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DISC 01 / TR-06 - Do You Believe in Magic

 まるでローラーコースターに乗っているようだった。  まず、この数ヶ月で一気に利用者数の増えていたフェイスブックでルカとテディが注目され始めた。コミュニティ色の強いマイスペースはじわりじわりと染み渡るように、手軽なツールであるTwitter(ツイッター)は爆発的な情報の拡散に、充分すぎるほどの効果を発揮した。  最初に〈Floraison(フロレゾン)〉に載った彼らの写真画像をインターネット上に放流したのは、ニールの馴染みのパブのウェイトレスだと、あとから聞いた。おそらくそれ一件ではなかっただろう。こちらでもなにかしなくてはとロニーは考えていたのだが、しかし瞬く間にもうそんな暇すらなくなった。  オフィシャルウェブサイトのビジター数が急激に増え、You Tube(ユー チューブ)のミュージックビデオの再生数はうなぎ登り、マイスペースのフレンドリクエストとコメント欄は収拾がつかないほど溢れかえった。ロニーは急遽、今では親会社であり元の職場でもあるところの嘗ての同僚に連絡し、インターネットに熟達しているエリーという後輩を呼び寄せ、処理の一切を任せることにした。  バンドの面々も、これはカバー曲なんかで取り繕っている場合ではないと、慌ててアイデアだけ貯めていたようなパーツ状態の新曲のかけらを練り直した。だがそれでも間に合わないとファーストアルバムの曲をアレンジを直してリテイクし、〝What is This(ホワット イズ ディス) Thing Called Love?(シング コールド ラヴ)〟と合わせて新たにシングルカットした。  そうやって目紛るしく動いているあいだに、ファストファッションのブランドである〈MIKA(ミカ)〉からルカとテディに広告の話がきた。ロニーがふたりはモデルではないし、今は忙しくてとても……と断ろうとしていると、横からユーリが電話を取り、一日で済むなら引き受けると返事をしてしまった。  彼は云った――今はどんなチャンスも見逃すな、まだ始まったばかりなのにアクセルを緩めてどうする、と。まったくそのとおりだと、ロニーも思った。  これがほんの序章に過ぎないのだとしたら、今のうちにできることはまだ山ほどあった。リテイクしたシングルがi Tunes(アイ チューンズ)チャートをじりじりと上り詰めているあいだにセカンドアルバムを作る。作ったらまた新たにシングルをリリースし、ビデオも制作する。それだけのことを約三ヶ月、いやできれば二ヶ月以内くらいに――ルカたちはそんなこと絶対に無理だと悲鳴のような声をあげたが、ここまで事態が動いたらもうやるしかない。  ここで手を離したら振り落とされる。ロニーにもルカたち五人にも、まだビールで乾杯しあう余裕すらなかった。        * * *  連日スタジオに籠もって曲を創り、アレンジし、譜割りの具合によって歌詞を直し、何度も何度も同じ曲を演奏して完成度を高めていく。そしてパートごとにレコーディングし、ようやくミックスダウン。来る日も来る日もその作業の繰り返し――うまくいっているときはいいが、なにかひとつ躓くことがあると途端に集中力が途切れてしまう。疲労も溜まっていく一方だった。  しかし僅かな息抜きの時間にラップトップの画面を覗きこめば、これまでにはなかった自分たちへの称賛の言葉がいたるところで読める。ルカたちはそれを支えに、ニールやエマにもしてもらった以上のことをきちんと返さなければいけないと、必死で踏ん張っていた。  時間はいくらあっても足りなかった。フラットに帰る時間も惜しく、二、三日に一度シャワーと着替えの補充のために帰る程度。それ以外は仮眠室でほんの数時間、泥のように眠る毎日だった。  あるとき、担当楽器がないルカだけが待機状態になった。ルカはその時間を有効に使おうと、脱いだものを詰めた袋を持って三日ぶりにテディとふたりで借りているフラットに帰った。  散らかし魔のテディが出しっぱなしにしていた雑誌やソックスを拾いあげ、疲れた躰に鞭打って、ルカは簡単に部屋を掃除した。面倒臭いと思いつつも、散らかったままの部屋には堪えられない。  溜まっていた二人分の汚れ物を洗濯機に放りこみ、窓を開けて空気を入れ替えているあいだにシャワーを浴び、また三日分ほどの着替えをバッグに詰める。それだけのことを約一時間半で済ませ、ルカはゆっくり休憩することもなく部屋を出た――ソファやベッドに腰掛けてしまうと、もう立ちあがる力が出ないような気がしたのだ。  