い頬が桃色に染まっていて恥ずかしそうにしているのが妙にエロイ。 (今晩覚えてろよ、卯乃。一晩中、離してやらないからな)  卯乃はオムライスの乗った皿をテーブルの上に置くと、銀のトレイを小脇に抱えて両手の甲をくるりんと丸めた。そしてその場でちょっとだけ飛び上がる。ぷるんっと愛らしい口の形を見たら「ぴょん、ぴょん」といっているようで、あまりの可愛さに深森は心臓が射貫かれてしまった。 (こ、殺す気か)    卯乃の愛らしさは重々熟知していたはずだが、これは不意打ちすぎる。  だが恋人である自分だけでなく、男子高生に対してもその癒し効果は絶大だったようだ。明らかにメロメロという感じで卯乃を見上げている。けれど、ケチャップを手に取って何やら描こうとしている卯乃はそんなよこしまな視線に気づかない。深森だけがガラスの向こう側でやきもきしてしまう。  一つ目を書いた後、明らかにそわそわしていた卯乃の手元が狂い、ケチャップが前に座る少年の服に飛んでしまった。  卯乃はそれはもう可哀そうなほどに青い顔をして、おしぼりを手に取ると少年の服をめくって染みを拭い始めた。  明らかに少年が息を飲むのが分かった。卯乃のつむじを見下ろす顔に明らかに喜色が浮かぶ。深森は膝に置いた拳を握りしめる。 (あいつ、明らかに、卯乃に気があるだろ)  あろうことか卯乃の手を握ってきた。立ち上がって部屋を飛び出しかけた深森を、兎を抱っこしたまま友人が窘めてきた。 「おい、深森。人でも殺しそうな顔してるぞ。ちょっと落ち着け。向こう出ていくんならお前が抱っこしてた兎をちゃんとお姉さんに返してからいけ」  友人のもっともな意見にぐっと唸った深森は罪のない兎を抱き上げる。ブドウの粒のように黒々とした瞳がじっと深森を見つめてきた。 「ウサギが可愛いのは罪じゃないだろ。誰がどう見たって可愛いんだから」    どっちの? と聞かずとも友人はまたあの訳知り顔でニヤリとするばかりだ。ロップイヤーの兎は鼻をひくひくさせながらじっと深森に身体をゆだねてくれている。柔らかく温かな体温が伝わってきて荒ぶる心を押しとどめてくれる。 (はじめは男に嫌悪感があった卯乃が、男の俺を選んでくれたんだ。卯乃を信じよう)  ふと見たら高校生が席を立って店を出ていくところで、それを追いかけるように卯乃も店を飛び出していくところだった。 「でもまあ、可愛い子は誰でも欲しがる。そこは守んないとなあ?」  今度は煽り立ててくる友人に「お前、友達止めるからな」と凄んだ後、深森はウサギを彼に預けてふれあいルームから飛び出していった。            

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