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DISC 03 / TR-33 - I Put a Spell on You

 ルカはテディを連れ、人のあいだを縫いながらもといた場所に戻った。誰かと話しながら待っていたリカルドとロランドのふたりは、こっちを向くなり満面の笑みで両手を広げた。  久しぶり、と挨拶をしたテディを、ロランドはハグ――というか、ほとんど両腕でぎゅっと抱き竦めるようにして、両方の頬に二往復分のキスをした。困った顔で身を離すテディの背中や腰に手をまわし、もうモデルはやらないのか、写真を撮らせてくれないかなどと口説き始めたロランドに顔を顰めつつも、ルカは自分が付き合わせたのだから文句も云えないなと黙って見守っていた。  リカルドのほうは他にも何人かモデルらしい取り巻き――男も女もアンドロジニーも――を連れていて、ルカもテディもそのモデルたちと挨拶や雑談をしなければならなかった。ルカは慣れているが、テディはこういう社交の場は苦手なうえ、もともと人見知りが酷いこともあって、ぎごちない笑顔を貼りつけたまま困っているようだった。ルカはその様子を見てやれやれと苦笑いし、頃合いを見て声をかけた。  取り囲んでいたモデルたちを適当にあしらってやると、テディはあからさまにほっとした顔をした。タイミングを見計らってルカは飲み物を取りにいこうとテディの手を引き、その場を離れた。  するとテディの後に、にこにこと笑顔のロランドが一緒になってついてきた。  もう一頻り話したあとだったので、ロランドの行動は予想外だった。バーカウンターまで来るとロランドはテディにべったりとくっついて、なにやら耳打ちしながらエスコートしている態で腰から下のあたりを撫で始めた。  自分がここにいるのになんと積極的なことかと半ば呆れながら、ルカはどうやってテディからこの男を引き離そうかと考えていた。が、ルカはルカで次から次へと現れる知り合いに声をかけられ、それどころではなかった。こういう場でよく顔を合わせるモデルの女の子たちに囲まれ、しょうがなくどうでもいい話に相槌を打っていると、そのあいだにテディのグラスが変わっていた。  モスコーミュールを頼んだはずのテディが、なにやら紅茶のような色の濃いグラスを傾けている。もう二杯めということはテディに限ってないだろうが――ルカは妙に気になったのと、なかなか去らない女の子たちの相手にうんざりしたこともあり、ちょっと失礼とテディの傍へと戻った。 「テディ、なに飲んでるんだ? モスコーミュール飲んでたんじゃないのか」  ルカが訊くと、テディの向こう側にいたロランドがグラスを掲げ、ひょこっと顔をだした。 「それは僕がもらったよ。交換したんだ……アイスレモンティーにちょっとお酒が入ったやつさ」  既に半分ほど飲んでいるテディの目はとろんとして、話しかけられていてもちゃんとわかっているのかいないのか、ただ頷いているだけのように見えた。俯き加減で顔にかかる髪もそのままに、カウンターに寄りかかるようにして立っている足許がふら……と安定を失い、ロランドが腰を支えたかと思うとまた耳打ちをして尻を撫でる。これはまずいなとルカはテディに話しかけようとしたが、タイミング悪く、また顔見知りのスタイリストに捕まった。 「ルカ! 相変わらずハンサムね。さっきまでここにエマもいたのよ、会った?」 「ここに? いや、まだ会ってない」  どうやら入れ違ってしまったらしい。まだ近くにいるだろうかとルカはホールのほうを見まわしたが、人が多すぎてみつけることはできなさそうだった。 「昨日、私たちもシゲトのバックステージにいたのよ? メインステージの控えにね。ジー・デヴィールの出番のときも仕事だったから音しか聴いてないけれど……最高だったわ」 「ありがとう。みんなにも伝えておくよ」 「今度仕事で呼んでね。