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十九 困るのに

 どのくらいの時間、そうしていたのか解らない。永遠に続くかと思うほど、ぎゅっと抱き締められ、八木橋は長いことじっとしていたが、ついに耐えられなくなってアオイの肩を叩いた。 「ア、アオイくんっ……、そろそろ」  体温が熱い。心臓がバクバクする。このままじゃ、倒れてしまいそうだ。 「八木橋さん」 「ん?」 「キスして良いですか」 「はっ!?」 「三秒以内に答えて。じゃないとするよ。三」 「え、ちょ」 「二」 「待っ……」 「一」 「心の準備が――っ」  ゼロ。のカウントと同時に、唇を塞がれる。生ぬるい舌が入り込んで、舌先を擽る。逃げる舌を絡めとられ、キツく吸われた。 「んぅ、んっ……!」  角度を変えて、口づけが深くなる。心臓が痛い。顔が熱い。  八木橋は震える腕を伸ばして、遠慮がちにアオイの肩に添えた。アオイがピクリと反応する。 「っん、は……っ」 「っ……八木橋、さん……」  アオイの熱っぽい声に、頭がクラクラする。八木橋の頭からは、アオイが男だとか、年下だとか、そんなことはどこかに消え去っていた。ただ、酷く。甘くて、苦い。 「ん……、は――」  ちゅ、と音を立てて、唇が離れる。キスの余韻にしばし呆然としていた八木橋だったが、アオイが八木橋の前髪を払ったのに、急に我にかえって真っ赤になる。 「っ! ア、アオイくんっ……!」 「ご馳走さまです」  くすりと笑うアオイに、ドクンと鼓動が跳ね上がった。耳元に心臓があるようだ。落ち着かなくて、視線をさ迷わせる。 「アオイくん……」  何かクレームのひとつでも入れたいところだったが、うまく言葉が浮かばなかった。じぃっと睨むように見れば、アオイは可笑しそうに笑っている。 「帰りましょうか」  アオイが手を差し出す。八木橋は唇を結んで、その手を取った。  機嫌良く歩き出すアオイに、八木橋はむぅと唸る。恋愛は奥手だし、長いこと独り身のせいで、経験値は低いし察しは悪いが、アオイがどういうつもりなのかは解っている。つまりは、アオイは恋愛感情で八木橋に好意を寄せていて、キスしたり、その先のスキンシップもしたい――そう、思っているはずだ。 (いや、そんな、心の準備出来てないけど……)  八木橋は動揺しながら、握ったアオイの手を離せずにいる。  アオイのことは好きだ。アオイとの時間が愛おしい。傍に居たいと思う。だが、これは恋愛感情だろうか。少なくとも八木橋はゲイではない。男性を恋愛対象に選んだことなど皆無なのだ。 「あ、あのね、アオイくん……。僕は――」 「オレのこと、嫌いじゃないんですよね?」  八木橋の言葉を遮り、先回りするようにアオイが言う。 「え? そりゃあ……」 「キスしても、良いくらい」 「いっ……! 良いとはっ……!」 「オレ的には、それ、十分脈アリです。だから、遠慮せず行きますね」 「ちょ、ちょっと!」  アオイの堂々とした宣言に、驚くが、そう言えばこういう子だったと思い直す。ハッキリものを言う、そういう子だ。 「僕は少し、のんびりした性格なんだよ……」 「もちろん、知ってます。可愛いところです」 「かっ……!」  可愛い。そんなことを言われるとは思わず、カァと顔が真っ赤になる。恥ずかしい。だが、嫌ではない自分がいて、少なからず動揺する。  八木橋の中でアオイは、間違いなく大切な、特別な人になっている。だが、それがイコール恋愛と結論付けるのは、早計な気がした。このまま流されても、傷つくことになるのはアオイだ。そんなものは本意ではないのだ。 「困るよ……そんなに」 「十分に、困って下さい」 「あのねえ」 「それで、悩んで。その価値が、オレにあるんでしょう? 男だからとか、年下だからとか、理由なんかいくらでもあるのに、悩んでくれるのは」 「――っ。そ、そんな風に言うのは、卑怯だよっ」 「うん。ごめんね。でもオレ、それだけ必死だから」  アオイが八木橋を見つめる。八木橋ぐっと息を詰まらせ、言葉を呑み込んだ。  また、キスされる。  解っていたのに。  八木橋は瞳を閉じて、そのキスを受け入れた。

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