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墓参り

「春真、お前どうして」 死んだはずじゃ、という言葉は出てこなかった。自分とお揃いの制服。風になびく栗色の髪。冬弥(とうや)はもう一度目を擦る。恋焦がれたその姿がそこには確かにあった。 「久しぶり、冬弥」  無邪気に微笑んで見せる彼。その声は記憶と寸分も違わない。胸がどくりと脈打つのを感じた。手が震え、喉がからからに乾く。 「……おかえり、春真」  やっとのことで絞り出した声は掠れていた。春真は、にっこりと目を細める。夜の帳が下りた夏の空に、季節外れの桜が爛漫と咲き誇っていた。 ――    彼がいなくなってから初めての夏。  みんみんとうるさいほどに鳴く蝉の声。うだるような暑さに目眩がする。そんな、決して快適とは言えない空の下、冬弥はひとつの墓の前に立っていた。  一歩足を踏み出せばじゃり、と敷き詰められた砂が音を立てる。  建てられたばかりなのだろう、薄灰色のその墓石はまだうっすらと光沢をまとっている。  冬弥は唇を噛むと、肩にかけていたバックから小さな花束を取り出した。黒い髪が動きにあわせて揺れ、深い黒の瞳が取り出した花束へと向けられた。  冬弥の高校はこの近くにある。文武両道を掲げたその学校は、そこそこの進学率を誇っていた。そこは進学校と言うだけあって、授業も難しかった。だから、本当は行くつもりなどなかったのだが。親友が行きたいと言い出したので勉強して一緒に入ったのだ。  墓石の表面には「芽吹」の文字が刻まれていた。  線香立ての脇に炭酸ジュースが添えられている。誰かが置いていったものだろう。冬弥は墓石に刻まれたその文字を見つめると、静かに俯いた。親友だった彼、芽吹春真はもうこの世にはいない。  彼の好きだった白いチューリップ。それを黒いリボンで結いた花束を置いてやるのも何度目だろうか。比較的背が高く、運動にも長けた彼がチューリップが好き、というのはなかなか想像がつかなくて。初めて聞いた時には思わず笑ってしまって。なんで笑うんだと軽くこづかれたのが懐かしい。 「春真……アイス持ってきたんだよ、お前が好きって言ってたやつ。ほら、今日暑いだろ? だからさ……」  冬弥は鞄からアイスを取り出し、墓へと差し出した。当然、受け取る人はいない。  うなだれて、1人アイスの袋を開けようとした時。  ブーッとスマホのバイブ音が鳴った。ポケットに手を突っ込んでスマホを取り出すと、音の正体は最近投稿した動画へのコメント通知だった。  『コメントがありました』その通知をスワイプで削除する。他に重要なものが来ていないのを確認すると、冬弥は再びスマホをポケットへとしまい込んだ。  コメントはありがたいが、今はこちらが先だ。 「久しぶり……といっても、一週間くらいかな? ごめん、最近バイト始めたのと塾行ってるからなかなか時間がとれなくてさ……。うん、そうなんだよ。春真が行くって行ってた大学、俺も行きたくなって……ああ、そうそう、そういえばこの前の配信で……」  照りつける夏の日差しの下、冬弥は一人、墓の前で話し続けた。  最近、配信しているゲーム実況動画の伸びがいいこと、推しキャラのSSRが当たったこと。子どもの時から二人で見ていた、長い休載に入っていた漫画の連載が再開したこと。時には興奮気味に、時には若干沈んだ声で語られるそれを、墓石は何も言わずに黙って聞いていた。  当たり前だ。彼はもう、この世にはいないのだから。聞こえるわけでもないのに馬鹿みたいだ。そう思うもやめることができない。春真はこんな自分をどう思うだろうか。情けない奴だと思われてしまったらどうしよう。しかし、一週間ぶりに来たのだ。話さずに帰ることなどできはしない。  しばらくして。  ふと空を見上げると空は橙に染まっていた。 ごめん、そろそろ帰らなくちゃ。冬弥はそう、名残惜し気に彼に告げると、墓場を出て自転車のペダルに足をかける。  遠くに小さく揺れている灯りの群れが見えた。連なるように並べられた提灯が風に揺れている。そういえばそろそろ神社の夏祭りの時期だっけ。冬弥は自転車を押して身を乗り出した。  ここらで1番大きいあの神社は、毎年夏になるとまつっている神様を讃えるとかで儀式と合わせて祭りを開く。参道にはずらりと屋台を並べ、神輿に加えて山車までが練り歩く、規模の大きい祭りだった。  去年は春真と行ったんだっけ。冬弥は自転車に腰かけ、記憶の中の出来事に思いを馳せた。  淡い髪によく似合う、白に紺の模様が入った浴衣。  母さんが着せてきたんだよ、俺は別にいいって言ったのに。そう、照れくさそうに頭をかいていた彼の着物姿。履きなれていないから度々脱げそうになる下駄に、苦戦しながらも一緒に屋台を回ったものだ。  冬弥はあたりを見回すと神社の方向へ自転車の頭を向けた。