トラムを降りてからスタジオの近くまで歩いて戻ると、ちょうど建物から出てきたところのドリューとジェシに会った。ギターとキーボードの録音(レック)が終わったので、ルカと同じく一度雑用を済ませに戻るという。 「俺のところは家賃が手渡しだからな、早くばあさんに払ってこないと追いだされちまう」 「そりゃあ大変だ。ロニーは?」 「今日のメシの調達に行ってるよ」 「夕飯を楽しみに、僕もゆっくり風呂に入ってきます……じゃ」  おう、と軽く言葉を交わして、ルカはスタジオに戻った。  ――扉を開けると、ベースアンプの傍にいたユーリとテディが同時に、はっとしたように振り返った。 「おう、早かったな。ちゃんと風呂に入ってきたか?」  早口にユーリが云い、テディはなにも云わず、目を逸らすようにふいと後ろを向いた。その様子に、ルカはなにか引っかかるものを感じ、眉根を寄せた。 「……おまえら、なにしてた?」  テディがこっちを向きながら「別になにも」と、躰の影で左手を不自然に動かした。ポケットになにかを入れるような仕種に見えた。 「なにって、なにもしてないさ。勘繰るなよヤキモチか?」  両手を広げ、明るい口調でユーリが云う。その彼らしくもない空元気な感じがなおさら、なにかをごまかしているように感じた。どうもおかしい。ルカは訝しげにテディをじっと見つめ――そして気がついた。  テディの右耳にキラリと光るものがある。シルバーの丸い玉と、シルバーに縁取られた黒い石。 「結局開けたのかよピアス、それもふたつも? 俺嫌いだって云ったのに」 「え……別にいいだろ、俺がしたかったんだから。それに……これは」 「俺が開けてやって、プレゼントしたんだ。オニキス、似合ってるだろ?」 「プレゼント? ……って、あ!」  ルカははっとしてスタジオの隅のカレンダーを見た。気が狂いそうなほど忙しく、曜日どころか時間感覚さえも失っているような毎日だった――クリスマスもニューイヤーパーティもなかった――所為で、すっかり忘れていたが……昨日はテディの誕生日だったのだ。しかし。 「いや、悪いテディ。でも……俺らもうずっとプレゼントとかしてないよな? だから……」 「別になにも云ってないし。っていうか俺もしてないだろ」 「そっか、そうだよな」  なんとなく安堵に胸を撫でおろしていると――テディとユーリがほっとしたようにちらと視線を交わしたのに気がついた。  やはり、なにか隠している。ルカは眉間に皺を寄せ、ふとついさっき見た光景を思いだし、テディにつかつかと歩み寄った。 「おまえら、なんか怪しいぞ? なんか俺に隠してないか」 「え、なにが――」 「おまえら、ひょっとして寝た?」  テディが目を瞠って首を横に振った。 「なに云ってんだよ……」 「謝れルカ。俺らはそんなことしちゃいない」  真剣な顔で云ったあと、ユーリは途端にいつもの調子に戻って「いちおう、おまえがいる以上はな。いなきゃとっくにやってるだろうが」と付け足し、笑った。 「一言多いせいでおまえの本心が読めねえよ。……まあ、そんなことより」  云いながら、ルカはテディの腕を掴んで、ぐいと引いた。 「痛っ……!」 「ポケットのもん出せ」 「おいよせ、痛がってるだろ」  そう云って止めようとするユーリを、ルカは冷めた目で一瞥した。そしてもう一方の手をテディのジーンズのポケットに捩じこむように入れる――すると、指先につるりとした感触があった。  そのまま指で挟み、引っ張り出したものを見て、ルカはちっと舌打ちをした。 「これはなんだよ……、なにがなにもしてないだよ、ふざけんな」  フラミンゴの羽のような色の錠剤がいくつか入った小さな袋を、ルカはふたりの目の高さに突きつけた。「おまえら、もうルネのこと忘れたのかよ……!」 「おまえこそふざけんな! 忘れるわけねえだろうが……これは違う。大丈夫だ、スマックなんかやるもんか。これはただのペルビチンだ」  ユーリがそう云うのを聞いてルカは信じられない、というように頭をゆるゆると振った。 「ペルビチンなら安心だなんて理屈はいったいどこからでてくるんだよ、ドラッグには違いないだろ」 「落ち着けルカ、聞けよ。おまえだって疲れてるだろう、今の状況は異常だ。ちょっと助けが欲しかっただけだ……こいつをやると仕事が捗るからな。これっきりだよ。それに、ペルビチンなんてみんなやってるじゃねえか」 「ルカ……ごめん。でも、ほんとにちょっとだけだよ。