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DISC 03 / TR-26 - Ashes to Ashes
翌日、スタジオにテディが現れるとユーリはまずほっとした。そして次の瞬間、訊きたいことや云いたいことが頭のなかを渦巻き、考える前にもうダブルフェイスムートンのジャケットを脱いだばかりのその手を掴み、廊下へ引っ張っていた。
今度は何事かというようにロニーやドリューがこっちを見ているのに気づいたが、ユーリはかまわずドアを閉めた。
「……なに、どうしたの」
「それはこっちの台詞だ! なんで夜中に出ていった。ひとりでうろうろするなと云ってるだろう、心配させるな」
テディは困ったように笑って、自分の腕を掴んでいる手に触れた。つい力が入っていたことに気づいて、ユーリがその手を離す。
「目が覚めちゃったんだよ……で、あの時間なら変なのに張り込まれてもいないだろうと思って、ちょっと帰ったんだ」
「だからなんで」
「バイク、一回エンジンかけときたかったし、タイヤの位置も変えたかったんだよ。まだ二ヶ月くらいは乗れないだろ」
ああ、とユーリは納得せざるを得なかった。それは自分が二日ほど前に、テディの前でやったことだったからだ。なんとなく毒気を抜かれて苦笑すると、ユーリはくしゃっと柔らかな髪を撫でた。
「雪さえ降らなきゃ乗れないことはないが、滑るからな。……しかし、それならせめて電話にくらいでてくれよ」
「電話?」
テディは首を傾げ、ポケットに手を入れて買い替えたばかりのモバイルフォンを取りだした。
「ああ、充電切れてた」
「おい……」
そんなことで……と脱力して、ユーリは溜息をついた。
目が覚めてからずっとフラットを見に行こうか、それともルカのところだろうか、どっちにもいなかったらプラハ中を捜してまわろうかと考えていた自分はなんなのかと莫迦らしくなる。とにかく何事もなかったのだから良しとするしかないが――自分がこんなに心配性だったことに初めて気づき、ユーリは複雑な表情でテディを見つめた。
すると、ふとその顔が不安げに曇った。
「……怒ってる?」
ユーリは苦笑して、首を横に振った。
「怒っちゃいない。ただ、心配してただけだ、なんのために俺の部屋に泊めてると思ってる」
「……なにかないと、泊めない?」
「そうじゃないが」
テディは俯いたまま、ユーリの袖を掴んで頭を肩に預けた。
「ごめん、もう勝手に出ていったりしないよ……」
――こんな仕種をされて、抱きしめずにいられる男がいるわけがない。
ユーリは愛しくてたまらないという感情に任せ、ぎゅっと両腕のなかにテディを閉じこめた。
* * *
プリプロ作業は無事に終わり、次はいよいよレコーディングである。
今回は一流のプロデューサーとエンジニアの協力のもと、ロンドンで録ることになっていた。プラハから離れられると思うと、少し気が楽になるとロニーは思った。例の筆跡の手紙は、今も変わらず送られてきているからだ。
ユーリが片時も離れずついていてくれてはいるものの、テディの身が心配なことに変わりはない。それに、そもそもそんなことをメンバーに任せておいていいのかという疑問もあった。
しかし以前、全員にひとりずつ付き人をつけようかと云ったところ、気儘なルカたちはそれを嫌がった。もちろん必要なときはローディをつけていたが、楽器や機材の運搬、設置やメンテナンス以外の仕事をやらせることを、彼らは好まなかった。これだけ売れているプロのミュージシャンであれば、一人ひとりに楽器テックと付き人のような雑事を任せる人間がいるのが普通だし、こんな場合ならボディガードをつけてもおかしくはないのだが。
そして、順調だったが故にロニーはカウンセリングを受けさせるタイミングを逃したままでいたが、見たところテディはすっかり落ち着いた様子だった。ただやるべきことがずっとあったからなのか、偶々不安定になっているところに自分が居合わせていないだけなのかもしれないが、少なくとも演奏では頗る調子が良さそうだった。
あるとき、ユーリとふたりで上機嫌に話しているところに遭遇し、なにかいいことでもあったの? と尋ねると、揃って『陰性』と記された検査結果の紙を見せられた。ユーリも受けてたの? と少し驚いたが、そりゃそうだろと云われ、ロニーはそれはそうかと納得しながら赤面した。
まだ完全には安心できないとはいえ、とりあえずでもほっとできたことは大きいのだろう。無事陰性という結果がでたことで、テディはまた更に安定して良い状態を保てているように見えた。収録予定のなかではテンポの速いヘヴィな曲で、テディはこれまでにはなかったような演奏を見せていた。曲の顔となるとびきり印象的なリフを、ユーリのドラムに絡みつくような絶妙なグルーヴで延々と繰り返し続けたのだ。そのヒプノタイズなベースプレイは、曲に絶大な効果を齎した。
そして、ふと気づいてみれば、今やバンドの演奏の要は完全にテディであった。
