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第15話
「さ、こっちに来て」
促されて、机の前にある椅子に座る。
「じゃ、ここに利き手を広げて乗せてね」
言われるがまま机の上に広げてある紙の上に手を広げて乗せると、じんわりと紙に触れた部分が温かくなってきた。
「?」
何が起きているか凄く気になるけど、外していいとは言われてないからじっと我慢する。
でも、うずうずする気持ちはガラガントさんにはバレてたみたいで、くすくすと笑われてしまった。
「気になる? 猫は尻尾でも気持ちを表現するから可愛いよね」
そう言われてはっと自分の尻尾を振り返ると、抑えきれない好奇心から、うずうずと尻尾が揺らめいていた。
自分の思うようにならない尻尾を恨めしく思っていると、ガラガントさんが僕の手をひょいっと持ち上げた。
「うん、大丈夫そう」
その言葉に視線を机に向けると、紙にはくっきりと手形が浮かび上がっていた。
「?」
自分の手形が浮かぶ紙をじっと見つめていると、ガラガントさんはくすくす笑いを止めないまま机の上にある定規を手に取った。
「フェアル様は本当に可愛いなぁ。これが気になる?」
「はい。何故インクも使わずに手形が紙に付くんですか?」
「それはね、僕が使う魔法の属性が火だからできることなんだ。火傷しない程度の熱の膜を紙に張ってるんだよ。掌を押し付けた時に、その膜が紙に押し付けられて形になるって理由」
「焼印みたいなかんじですね……」
「原理は違うけど、まぁそんな感じ。これで特許が取れて、こうして店を構えることができたんだ」
はにかんだような笑顔を浮かべながら、淀みなく手を動かす。
掌のサイズや指の長さなんかを細かに測って、手形が浮かぶ紙にサラサラと書き込んでいく。
その作業が終わると、定規とペンを置いて引き出しから何やら道具を取り出した。
「次はこれ。握力を測るよ。ここに手を置いて、押し付けながらぐっと力を入れて」
言われるがまま道具を握って力を籠める。
箱みたいなその道具は、掌を当てた部分が粘土みたいな感触で、力を籠めると掌の形で沈み込んだ。
「もう良いよ」の声に手を浮かせると、沈み込んだ部分が色々な色で斑に着色していた。
「うん、握力は人族と変らないね。でも、指先の力は強めだ」
その数値も紙に書き込むと、うんうんと頷き僕に目を向けた。
「大体測れたかな。さ、計測はおわり。閣下の所へ戻ろうか」
そう促されて立ち上がったけど、手の計測で別室に移動する意味がイマイチよく分からなかった。
首を傾げなからガラガントさんに近付くと、彼はきゅっと瞳孔を絞って僕を見下ろした。
「……東の公爵・獅子のネヴィ一族の事は耳にしたことがあるよ」
そう言われてぱっとガラガントさんを見上げると、彼はゆるりと意味有りげに口角を上げた。
「ーーお耳にした話は、良い内容じゃないですよね……」
あの家で過ごした日々を思い出して、いたたまれない気持ちになった僕は視線を逸らして俯いた。
その僕の頭にぽんと手が乗せられた。
「僕とトーマと閣下は学園の同期生なんだよ。閣下が保護すあの一族の子がどんな質なのか知りたくて、話をする機会を貰ったんだ」
「どうしてですか?」
ぐりぐりと頭を撫でられるけど、その手つきは労るようで優しい。
「僕は南のコモドドラゴン一族のハズレ者だったんだ。だから君の育った環境はよく分かる。でも劣悪な環境で育つと性格が歪むだろ? 僕は性悪なヤツに手を貸すのは嫌なんだ」
「手を貸す?」
「ふふ……閣下がアステル王国出身の獣人として、君に手を貸してあげて欲しいって」
「レグラス様が?」
なんでだろう……。身元保証人だから気を遣ってくれている?
こてりと首を傾げると、ガラガントさんも同じように首を傾げた。
「あれ? 閣下ってば大事な事を伝えてないのかな?」
「大事?」
「あー……うん、まぁ他人がアレコレ口を挟むと碌な事にならないからね。閣下が話すまで待ってるといいよ。悪い話じゃないからさ」
よく意味が分からないけど、取り敢えず頷いておく。
そんな僕を見て、彼はゆるりと眦を緩めた。
「コモドドラゴンの一族はね、ハズレ者が結構生まれやすいんだ。蛇や蜥蜴……そんな奴らと助け合って何とか生きていける。でも獅子の一族からは滅多にハズレ者は出ない」
ガラガントさんは目を扉へと向けると、小さく息をついた。
そして、もう一度僕へと目を向けた。
「閣下はね、君をとても心配しているんだ。一族の中のハズレ者は、他の獣人との関わりが希薄で、誰かに相談するって意識が薄い。その結果、留学先で気を病んでしまう者が多いんだ。そうならないように、閣下は僕と君を引き会わせたんだよ」
やっぱり!
予想通りだ。
ガラガントさんに促されて扉を潜りながら、僕はそう思った。
レグラス様は、何から何まで僕を気遣って下さる。
それはとても有り難いことだけど、でもたった二年滞在するだけの僕に、何故そこまで心を砕いてくれるのかが分からない。
留学期間が終わっても、僕は国には戻れない。
だから、この留学は僕にとっての背水の陣。
きちんと知識や何らかの技術を手に入れて、一人で生きていけるようにならなきゃいけない。
そのためにはレグラス様が与えてくれるものは、遠慮なく享受しようと思う。
そしてちゃんと独立できたら、しっかり恩を返そう。
コツンと靴音を鳴らして、レグラス様が待っている店舗スペースに脚を踏み入れる。
その音に気付いたのか、硝子ケースに飾られたペン軸を眺めていたレグラス様はふと顔を上げた。
そして僕に目を留めると、冷たい印象を与えるアイスブルーの目を優しく細めてみせた。
その表情に、ほっと安心感を抱くのと同時に、ちょっとだけ気恥ずかしい気持ちになってしまった。
あー、もう。
僕の心臓、何でこんなにドキドキしてるんだろ……。
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