とびきりかっこよく仕上げてあげるから」 「考えとくよ……じゃ」  当たり障りのない適当な受け答えをして、やっと開放されるとルカはテディのいた場所に向き直り――目を瞠った。  テディがいない。ロランドも。狼狽えながらカウンターのなかでグラスを磨いているバーテンダーに「さっきまでここにいたふたりは?」と尋ねると、ひとりが気分が悪くなったようなのでレストルームか、上の階か外へ行ったんじゃないかと教えられた。  青や紫のライトが揺れるなか、ルカは舌打ちしながら密集する人の波を掻き分け、最初に案内されたボックス席へと向かった。ひょっとしたらロニーたちがそっちに集まっているかもしれないし、そうでなくてもドリューか誰かはいるだろうと思ったのだ。その考えは間違っていなかった――席に向かう途中でロニーとエマとユーリに会い、「テディは?」「テディが!」と声が重なると、ユーリがどういうことだとルカに詰め寄った。 「悪い、ほんとにすまない……気はつけてたんだが、ちょっと人と話してる隙に連れていかれた」 「連れていかれたって……テディ酔ってるの?」 「たいして飲んでないはずなんだけど、足許がやばかったんでまずいとは思ってたんだ。でもほんとに、一杯も空けてないんだが」 「なにを飲んでた?」 「わからない……モスコーミュールを飲んでたんだが交換したって云って、なんだかアイスティーみたいなのを」  ルカが答えると、ユーリはかっと目を見開き、顔色を変えた。 「ロングアイランドアイスティーか! くそ……」  険しい表情のユーリを見て、ロニーも不思議そうに尋ねる。 「なんなの、その……ロングアイランドって。アイスティーじゃないの?」 「知らないの? ロングアイランドアイスティーっていうのはねロニー、なぜか紅茶の味はするけど紅茶はまったく入ってない、飲みやすいけどものすごく強いカクテルよ。女の子を騙して飲ませてなんとかしようって悪用されるカクテルの極め付き」  エマが答えると、ロニーはええっと驚いてユーリの顔を見た。 「そうだ。度数が高いだけじゃない、ラムとウォッカとテキーラとジン、それとリキュールのミックスなんで廻りやすいんだ。……交換だって? そんなものを飲ませようって奴は間違いなく良からぬことを企んでるぞ。なんで目を離したんだ!」  それを聞いて、目をとろんとさせたテディの様子が瞼の上にフラッシュバックする。ルカは唇を噛んだ。 「ほんとにすまない! あとで何発でも殴られてやるから、今はとにかく捜すのを手伝ってくれ」 「当たり前だ!」        * * *  やっぱりテディから離れるべきじゃなかったと後悔しながら、ユーリはルカやロニーと一緒にいったん席に戻った。  そこでじっと待っていたドリューとジェシに事の次第を簡単に話すと、じゃあ全員でテディを捜そうということになった。エマとロニーは引き続きファッション関係の知りあいをみつけ、ロランドを見なかったか訊くといってまたホールに戻っていった。ルカもそれとは反対のほうへ、ドリューとジェシも誰かに引き留められてテーブルにいないか見てみると云って、外周に沿って歩いていった。  ユーリもドリューたちとは逆回りに外周を進み、巨大な柱の陰に何ヶ所かあるレストルームを片っ端から覗いてみることにした。こういった場合、まず探すべきはそこだった――悪酔いして嘔吐する、隠れてドラッグをやる、そして、手っ取り早く事に及ぼうとする男が連れこむ場所であるからだ。  一ヶ所め、二ヶ所めにはテディの姿も、怪しいところもなにもなかった。が、三ヶ所めのドアを開けたとき、洗面台のところでコカインを吸引していたらしい二人組が振り返り、ユーリを睨んだ。踵を返して出ようとしたが、瞳孔を開かせた男がなにをそんなに慌てているのかと早口で訊いてきて、ユーリは足を止めた。  下手に無視して難癖をつけられるほうが面倒だ。ユーリは「恋人が攫われたんで捜してる」と短く答えてやった。するとその男は「そりゃ大変だ」と、ユーリに近づいてきた。 「俺、あんたを知ってるぞ。ユーリだろ。ドラムだ、ジー・デヴィールだ。