足に力を入れればタイヤが軋みながらも回り出す。走るうちに指の先ほどだった提灯の群はやがて大きくなり。かすかに祭り囃しの笛の音が聞こえてくる。  ようやくたどり着いた神社は、祭りにはしゃぐ人たちでごった返していた。境内では、太鼓の周りに法被を着た人が集い、笛の音とともに踊っている。  冬弥は自転車を木陰に置くと、ふらりと屋台が建ち並ぶ参道へと向かう。 途中、何かの視線を感じた気がしたが、冬弥は構わずに提灯に照らされた細道を歩いて行くのだった。   「いらっしゃい! 焼きそばひとつ百円だよ!」  屋台の並ぶ参道では、威勢のいい声が飛び交っていた。隣には小さな女の子が金魚の入った袋に目を輝かせ。前には自分と同じか、少し年上くらいの男女がぴったり並んで歩いている。絡み合った手に気づくと、冬弥はそっとそこから目をそらした。  なんでこんなところに来てしまったのだろう。冬弥は深くため息をつく。祭りの音がただうるさかった。  楽しそうな家族連れや、カップルとすれ違うたびに胸が締め付けられる。どの人も親しい人と連れ立って楽しそうだ。なのに、自分の隣に彼はいなかった。こみ上げる嗚咽を抑え、冬弥は再びため息をついた。 もし、あの出来事がなければ、彼は今も隣で笑っていたのだろうか。  だめだ。冬弥は小さく首を横に振った。何を見ても、何を聞いても彼のことばかりが頭をよぎる。彼の笑い声がないことに胸を掻きむしりたくなる。  制服を着たカップルの女の方が笑い声をあげる。とても、楽しそうな声だった。居ても立っても居られなくなり、冬弥は足早に参道を駆け抜けた。   辿り着いたのは、神社の裏のひっそりとした空間。冬弥はぐるりと辺りを見回すと、小さな石段へと腰を下ろした。  ここは自分と春真が小さなころによく遊びに来ていた、秘密の場所だった。  去年の夏祭りで、あまりの人の多さに酔ってしまって、春真と一緒に逃げ込んだ場所だった。無理させてごめん、と冷えたジュースを差し出した彼の、八の字に寄せられた眉。受け取ったジュースの冷たさを今でも覚えている。  元々行きたいと言い出したのは自分だったのに。春真はそれを咎めようともしなかった。彼は、そういう人間だった。  腕にかけていた袋から林檎飴を取り出しかじりつく。さっき参道の終わりに並んでいた屋台で買ったものだ。控えめな歯形がついて、ぱり、と小気味のよい音とともに程良い酸味が口の中に広がる。ぱき、ぽき、と飴の砕ける音が静かな空間に響いていた。  表の神社の明かりを受けて、そこだけがスポットライトが当てられたかのようだ。風に揺られた木の葉がさらさらと音を立てている。  冬弥は木を見上げた。生物に詳しいわけではないけど、先だけが尖ったその葉には見覚えがある。おそらく、桜の木だろう。  「桜、か……」  冬弥は呟いた。桜、春の花。またもや春真の顔が脳裏を過ぎっていく。  冬弥は手元のスマートフォンへと目を落とした。そこには、場所は異なるものの、桜の木の下でピースをしている、二人が映し出されていた。  「春真……」  冬弥は小さく呟くと、再びぼんやりと桜の木を見あげる。もし、神様というのがいるのだとしたら、もう一度彼と会わせてはくれないだろうか。  冬弥は潤んだ目をこすると、鞄の中から一枚の手紙を取り出した。彼が亡くなったとき、ポケットに入っていたものを無理を言って回収してきたものだ。うっすらと赤く染まったその紙には、自分が彼に抱いていた想いが書き連ねてある。  彼はこれを見て何を思ったのだろうか。嫌悪、失望、落胆。きっとそのどれかだろう。だけど彼は気持ちは嬉しいと言っていたのだ。もしかしてそれすらも嘘だったのだろうか。  どれだけ夢想しようとも現実は変わらないというのに。その現実は直視するにはあまりに酷く、つい空想の中へ逃げてしまいたくなる。  冬弥は目を伏せると、手紙を畳んで鞄へと戻した。いささか角のずれたそれを、クリアファイルに入れ、教科書の間に挟み込む。  本当ならここで破り捨てた方がよかったのだろう。彼に対しての思いを振り切るためにも。  しかし彼という存在を示すものがなくなってしまった今、どうしてもその気にはなれなかった。手紙には彼の血が染み込んでいる。気持ち悪いと言われようとも、この手紙は、彼がいたことの証明だったのだ。  ぱさり、と膝の上に一枚の葉が落ちてきた。ちょうどさっきまで見ていた木のものだろう。  桜の奥に見える空はすっかり夜色に染まっていた。ちょうど夏だし、流れ星でも見えないだろうか。冬弥は空を見上げた。  しかしそんな都合のよいことはあるはずもなく。そこにはただ、瞬く星が散っているだけだった。一瞬でも期待した自分を嘲るように星が瞬く。冬弥はぎゅ、と拳を握りしめた。

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