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Outro - I Guess That's Why They Call It the Blues

 日本公演も大成功を収め、プラハに戻ったルカたちは、冬休みとでも呼ぶべき期間をゆったりと休養しつつ過ごしていた。  チェコの冬は長く厳しいが、建物のなかなどはどこも暖かく過ごす工夫がされている。晴れた日でも冷えこみやすく、石畳の(みち)は雨や雪が降ると滑りやすくなるが、十一月の下旬からは旧市街広場やヴァーツラフ広場など、街のあちらこちらでクリスマスマーケットが開かれ、十二月五日の夜には聖ミクラーシュの祭もあるので人出は少なくない。  大晦日の夜にはカウントダウンで地元民も観光客も一緒になって盛りあがり、レトナー公園から打ちあげられる花火がプラハ城を照らし、ヴルタヴァ川に映るのを楽しむ。二月の上旬にはマソプストというボヘミアンカーニヴァルがあり、フォークロアな仮装をした人々が歌ったり楽器を演奏したりしながら、パレードで練り歩く。  そうして――街が静けさを取り戻した二月下旬のある日。  ジー・デヴィールはイギリス最大の音楽賞イベントであるブリットアワードに招待され、ロンドンへと飛んだ。  プレゼンターが出てきて壇上に立つ。黒いカードを持ち、にこやかに台本どおりのコメントを述べると、後ろのスクリーンに出ていた『インターナショナルグループ』の文字がノミネートされたグループのミュージックビデオに変わった。  シャンパンやワインなどが並べられた丸いテーブルを囲むルカたちは、緊張した面持ちでその映像を眺めている。ジー・デヴィールは四番めに紹介された。  そしてプレゼンターがようやく黒いカードを開き、マイクを持ち直すと賞の行方を発表した。 「――ジー・デヴィール!」  そうはっきりと聞こえた瞬間、ルカは忘れていた呼吸を再開するかのように大きく息を吸い込み、立ちあがりながらメンバーの顔を見た。これは本当のことなのか、といった途惑い混じりの表情でユーリとドリューが互いに顔を見合わせている。ジェシも同様だった。  空気を震わせる歓声と拍手のなか、なにが起こっているのか確認するように周囲を見まわすテディの腕を引いて促し、ルカはテーブルのあいだを縫って歩きだした。そのあとにユーリ、ジェシ、ドリューが続く。フォーマルなスーツやドレスに身を包んだゲストたちに見送られながらステージの前を横切り、五人は端にある階段から壇上へと上がった。  さっきまで坐っていた場所の辺りを見渡し、気づいていた以外にもTVでしか見たことのない大スターが傍にいたのだと驚く。プレゼンターと握手し、軽いハグを交わしたあと、差しだされたトロフィーとマイクを受け取る。マイクはそのままルカが持ち、トロフィーは後ろに立っていたドリューに渡した。ドリューが誇らしげに高くそれを掲げると、また場内が沸いた。  歓声と拍手が少し落ち着くのを待って、ルカはマイクを持った手をあげた。 「ありがとう。信じられないよ……こんな日が来るなんて思ってもみなかった。今、とても最高な気分だ」  そこまで云うと、ルカはふと少し後ろに立つテディの顔を見た。そして、マイクをテディに渡そうとした。テディは驚いたように首を横に振り、ユーリの後ろに半身を隠してしまった。  ルカはマイクを持ち直し、苦笑を浮かべた。 「俺はよく調子がいいとか云われるし、こういう場で如才ない謝辞をスピーチすることも得意だけれど、それよりももっと素直で正直な気持ちを、彼なら云ってくれると思う。テディ、頼むよ」  そう云うと、ルカは再度マイクをテディに向かって差しだした。  ユーリに背中を押され、テディは途惑いながらおずおずと一歩、前に出た。  マイクを受けとり、自分に向けられる拍手の波を見やる。ライヴの観客とは明らかに違う、華やかなゲストたち。やらなければいけないのも演奏ではなくスピーチで、テディにとっては頗る苦手なことだった。  足が震え、口が渇くのを感じる。自分に数えきれないほどの視線が浴びせられる。そのほとんどが自分のことを――ゲイだということも少年期の性的虐待のことも、男娼まがいのことをしていたのも、ヘロイン中毒者(ジャンキー)だったのも――なにもかも知っているんだという観念に囚われる。注がれる視線は侮蔑と嘲笑を含んだ鋭い矢となって自分に刺さり、居た堪れず逃げだしたくなる――なのに、足は竦んで動かない。  どうしようもないまま、テディはすぅっと視界が遠ざかっていくのを感じた。耳のなかで風船が膨らんだように、拍手の音もくぐもって小さく聞こえる。まるで小さな子供のように、途惑ったまま突っ立っている自分を高いところから見下ろす――何度か憶えのある感覚だった。  だが今は、見下ろしているのは、あれは自分なのだろうか、と不思議な心地になった。ああ、でもそんなことよりもスピーチをしなければ……頭のどこかでそうわかってはいるのだが、まるで世界が止まってしまったかのようで、言葉は当たり前の挨拶すらもでてこない。  