恋人は美人なのか? こんなところで攫われたらGHB(Gamma-Hydroxybutyric Acid)(エクスタシー)でも酒といっしょに飲まされて階上(うえ)行きだ、気の毒に。知ってるか? 階上の部屋じゃ今オージーやってるぜ。売人(プッシャー)がさっき云ってたんだ……象が十頭死ぬまで走り続ける量のスノウとクリスタルがどっさり売れたってな。おかげでこっちは大サービスさ……あんたも欲しかったら分けてやるぜ」  今度は無言で、ユーリはその場を離れた。        * * *  懸命に捜したがテディの行方は知れず、エマもロランドを見たという知り合いをみつけることはできなかった。焦りからか、脳裏に最悪の事態が浮かぶ。どうしてテディばかりがこんな目に遭うのか――否、まだ今回はなにが起こっているのかわからないが――残るはやはり階上しかないのかと、そこへ通じる廊下にロニーとエマが向かっていたとき、同じことを考えていたらしいユーリと鉢合わせた。 「……やっぱり、階上しかない?」 「わからん。でも、他は隈なく捜したはずだ……」  ユーリの顔は、まるで徹夜明けのようにやつれて見えた。あの冷静で知恵が回る、誰よりも頼りになる男が、どうしたらいいかわからないというように落ち窪んだ目を彷徨わせている。ロニーはきっと大丈夫よ、と声をかけようとして、やめた。なにも根拠のない無責任なことは云えないし、云うべきでもない。  そのときだった。 「あ、あれ――」  エマのその声に顔をあげると、最初入ってきた扉のほうから、テディがロランドらしい男と連れだって歩いてくるのが見えた。いくら捜してもみつからなかったのは、どうやら外に出ていたからであったらしい。  ユーリはあからさまにほっとした顔をして、壁に凭れた。エマがその様子にくすりと笑いながら「何事もなかったみたいでよかったわね」と云い、ロニーもやれやれと笑みを浮かべながら視線を戻す。すると――テディが一瞬、ちらりとこっちに顔を向けた。  けっこう離れているし、こちらのほうが暗いのでテディのほうから自分たちが見えたかどうかはわからない。だが、ロニーは目が合ったように感じた。暗いとはいえ青い光はちらちらと飛んでいるし、自分たちがここにいることくらいは気づけるはずだ。  とにかく、またはぐれないうちに合流しよう。そう思って動く前に、自分たちとテディを隔てている通路を八人ほどのグループがぞろぞろと歩いていった。束の間、テディの姿が遮られる。そしてグループが通り過ぎたとき、そこに見えるはずのテディの姿がまた消えていた。否――そうではなかった。ついさっきまでほっとしていたユーリが瞠目し、顔に驚愕の色を浮かべ、それを見た。  テディがロランドの躰の影に隠れてしまっている――頭だけが少し動いた。抱擁され、キスをしているのだ。  ユーリが愕然としてその場で動けずにいるあいだ、その抱擁とキスは続いた。テディが嫌がっている様子もなく、躰を揺らすようにして変えた向きの所為で、後ろにまわした手が腰の下まで伸びているのが見えた。ロランドはテディの尻を掴み股間を押しつけるようにして躰を密着させ、なにか話しながら親指で上を示すポーズをした。  それを見て、金縛りが解けたかのようにユーリがつかつかとふたりのいるほうへと歩いていった。ロニーは厭な予感が脳裏に瞬くのを感じ、慌ててついていこうとした。だがエマに腕を取られ、止められた。首を横に振るエマの顔を見て、動揺しながら絶妙に離れているその位置から見守り続ける。  テディは、ユーリの顔をいま気づいたというように見た。さすがに身を離したロランドをまったく無視して、ユーリがテディの腕を引く。いきなりテディを殴ったりはしなかったのでロニーはひとまず安堵したが、なにやらユーリとロランドが云いあう様子に、今度はロランドを殴るのではないかと心配になった。  テディも同じ不安を感じたのか、ふたりの間に入ってユーリを両手で押すようにして引き離す。