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第3話

 弟から留学の事を聞いた一週間後。  僕はラジェス帝国に輸出する品物を運ぶ荷馬車に乗って、静かにアステル王国を旅立った。  公爵である父は、留学の事をギリギリまで僕に告げなかることはなかった。  ーーもしかしたら逃げ出すとでも思われたのかな。  あの後、火傷から感染してしまって、高熱を出していた僕に逃げる術はなかったんだけど……。  ガタゴトと揺れる荷馬車の片隅で、荷台の後方から空を見上げて思う。  当然だけど見送りもなし。  荷物は、もともとそんなに物を持ってなかったから、バッグ一つで事足りた。  一応国に選出された留学生って形だから、着ていく服だけは立派な物を与えられたけどね。  キラキラしい服を着た僕に、兎獣人の御者は凄く申し訳なさそうな顔をしてくれた。 「偉いところの坊っちゃんなのに、こんなオンボロな馬車で申し訳ねぇ……」 「いえ、こちらが乗せて貰うのですから、逆に申し訳ないくらいです」  にこっと微笑むと、恐縮しながらも丁寧に僕を荷馬車に乗せてくれた。 「じゃ、行きますよ」  パシンと軽く手綱を鳴らすと、馬車はゆっくりと走り始めた。  火傷もまだ癒えていないし、高熱を出したあとで体調も万全ではない。そんな状態で、カタカタと絶え間なく揺れる馬車での移動はとても堪えた。  でも旅も5日目、そろそろラジェス帝国側の国境が見えてくる頃だ。国境を越えれば、帝都には大体一週間くらいで着くはず。  ーーあと少し我慢すれば、帝都で身体を休めることができる……。  カタカタと響く車輪の音を聞きながら、僕は再び熱が上がり始めて怠くなった身体を壁に預けて、いつの間にか寝入ってしまっていた。 「止まれ! 止まるんだ!!」  突然響いた鋭い声に、はっと目を醒ます。  そろりと外の様子を伺うと、いつの間にか荷馬車はラジェス側の国境へと辿り着いていた。 「ええっと、どういった事でしょうか?」  困惑した御者の声が聞こえる。 「検問でしたら、入口の門の所で受けるんじゃないんですかい?」 「今は非常時でね。通常、荷の搬送業者は専用通路を使うが、それを閉じていて正門の付近が渋滞を起こしているんだ。だから検問を受ける馬車の待機場所へ移動して欲しい」」 「へぇ……。それはいいんですが、非常時っていうのは? 危険ならば引き返したいんですが……」 「いや、危険はないんだ。ただアステル国から留学生がくる事になっていてな」  その言葉にハッとなって、慌てて身構える。そっと気配を押し殺して様子を伺っていると、国境兵士らしい男の言葉が続いた。 「その留学生の身柄を確保するようにと通告があったんだ。だから、アステル側から来た馬車は全て中を改めさせて貰っている」 「身柄を確保、ですかい? 何やら物騒ですね」  僕がその留学生だと知っている御者は、慎重に言葉を選びながら尋ねている。 「詳しくは分からんが、どうせ向こうが良からぬ事でも企んでんだろう。……因みにこの馬車に乗っちゃいないだろうな?」  ふと探るように問う兵士に、正直者の御者は直ぐに返答ができなかった。瞬間、荷台で息を潜めていた僕にも分かるくらいに、辺りに緊張感が走る。  咄嗟に積み荷の隙間に身を隠した僕は、バタバタと駆け寄ってくる複数の足音に、思わずギュッと目を瞑って小さく小さく身体を縮こませた。熱のせいで力が入らない身体では、逃げ出すことなんてできやしない。 「ま……待って下さい!!」  慌てて御者の男性が声を上げたけど、兵士は問答無用とばかりに静止を振り切った。 「荷台を検める!」  大きな声と共にギシリと荷台が軋み、兵士がこの場所に足を踏み入れたことが分かった。  ーー見つかるのは時間の問題だ……。  着いた早々に排除されるんだろうか。ぶるぶると震えるしかない僕は、笑っちゃうくらいに情けなく惨めだった。 「っ! 見つけたぞ!!」  直ぐ近くで大きな声が響く。