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第二部 兄が来た! 13
(オレも会いたかったけど……)
裸のまま抱きしめられるのは兄弟とはいえちょっと恥ずかしい。卯乃は兄の胸に手をやり、ぐっと向こうへ押しやる。同時に咳がこみあげてきて一しきり背中を丸めて苦しんだ。
「けほっ、けほけほ」
「ああ、卯乃、大丈夫か? すまない。体調が悪化したら大変だ」
卯乃から黒羽は一度身体を離した。黒羽はベッドの上に畳んであった、柔らかな毛布を手繰り寄せると、卯乃身体を上からすっぽりと覆う。そのまま今度は幼い頃にしていたように卯乃を膝の上に横抱きに抱え上げてしまった。
(なんで姫だっこするんだよ、もう、兎じゃなんだから、下ろして)
「うーっ」
「こうしていると、僕も温かいな」
真っ赤な顔をして兄を上目遣いに睨みつけるが、兄はこちらが毒気を抜かれるような甘ったるい笑顔を浮かべている。まるでお気に入りのおもちゃが手に入った子供のような表情だ。毛布から卯乃が出した手を大きな手で外側から子供にするようににぎにぎとやってご満悦な様子だ。
(兄さんのこういう顔、珍しい)
黒羽がここまで相好を崩すのは珍しい。卯乃の記憶の中の兄は、美しいがいつもどこか気を張っているような表情をしていることが多かった。家では忙しい両親に代わって姉と弟を常に気遣い、家の外ではスポーツも勉学も努力して励み、高校生の時は生徒会に身を置くなど、いつでも人から頼りにされてきた。
「卯乃、ずっと可愛いままなのに。成人したんだな。小さかったお前がこんなに愛らしく真っすぐに育ってくれて、僕はすごく嬉しいよ」
こくんっと頷く。
(兄さんたちのお陰だよ)
卯乃はちょっとまだぼーっとする頭でにっこりと微笑んだ。黒羽は三月に成人した卯乃に、黒羽は宝石のように美しい筆記具のセットを海外から送ってくれた。添えられていた手紙には『成人おめでとう。僕の宝物。世界で一番愛おしい卯乃へ』とメッセージが寄せられていた。大げさだなと思ったが、ブラコン過ぎてあまり恋人と長続きしなかった黒羽にとってはまだ家族が世界で一番大切なのだなあと卯乃は微笑ましく思った。
もちろん卯乃にとっても家族は世界で一番大切だ。だけどもしかしたら同じくらいかそれ以上に思える相手と出会うことができた。
(兄さんきっと何か誤解してるかもだけど、深森の事知ったら絶対に好きになる、と思う。多分……、ニャニャモも何故か家の中ではあんまり兄さんに懐いてなかったけども)
兄は両手で卯乃の手を包んで、本当に宝物でも扱うように包んできた。兄の膝の上にいると幼い頃のことが思い出されるが、成人した身としてはやっぱりかなり気恥ずかしい。だが身体が怠くてどうしても兄の背に身体を委ねてしまう。
黒羽は卯乃の髪や肩口に頭を埋めてぐりっと甘えるような仕草を見せる。こんな風な扱いも初めてで、なんだかちょっとドキッとしてしまった。
「卯乃の誕生日、傍に居てあげたかったのに、帰国できず、すまなかった。でもこれからはずっと一緒にいられる。それを励みに仕事を頑張ってきたんだ……来月からはまた忙しくなると思うが、なるべく寂しい思いはさせないからね」
色々喋りたいが声はやはりまだ声がでなさそうなので、卯乃は適当にこくりと頷いた。
耳元で囁かれた声はいつもよりずっと低くて艶めいている。まるで恋人同士がするような仕草だと思ったのは、卯乃も恋を知ったからだ。血が繋がっていないとはいえ、兄からこんな風に扱われると、きまりが悪いような、こそばゆい気持ちになった。
(もう、兄さん相変わらずブラコンなんだから。たまにはここに遊びに来てもいいけど、オレ、基本実家にいるよ。深森と家で過ごしたいんだもん)
それよりもスマホを取り戻して深森に連絡したい。卯乃は毛布から腕を伸ばして兄の手を取るとその掌に「スマホ」と書きかけた。
だが「ス」の時点で兄がびくっとしたから、卯乃もびっくりして兄を見上げた。兄は額に手をあて、天を仰ぐ仕草をしている。なんだか海外から帰ってきたらやたらオーバージェスチャーになった気がする。
(兄さんあっちにいって色々感情豊かに表現するように頑張ってたのかな?)
卯乃が呑気にそんなことを考えていたら、兄はほっそりした見た目に反した馬鹿力を発揮して卯乃をくるんっと自分に向かいあう様に座り直させる。卯乃は毛布のせいでしっとりと汗ばみ、余計に色っぽい表情をしている。黒羽は魅せられたように卯乃の両肩を掴むと、頬を僅かに上気させ、弟の顔をじっと覗き込んできた。
「卯乃? ス……、好きなのか?」
(はい?)
「僕も、好きだ」
間髪入れずに兄の顔が近寄ってきた。ちゅっ、唇に柔らかなものが押し当てられ、卯乃は零れんばかりに瞳を見開いた。
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