その所為か矛先が変わったらしい――激昂した様子で、ユーリがテディの襟首を掴んだ。  絞めあげるようにして顔を近づけ、なにか云っているユーリを、今度はロランドが止めに入る。周囲の注目も浴び始め、ロニーはもうこれは放っておけないと近づいた。今度はエマも止めなかった。 「ユーリ、テディ。帰るわよ」  それだけ云って腕を組み、仁王立ちする。有無を云わせないその雰囲気に、ユーリは忌々しげに手を離した。テディは俯いて襟を直し、ロランドもなにも云わず両手をあげる。  テディとユーリを引き連れ、ロニーはエマのいるところまで戻った。エマの顔を見て、テディは「久しぶり」と云って苦笑した。エマはその肩をぽんと叩くと、笑顔で云った。 「だめよ、彼に心配かけちゃ。遊ぶならもっとうまくやんなさい」 「エマ! 変なことを教えないでやってくれ」 「とりあえず席に戻りましょ。ルカも心配してるし」  そう云って歩きながら、ロニーはルカにメールを送った。元の席に戻って――ホールのなかを隈なく動きまわったおかげで、自分たちがどこのボックスにいたのかももう把握できるようになっていた――全員揃ったらさっさと引きあげようと、頭のなかで段取りを考える。  その背後で、ユーリとテディがなにやら云い合う声が聞こえていた。 「遊ぶって……そういうつもりじゃなかったんだけどな」 「じゃあどういうつもりだったんだ。あんなスケベ野郎に尻触らせて、キスまでしといて――」 「あれはちょっと……油断したけど」 「油断って、だいたいおまえは――」  もうまったく、とロニーは振り返った。 「もう、そういうのはあとにして! でもテディ、ユーリの云うこともわかってあげなさいよ、すごく心配してたんだから。それに油断って云うならもっと前なんだからね? あなたの飲んでたサザンアイランドアイスティーとかいうカクテルは――」 「ロングアイランドだよ、ロングアイランドアイスティー」  テディがそうロニーの間違いを訂正するのを聞いて、ユーリがぴた、と足を止めた。 「知ってたのか?」  その声にテディも足を止め、ユーリを振り返った。 「おまえ、わかってて飲んだのか?」 「……それが?」  テディの返答にユーリは左右に頭を振って、眉を寄せた。 「それが、だって? おまえ、自分が酒に強くないのわかってるだろ。なのにあんなスケベ野郎と一緒に、レイピストが常套手段にしてるようなカクテルを飲むなんて、いったいなに考えてるんだ!」  テディは真顔でじっとユーリを見つめた。  そのとき、ふとロニーは思った――テディ、今は素面なんだ、と。 「……さっきからスケベ野郎って……そりゃ、ちょっと面倒なところもあるけど、ロランドはいい奴だよ。あの程度べたべたされるのはファッション関係で仕事してるゲイならふつうだったし――」 「いい奴がオージーに誘うのかよ、聞いて呆れる」 「別にめずらしいことじゃないだろ。それに、俺は断ってたんだから問題ないじゃないか」 「さっきだって階上に行こうって云われてたんだろうが」 「それは、俺がまだ気分が悪いようなら階上で休むかって――」 「ほらみろ、休ませてるあいだにいったいなにをする気だったんだか」  テディは呆れたように首を横に振った。 「それなら俺が酔ったときに外へ連れだしてくれたりしてないだろ……いいかげんにしろよ、ロランドはそういう奴じゃないって。いやだって云ってるのに無理遣りのはユーリのほうだろ?」  ユーリはぐっと返す言葉に詰まった。ロニーとエマはなにかとんでもないことを聞いてしまったと、思わず顔を見合わせた。  暫し黙って視線をぶつけあい、ユーリが心外だと云わんばかりにゆるゆると首を振り、宥めるように云う。 「無理遣りだなんて……そんな云い方はないだろう? ちょっと強引だったことはあるかもしれないが――」 「いやだって云ってるのに強引に脱がせて舐めて突っこむことをなんていうか知ってるか? レイプだよ」 「……! おまえ、俺がおまえにそんな……そんなふうに思ってたのか? ありえないだろ、俺がおまえにそんなこと――」  周囲がEDMとダンスに夢中でよかったとロニーは思った。