ぐっと肩を掴まれ、ドン! と積み荷の箱に身体を押し付けられた。  痛みに眉を寄せつつぱっと顔を上げると、僕を押さえ付ける兵士がギョッと驚いたように目を見開いた。 「き……君……?」  狼狽えた様子で肩を掴んでいた手を放すと、ぱっと後ずさり僕から距離を取る。  支えを失った僕は、そのままズルズルと力なく崩れるように床に倒れ込んでしまった。コツン、と床に頭が着く。  倒れた僕の視界に、複数の兵士の靴と荷台の後ろから見える青空が映った。  さっきまで恐ろしくて震えていたのに、今はその震えが面白いくらいにぴたりと止まっている。  ぼんやりと定まらない思考のまま、「このまま死んでしまいたいなぁ」と思う。だって今死ぬのが一番楽そうなんだもの。  あぁ瞼が重い。このまま意識を飛ばしてしまうのかな……と思った、その時。 「……っうがっ!!!」  ドゴっ!! という音と共に視界から兵士の靴が消えた。間を置かずバキバキバキっと板が砕ける音が響く。 「へ……兵長っ!?」 「げぇっ!! 蹴飛ばされて、馬車の横壁ぶち抜いて外に飛び出してるぞっ!」 「大丈夫ですかっ!!」  バタバタと忙しい足音と共に、慌てふためく兵士たちの声が聞こえる。  ーー一体何が……?  そう思うけど身体は思うように動かなくて、さっきの兵士がどうなったのかも分からないままだ。  ぼぅっとしている僕の耳に、コツリと別の靴音が聞こえてきた。兵士たちのブーツとは違う靴音。  コツコツと音を鳴らして近付いてきたそれは、軈て僕の視界に入ってその動きを止めた。  ピカピカに磨かれた黒い革靴。明らかに上等なその靴は、持ち主が上流階級の人であることを物語っていた。 「ーー丁重に……」 「へ?」 「はい……っ??」 「か……閣下?」  静かな声がポツリと響く。聞き逃したのか、荷台に残っていた兵士たちが上擦った声を出して聞き返していた。 「丁重にお迎えしろと、そう言ったはずだぞ……っ」  地の底を這うかのような不機嫌極まりない声と共に、そのピカピカな靴を履く脚が素早く動いた。ドゴンっ! ガコンっ!! と不穏な音が響く。 「うわっ!」 「ぐっ!!!」 「はうっ……」  続いて兵士たちの呻き声と、ドサドサッ!! っという地面に何かが叩き付けられる音がした。  そしてその人は「ふーっ……」と気を静めるように息を吐き出すと、トスっと僕の目で片膝を着いたんだ。  その時、漸くその人の姿を見ることができた。  襟足が長めの金糸の髪、透き通るようなアイスブルーの瞳。整いすぎた顔は作り物めいて、瞳の色と相まって冷ややかで冷徹そうな印象を与えてくる。長身痩躯のように見えるけど、寝転がって見上げている状況ではよく分からない。  ーー誰だろ?  熱て朦朧とした頭は、思考がバカになってしまったのか、目の前の男を怖いとは思えなくなっていた。 「だ……れ……?」  問う声は力なくて相手の耳に届いたのかどうかも分からない。 「無理に喋らなくてもいい」  囁くような声と共に、さらりと伸ばしっぱなしの前髪が掻き上げられた。額に触れる手はヒンヤリと冷たく、熱がある身体には気持ちがいい。  思わずうっとりと目を細めていると、その人は額から手を放し優しく丁寧に僕の身体を抱え上げ、ゆっくりと歩き始めた。 「こんな身体で長旅なんて……。きつかっただろう」  体調を気遣ってくれているのか、かけられる声はひっそりと小さく静かに耳に届く。ゆらゆらと、その人が歩むたびに伝わる振動も心地よくて、僕は眠気を誘われウトウトとしてしまった。 「……眠って良いよ。目が覚めた時にちゃんと話をしよう」 「…………は、い」  何とか頷いた時には、もう夢の世界に片足を突っ込んでいた僕の額に、温かく柔らかなものが触れる。  ーーああ、母様が僕にキスをしてくれた時と同じ感じ……。  そう思いながら、僕はそっと瞼を閉じた。    

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