テディがその音楽的センスを充分に発揮できるスキルに任せて自由に暴れ、ユーリがそれにぴったりと呼吸を合わせて寄り添い、そこにルカが伸びやかな声を乗せ、決して派手ではないが丁寧で正確なドリューのギターと、どこか懐かしいのに都会的なセンスを感じるジェシのローズピアノやハモンドオルガンが効果的に色付ける。
それだけではない。テディは曲作りやアレンジにもその能力を遺憾無く発揮していたが、それは詞に関しても云えた。詞のほとんどはルカが書いているのだが、彼が偶に言葉選びに詰まり頭を抱えていると、テディが助言して完成させる、というパターンが何度かあった。
ロニーが感心して、そんな普段使わないような言葉がどこからでてくるの、と尋ねると、テディは「子供の頃はひとりで本ばかり読んでたから……かな」と答えた。はっとして、厭なことまで思いださせてはいないかと顔を見たが、テディは特に表情を変えることもなく、ルカと一緒に譜割りを確かめたりしていた。
もうロニーは迷ってはいなかった。――なにがあってもテディから音楽を、このバンドを奪ってはいけない。
あることないこと書きたてられたり、騒がれたりすることはこの先もなくなることはないのだろうが、自分ができる限りのことをしてバンドを護っていくのだと。そうするうちにバンドは……否、テディは、きっとどんなインタビューに答えるよりも雄弁に、音楽で煩い連中を黙らせるに違いない。
来週にはロンドンだ。思いの外プリプロ作業が早く終わったため日数が空いてしまうことになったが、まあバンドにはいい休養になるだろう。
ロニーはイタリアンレザーのファイロファックスをぱたんと閉じると、それをバッグに入れながら時計を見、席を立った。
「――え、風邪?」
ロンドンに渡って二日め。ロニーはフライドエッグとハッシュドポテト、ソーセージとベーコン、マッシュルームにトマト、ベイクドビーンズという伝統的なイングリッシュブレックファストを、ホテルの一階 にあるレストランで摂っていた。
以前マンチェスターに滞在していたときと比べるとホテルのグレードが段違いな所為か、それほど悪くなく量も充分だった。
イギリスの食事は、食べるときにそれぞれ自分の好みで調味料を足して食べることが前提になっているものが多いので味の評価は難しいが、まあ普通に家で食べる簡単な朝食と変わらない感じだった。欲を云えば生野菜が欲しいのと、トーストがもう少し厚いといいのに、などと思いながら、ロニーは黙々とベイクドビーンズを口に運んだ。
ドリューとジェシは席についたばかりで、オレンジジュースを飲んでいた。そこへユーリとルカが揃ってやってきて、テディが風邪をひいて寝こんでいると告げたのだった。
「熱があるの? かなりつらそうだった?」
「たいしたことはなさそうだよ。ちょっと洟啜ってたけど」
「風邪ってより疲れがでたんじゃないのか。欠伸ばかりして眠そうだった」
「そう……たいしたことないのならよかった。あとで私もちょっと顔見てくるわ」
少し急ぎ気味に食事を終えると、ロニーはなにか飲み物やフルーツでも持っていったほうがいいかしらと考えながら席を立った。だが自宅と違ってルームサービスもあるし、欲しいものを訊いてからでもいいかと、とりあえず手ぶらで様子を見に行くことにした。
泊まっているフロアへ戻り、テディの部屋をノックする。ベッドにいたのだろう、少し待つとこん、とアンロックする音がしてドアが開き、テディが顔を覗かせた。――確かに鼻が赤い。
「具合はどう? 熱は?」
「ああ……ごめん、レコーディングのスケジュール狂わせて……。ちょっと熱っぽいけどたいしたことないから、今日一日寝てれば治るよ」
「スケジュールなんて、あってないようなものだからいいのよ。それよりなにか食べないと、治るものも治らないわよ……お医者呼ぶ?」
「いや、医者はいい」
なぜか慌てて返事をしたように感じてロニーが眉をひそめると、洟を啜ってテディが言い訳をするように付け足した。
「食欲はないけど、あとでアフタヌーンティーセットをルームサービスしてもらって、それを食べるよ。俺のことは気にしないでレコーディング進めてて。……今日、エミルって来る?」
エミルというのは、ヨーロピアンツアーのときからテディを担当しているローディである。まだ音楽の専門学校を出たばかりで若いが――若いといえばテディたちもそんなに変わらないのだが――ベーステックとしての仕事も立派に熟す優秀な子だ。
「もう来てるわよ昨夜から。もう少ししたら先にスタジオ入りして準備するはずだけど」
「今日、俺は無理そうだから、エミルに手が空いたらこっちに来てくれるように云ってくれないかな……そのほうがユーリたちも安心するだろ」
あらめずらしい、とロニーは思った。いつもメンバー以外の人間を傍におくのを嫌がるのに――見た目より実は具合が悪いのかと心配になってそう訊くと、テディは笑ってそうじゃないと否定しながら、洟をまた啜った。そして寒そうに腕を擦るのを見て、ロニーは「ごめん、わかった。じゃあエミルに云っておくから寝てなさいね」と慌てて云い、ドアを閉めた。
――かこん、とロックする音が、ドア越しに響いた。
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