自分たちの会話も相当大きな声で話してはいるが、面と向かっているからやっと聞こえる程度で、もしなにやら揉めているなと気づいた人間がいたとしても、話の内容までは聞こえていないだろう。それでも、痴話喧嘩と呼ぶにも少々憚られる内容になってきたので、さっきよりも厳しい口調で仲裁に入る。 「ちょっとストップ! あんたたち、いいかげんにしなさい、場所を弁えて! そういうのはあとにしてって云ったでしょう。それにユーリ、ちょっと落ち着きなさい……あなたらしくないわよ。テディ、今は酔いが醒めてる。ロランドって人が本当にテディになにかしようと思ってたんなら、テディの云うように外へ酔い醒ましになんか連れていかないわよ。そこのところで左じゃなくて、右へ行けばエレベーターなんだから」  そう云いながら、ロニーはなにか違和感を覚えていた。  ――キス。あのキスシーンを目撃する前、テディは間違いなく自分たちに気づいていた。  テディは油断したと云うが、それは本当だろうか? あのロランドという男がテディに対し下心を持っていたのは事実なのだろう。しかし、その下心を以て勧めた強いカクテルによって、テディが正体を失うより先に気分が悪くなると、外の空気を吸いに連れだすようなお人好し――或いは、それだけテディに惚れこんでいるのか――でもあったわけだ。  そんな男が、あんなところでいきなり強引にキスしたりするだろうか? 「わかったよロニー。あんたの云うことはもっともだ。――テディ、あとでちゃんと話し合おう」 「……うん」  とりあえずこの場はいったん収まったらしい。ロニーは、なにやらすっきりしない気分のまま、元いた席へとまた歩きだした。  ボックス席にやっと戻ったときには既に全員が揃っていて、ドリューもジェシもテディの顔を見るとほっと胸を撫でおろしていた。ルカは、テディがなにか云いたげに見つめていると、ふぅ、と溜息をついてこう云った。 「ユーリを困らせるなって云ったろう」  テディはなにも云わず、ただ俯いた。そんなテディに背を向け、ルカはにこやかにエマと話しだした。  ドリューとジェシも一頻り言葉を交わし、いったん席につくとロニーも少し雑談に混じったが、タイミングを見計らいそろそろ引きあげることを告げた。エマも引き留めることもなく、じゃあ見送るわと云って全員が席を立ち、またぞろぞろとホールの端を歩きだす。  エマと並んで歩きながらロニーは、前を行くユーリとテディのふたりと少し距離を置いて続くルカを見ながら、以前聞いた話を思いだしていた。  夜中に廊下でキス……必ずばれる……隠す気がない――そうだった。あのとき学生時代の話を聞いて、ロニーはそれをテディが不安からついとってしまう試し行為だと、ルカに云った。  テディは父親を知らずに育ち、少年期に性的虐待を受け、居を転々としていた所為で、おそらくルカと出逢うまではまともに友達と呼べる存在もなかったと思われる――テディは、愛情をちゃんと受けとめることに慣れていないのだ。自己肯定感も低く、ルカが何度も愛の言葉を伝えても、彼はそれを信じることができなかった。否、信じて、心から愛しあって幸せな時期が訪れたとしても、今度はそれがいつまで続くのかと不安になったに違いない。だからすぐにばれる不実な行為をして、人の心を試すようなことを繰り返すのだ。  どの程度強引だったのか、さっきの話からだけではわからないが、テディはユーリの行為に不安を覚えたのではないか。一緒に過ごしていると必ずセックスをするとか、受身側のことを考えていない躰だけ借りているようなジャンクセックスをされるとか、そういう不満は残念ながら多くの女性にも覚えのあることだ。受身側であればゲイの男だとて同じだろう。それでつい、自分が本当に愛されているのかどうかを試す行動にでてしまったのではないだろうか。  無論、他の相手とのキスシーンを見せることで、恋人の愛情が測れるなんてことはない。