眠いときにコーヒーを飲むのと同じだよ、ほんの少しこれをやるだけで、もうなにをやってたかわからないほど疲れてたのが吹っ飛ぶんだ」 「テディ――」 「おまえもやってみろよ、一発でこれがどんなに役に立つかわかるさ」  ユーリがそう云ってルカが握っていた小さな袋を奪うように取り、アンプの上に並べてあった水のペットボトルを開けた。  小さな袋の中から錠剤をひとつ取りだし、まず自分の口に放りこむとユーリは、もう一錠振りだした手をテディのほうへ向けた。テディは躊躇したかのように一瞬ルカを見たが、それを抓み舌の上に乗せた。先に飲んでいたユーリから水のボトルを受けとって、ごくりと嚥下するその喉許を見つめ、ルカは全身から力が抜けていくのを感じた。  そこへ、フラミンゴ色の錠剤が差しだされる。――疲れが取れる、仕事が捗る魔法の薬。  ルカは暫しの逡巡のあと、それをそっと指で抓みあげた。  バンドはなんとかローラーコースターから振り落とされずに済んでいた。  ほんの半年にも満たないあいだに、バンドを取り巻く状況は一変していた。ウェブ上の騒ぎはますます大きく、MIKAのポスターが街中にでかでかと貼られ、セカンドアルバムのセールスも順調だった。  プラハとロンドンを何度も往復し、いくつかの音楽誌にも取りあげられてインタビューも受け、表紙を飾り、TV番組にも出演した。ロニーは自宅のリビングから、いつも使用するリハーサルスタジオに近い場所に事務所を移し、人を手始めに六人雇った。うち三人は既に仕事を手伝ってもらっていたウェブ担当のエリーを含む親会社の後輩で、出向という形でこちらに寄越してもらえることになった。もうひとりは知人の紹介、残りのふたりはエマに紹介してもらったヘアメイクアップアーティストとスタイリストである。  今やジー・デヴィールは『モデルとしても売れっ子な美形ヴォーカリストとベーシストがいる、洗練されたジャジーなニューソフトロックを聴かせるお洒落なバンド』として、世界を席巻していた。どこへ行ってもファンや記者に追いかけられ写真を撮られるので、ロニーは普段着もスタイリストにチェックしてもらうようメンバーに云い含めた。  ユーリはいちばん変わった――パンクスのようなスパイキーヘアをやめさせられ、そのままさらりと下ろして前髪は斜めに流した。文句を云うかと思いきや、意外と本人も気に入ったらしく、偶に伊達眼鏡までかけるようになった。  いちばん人気があるのはフロントマンであるルカだったが、テディの人気もそれに肩を並べようかという勢いだった。しかも一部にはユーリが仕掛けた罠に嵌っている層があり、ステージでルカとテディが一本のマイクで歌うと、耳をつんざくような金切り声が飛んだ。  この手のパフォーマンスはユーリのアイデアだった――「デヴィッド・ボウイとミック・ロンソンほどやりすぎなくていいから偶に絡め」というユーリのアドバイスを、ルカとテディのふたりはおもしろがって実行した。  ファンの女の子たちは貴重なその瞬間を見逃すまいと、ますます熱狂した。  ジー・デヴィールはヒットチャート上位の常連になり、いつの間にかセカンドアルバムはダウンロード販売を含めると全世界で一千万枚の売上数を記録していた。  もちろん変化は経済的な面にも如実に現れ、ルカとテディは体裁も考え別々に、ユーリはそれまでと比べれば数段贅沢な広いフラットに、それぞれ越した。ドリューはアルファロメオ、ジェシはミニ・クーパーを買い、ユーリとテディはトライアンフのバイクを買った。それ以外に、ジェシは念願だったスーツケースタイプのフェンダー・ローズの状態の良いものをみつけ、新しいシンセサイザーと一緒に購入した。  楽器に関してはジェシだけでなく、全員があれこれと試しながら買っていたのでずいぶんと増えていた。ユーリはダブルベースドラムを組みたがったが、バンドのサウンドには要らないと云われ、そりゃそうだ、と納得して普通にドラムセットを新調するに留めていた。ギターはドリューだけでなくルカもテディも使うので、フェンダーのジャガー、テレキャスター、ギブソンのレスポール、ES-175など様々なものが多数揃えられた。  ひとたびヴィンテージギターの音を聴くともう以前の量産された楽器は使う気にはなれず、楽器のグレードが上がったことでバンドの音にも良い影響がでていた。テディもいろいろと試していたが、彼は最終的に一九六七年製のフェンダー・ジャズベースが愛器に落ち着いたようだ。  やや灼けて元の色よりグリーンがかった、レイクプラシッドブルーのマッチングヘッドが、とても気に入っているらしい。

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