そんなふうに、頭が真っ白になっていたそのとき――そっと背中を支える手を感じて、テディは。  そうだ――過去にどんなことがあったって、それが今の自分をつくってきた欠片なのだ。  厭な目にも遭った。間違いも犯した。でも、それを運命の所為にはしない。いろんなことがあったけれど、それでもここまできた。いま自分は、バンドの一員としてここに立っているのだ。  ひとりじゃない。ルカも、ユーリも、みんないる。なにも怖れることはない――  ふぅと息をつき、ゆっくりとマイクを持ちあげると、それが合図だったかのように拍手と歓声がフェイドアウトした。 「……実を云うと、こういう賞とかってどうでもいいと思ってた。好きだと思って聴いてくれる人がいるなら、それだけで充分じゃないかと思ってたんだ……協会の偉い人とかに認められたりしなくてもね。だけど、こうやって実際ここに立って、大勢の人がこっちを向いて拍手してくれているのを見ると……どうしよう、なんかやっぱりすごいことなんだって動揺してる。  ところで、俺は木曜日生まれなんだ。俺はずっと、自分はなんの価値もない人間だと思ってた。ただの道具みたいに扱われたことがあったからか、自分で自分のことを大事にできなくなってたんだ。  そしたらある日、似たような奴が俺の前に現れた。顔もそっくりな、俺と同じ木曜日生まれの子供(サーズデイズ チャイルド)だった。自分の運命を呪って、俺になりたがって、俺にかかってた呪いをかっさらって、俺の代わりに……そいつは遠くへ旅立ってしまった。そして知ったんだ……生きてると自分じゃどうしようもない理不尽なことや、最悪な出来事に遭うこともあるけれど、いちばんの不幸は自分を肯定できないことなんだって。  ルカに云われたことがある……俺はどこかが壊れてるって。でも、その欠けた部分の一部はきっと、音楽が、バンドが埋めてくれていた。このバンドがなかったら、俺もとっくに旅立ってしまっていたかもしれない。バンドをやっててよかった。みんなと出逢えて、ルカと出逢えて本当によかった。生まれてきてよかった。今は心からそう思える。  俺たちをみつけてくれたロニー、ニール、エマ。それからいつも傍で支えてくれるターニャ、マレク、エリー、カイル、イジー、ヤン、エミル……他のスタッフのみんなにも、とても感謝してる。あとプロデューサーのジミー、エンジニアのグリンとアンディ、ダグ……素晴らしい仕事をありがとう。それから美容師のレジー、たくさんの友人たち、ファンのみんなにもありったけの感謝を……。ファンじゃなくても曲を聴いてくれた人や、ネットで話題にしてくれた人、メンバーの家族や、今まで俺たちに関わってくれたすべての人にも。  それから、オルガばあさん。バンドを始めた頃、練習場所を提供してくれたうえに偶にメシまで食わせてくれて、とてもありがたかった。口ではボロクソに云われてたけど、ばあさんがすごくいい人だってことはみんな知ってるよ。あと――」  テディはいったんそこで言葉を切って、ふっと笑みを浮かべるとこう続けた。 「あと、きっといつも見守っていてくれてるおふくろ。俺はもう大丈夫だから、そっちでしっかりルディを抱きしめてやってくれ。じいさん、今度、ちゃんと会いに行くよ……ゆっくりジャズの話でもしよう。  それから――父さん。……俺を認めてくれて、ありがとう」  テディがマイクをルカに渡し、ほっとしたように一歩下がると――その瞬間、場内から割れんばかりの拍手が起こった。  ほとんどのゲストが立ちあがって拍手をし、なかには感動したのか涙を零している女性もいる。ロニーも舞台袖でずっと見守りながら、真っ赤にした目をハンカチーフで押さえていた。  テディはユーリの陰から場内のその様子を見て唖然とし、ルカはもう一度ありがとう、と挨拶をしてマイクをステージ上のスタッフに返したあと、テディを思いきり抱きしめた。 「素晴らしかった! 俺がお決まりのスピーチをするよりずっとよかった。最高だよテディ、愛してる」  ユーリがくしゃっとテディの髪を掴んで頭を撫で、ドリューも笑みを浮かべながらぽんと肩に手を置いた。ジェシはぐすっと鼻を鳴らしながら、舞台袖にいるロニーと視線を交わし頷きあった。  少しルカから身を離して、ルカの目を真っ直ぐに見つめ、テディは云った。 「俺も愛してるよ、ルカ」  一瞬軽く触れるだけの口吻けを交わして、ふたりはもう一度固く抱きしめあった。  その日いちばんのスタンディングオヴェイションは、まるでふたりを祝福するかのように、ステージから去るまで止まずに、ずっと続いていた。 - THE END - 𝖹𝖾𝖾𝖣𝖾𝗏𝖾𝖾𝗅 𝗌𝖾𝗋𝗂𝖾𝗌 #𝟣 "𝖳𝖧𝖤 𝖣𝖤𝖵𝖨𝖫 [𝖫𝗂𝗆𝗂𝗍𝖾𝖽 𝖾𝖽𝗂𝗍𝗂𝗈𝗇]" © 𝟤𝟢𝟤𝟦 𝖪𝖠𝖱𝖠𝖲𝖴𝖬𝖠 𝖢𝗁𝗂𝗓𝗎𝗋𝗎

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