この試し行為というやつの厄介なところは、やる側がほとんどの場合、無意識だということである。  何事もない平穏な毎日を送っていたとしても、自己肯定感の低さから自分が愛されているかどうかを見失い、相手からなんらかの反応を引きだそうとする――それが浮気現場を見せることであったり、別れ話をすることだったり、今から自殺すると電話することだったりするのだ。もちろん、そんなことを繰り返された相手は疲弊し、うんざりして離れていくという、望むのと逆な結果しか生まない。  そんな試し行為を、ルカよりも短気ですぐに手がでるユーリ相手にこれからも繰り返したらとロニーは想像した――惨憺たる未来しか浮かばない。 「ロニー? どうしたの、さっきから怖い顔して……」 エマに話しかけられ、ロニーははっと思考の渦から脱して現実のテディの顔を見た。知らないうちにじっと見つめてしまっていたのか、不思議そうにテディが小首を傾げている。  ロニーはエマのほうを向くことで、さりげなくテディから目を逸らした。 「ごめん、ちょっとぼーっとしちゃってた……。エマ、今日はせっかく久しぶりに会えたのになんだか悪かったわ、ばたばたさせてしまって……」 「いいのよ。会えてよかったわ……ニールのことも、話せてよかった。――ユーリ」  エマはユーリを呼び寄せると、軽くハグして小声で云った。 「夫婦間でもレイプは成立するのよ? もっと大切にしないと他の誰かに盗られるわよ……君がそうしたようにね」  ユーリは唇を噛みしめながら頷いていた。ロニーはその様子を見ながら、それでも、どんなに大切にしても結果は同じだろうと思った。  テディの恋愛に安定という文字はない――あんなに才能に溢れ、人が羨むほどのルックスに恵まれているのに、なんて不毛なのだろう。  エマと別れクラブを出ると、手配した車が来るまで少し待たなければならなかった。  日中と違い、少し肌寒いくらいの空気に煙草が欲しいなと思いつつ空を見上げる。ふと後ろを振り返ると、テディがユーリの背中に手をまわしてぴったりとくっついていた。ユーリはそんなテディの肩を抱き、なにか考えこむように宙を見つめている。  車が二台到着し、まずドリューとジェシが後部座席に乗りこむと、後ろに立っていたはずのルカがすっと前にでてきて、先に助手席に乗ってしまった。別にどういう組みあわせで二手に分かれるか決めていたわけではないので、特になにも思わず後続の車に乗るよう、ユーリとテディを促そうとして――ロニーは、気づいてしまった。テディのその、昏い瞳の色に。  ジグソーパズルで最後のピースがどうしても嵌らないことがある。もちろんそんなはずはない……どれかひとつ、無理に間違った場所に嵌っているピースがあるのだ。今のロニーはそれに気づいた瞬間に似た、そんな心境だった。  一瞬見たテディの表情が、彼自身の真実の気持ちを雄弁に語っていた。テディはまだルカのことを想っている――なのになぜ、ユーリのもとにいるのか? いつからユーリと一緒にいるようになったのだった? ロニーは懸命に考え、いつだったかテディを捜して部屋に行ったとき、ルカも誰もいなかったことを思いだした。  そう、あれはイビサで、エリーがゲイサイトの書きこみをみつけたときのことだった。つまり、あのレイプ事件のあとからユーリと同じ部屋で寝起きし、行動を共にするようになったのだ。  それはルカよりもユーリのほうが頼りになるから、そうなったのだろうか? 否……おそらくそうじゃない。危ないから頼れと云っても大丈夫と答えるテディが、人を利用するような頼り方をするわけがない。  ルカを好きなのに、ルカのほうに頼りたいのにそれをしない――できないのだとしたら、テディの性格からすれば、もう答えはひとつしかない。  テディはもう、自分がルカに愛される資格がないと思っているのだ。

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