82 / 92

第二部 兄が来た! 15

黒羽は少し肩を落として部屋を出て行った。少ししてから卯乃は鉢の裏から顔を出す。扉は少し空いていた。兄が卯乃が本性の姿に返ったとしても部屋を行き来できるようにしてくれたのだろう。  卯乃は行動を開始した。兄が風呂に入っている間にスマホを探し、身支度をして、タクシーを呼ぶ。  深森のところまで会いに行く。これしかない。兎の姿のままなんとかキッチンまで飛び出して行って、一瞬人間の姿に戻ると冷蔵庫に入っていたミネラルウォーターを取り出してあおって飲んだ。  水が喉を伝って落ちていく。冷たさを感じたら少しだけ頭が冴えてきた。 (なんかもう。色々ありすぎて頭がまとまらないけど、とにかく深森に会いたい)  この半年、いつだってそう。  アルバイトで失敗した時も、厳しい教授の講義をあえてとって難しい課題をやり遂げねばいけない時も、深森に会ってぎゅっとして貰えたらきっと何もかも上手くいくと思えた。  二人でいると、なんだってできる。 (今度も乗り越えられるのかなあ)  深森が卯乃の前に現れるまで、卯乃の中で親愛という意味でだが、この世で一番大好きな人は確実に兄だった。両親も姉も大好きだったけど、いつでも心の拠り所になってくれて一番の相談相手である黒羽だった。  血の繋がりはなくても、卯乃の一番の理解者で幼い頃から慕ってきた相手だ。  その兄が自分を好きで、プロポーズまでしてきた。振るなんて真似をしたら家の中がおかしくなってしまうだろう。 (父さんたち、姉さん、睦月兄さんも! 黒羽兄さんの気持ち、知ったのかな)  自分だけが知らなかったのだとしたらあまりにも鈍感すぎる。両親は子供たちに忙しいながらも愛情を注いでくれていたからきっと黒羽の事も応援してるだろう。もしかしたら卯乃を任せられるのは黒羽かと思っていたのかもしれない。 (それはないか……。深森の事話したらお正月にこっちに来るとき必ず会わせろ、良かったねっていってくれたもんな。姉さんは……。黒羽に話したら大変だよって、睦月兄さんも同じようなこと言ってたかも)  黒羽がまさか自分の事をそういう意味で好いてくれるようになっていたとは、そんなこと考えたこともなかったから姉や睦月が言外に喋っていたことを勘ぐるなんて真似できるはずもなかった。 (もし、大学で深森に出会ってなかったら、兄さんが帰ってくるのを心待ちにしてたかな。兄さんに告白されたら……オレなんて答えたんだろう)  兎の姿のまま、卯乃はぷるぷると首を振った。 (ないな、多分ない。いや、ある? 兄さんにずっとずっと大事にされてたら、ちゃんと告白されてたらあったのかな? いやいやいや。ない。だって兄さんだもん。それに兄さん中高大って彼女いたし……。ああ、でも彼女の事が分かるたびにオレがヤキモチやいちゃってあんまり長続きしなかったんだよなあ。クリスマスは家族一緒じゃなきゃいや、とか。遊園地デートに一緒についていきたがって散々泣いて、別の日にわざわざ兄さんに連れて行ってもらったりしたこととかあった)    兄に大切な人が出来るたびに寂しい気持ちになって『もう卯乃の事一番大事じゃないんだ』とか言いながらぷりぷり怒っていた自覚はある。最後の記憶は高校生の頃、兄が海外赴任に出発する手前だから、割と最近かもしれない。   (もしかして……。兄さんにしてみたら思わせぶりな感じになっちゃったのかな。ただのブラコンだったんだけど……)  さあっと血の気が引いて来た。兄を自分に留めるような真似を色々してしまっていたかもしれない。 (いや、兄さんだってきっとブラコン拗らせてるだけかもしれない。それに今、オレには深森っていう大事な番がいるんだから、深森と会ってもらってきちんと話をしよう。うん)          

ともだちにシェアしよう!