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稚魚〜ちぎょ〜
腰に当てた手に望んだ感触が無く、姫木は舌を鳴らした。風を切る音を立てて向かってくる足を避け、反動で上げた脚で相手のアゴを蹴り上げる。
ぐぁ、といううめき声と歯の欠ける金属音にも似た音とともに、男は後ろに倒れ込み、背後の壁に頭を強く打って昏倒した。
一目でそれもんとわかる服装の男は、クチの周りを真っ赤にしながら泡を吹いてびくびくしている。
はぁはぁと肩で息をしながら姫木は、「コロシテヤル」という感情を抑えきれず、いつも腰にあるはずのナイフをまさぐっては、空ぶる感触に舌を打った。
昏倒した男の手下どもは、ボスがボコボコにされたあげく、意識もなく倒れ込んでいる姿に驚き、姫木を見つめるだけで誰もかかってこようとする気配もない。
「来ないのかよ・・・」
修羅場をくぐって来たのはその道のプロの相手側だろうに、まだ一学生の姫木の目力に手下どもは後じさりし、姫木との間合いを離してゆく。
「ここはどこのシマでもねえはずだ・・・あんたら米沢組が出しゃばってくるところじゃねえだろ」
そう言って姫木が一歩でると、向こうは一歩下がる。
「そんな根性で、俺に喧嘩吹っかけてくるんじゃねえよ」
学生の姫木に言いたいことを言われ、プロの組員達は苦々しい顔で姫木を睨む事しか出来ないでいた。
「良かったな、俺は今日丸腰だよ。喧嘩したって死ぬ様な事はないぜ」
完全に馬鹿にした様な言葉に、男達も流石に腹を据えかねた。
小僧相手に情けないとは思いつつも、4人は同時に姫木へと踊りかかって行った。
◇ ◇
「神楽 !」
普段声を荒げることの無い人の怒鳴り声に、佐伯神楽は飲んでいたポカリを噴出しかけて、ドカドカと足音も荒くやってくる男を見上げた。
髪もボサボサになっていて、何より制服が泥だらけ。
「おかえり、早かった…て、なんだよその傷」
「返せよ」
会話の成立しない言葉に、佐伯は瞬きを一つして刈り上がった後頭部を撫でる。
「何を?」
と、ポカリをちゃぶ台の上に置く。
「俺のハイランダーだよっ。取っただろ」
佐伯を見下ろすように仁王立つ姫木は、あちこち痣や擦り傷があって、そっちのほうが心配なんだけどな…などと考えながら、佐伯は立ちあがった。
「何訳のわかんねえ事言ってんだよ。それよりこの怪我どうしたって聞いてんの。まさかお前一人でまた喧嘩してきたわけじゃ…」
とりあえず服を脱がせて、傷の程度を…とおもった佐伯の手を振りほどき、姫木は佐伯を睨みつける。
「何なんだよ、さっきから。俺が何したって?」
姫木の短気さと熱さを一番良く知る佐伯は、とりあえず両手を降参のポーズに上げた。
「俺のハイランダー返せよ。おかげでこのザマだ」
さっきから姫木の言っているハイランダーとは、流線状の刃先が美しい愛用のナイフのことである。
先ほどの喧嘩で姫木はそれを取り出そうとしてナイフホルダーが空である事に舌を打つはめになったのだ。
一週間ほど前、ちょっとした小競り合いから喧嘩が始まり、見境をなくした姫木が人を一人殺め損なった。
その時に佐伯からナイフを持つのを取り敢えずやめるように言われたものだから、姫木はナイフを抜いたのが佐伯だと思っている。
「お前のナイフ?あれのこと?」
テレビの脇の棚に置いてあるナイフを、両手を上げたまま首だけ曲げて見つめる。
「………」
佐伯と一緒に首を動かした姫木は、それを確認するとゆっくりと佐伯に顔を戻した。
「俺の所為なのか?」
ヘラッと曖昧な微笑の佐伯にちっと舌をならし、姫木は気まずそうにテレビの前へと向かう。ただの忘れ物だった。
「大体そんなでかいナイフ 持ってっと、:補導され んぞ。刃渡どんくらいあるんだそれ?30くらいあんだろ」
前回の喧嘩でそれを振り翳し、相手は近隣の学生だったがリーダー格の男はそのナイフで右目を潰されている。
それすら直前に佐伯が止めなければ、ナイフは脳天から入っていたはずだ。
「まあ、今はその話はいいや。で、その怪我どしたんだよ」
前回のもそうだが、自分がいない時の姫木の喧嘩は性質が悪い。勢いで人一人殺めかねないのだ。
今回とりあえずナイフは携帯していなかったようだから、相手も命に別状は無いだろう。
しかし、随分と怪我が多い。
「米沢の下っ端とやりあったんだよ」
二人が住んでいるこの辺りは、米沢組という組が大方を仕切っている「つもり」で居る。
直系でもないのに、全国2位の構成員を誇る柳井組の身内だと言って幅をきかせている組だ。
佐伯は17歳、姫木は16歳の高校生だが、学校は気の向いた時にしか行っていない。
卒業するのが親との約束なので、出席日数 にあわせて学校へ出向いている程度である。
この辺りの学校は殆どが米沢の息がかかっていて、二人の通う中央高校だけがそれに反発していた。
それゆえ米沢の人間は、中央高校の生徒と見れば真面目な生徒にまでちょっかいを出しているのだ。
生徒全員を守っているわけではないが、自分の学校の生徒が絡まれている現場を見て素通りはさすがに出来ない。
今回の姫木の喧嘩も、元はそれが原因だった。
そして怪我の多い原因は、先の喧嘩での戒めで、ある程度は自分を抑えたからだと姫木は佐伯に告げる。佐伯は苦笑して、よくがんばったなと姫木を座らせ傷の手当を始めた。
「しかし米沢か…何とかしねえとだよなぁ」
姫木の怪我は擦り傷と痣以外大して大きいものは無く、傷口に抗生物質、痣に湿布で手当ては済んだ。
「何とかって…どうすんだよ」
ーアッチは本物だぞーと付け加え姫木は煙草に火をつけた。
「本物になっちまえばいいさ」
さらっとそう言う佐伯を、煙に沁みた細い目で見る。
「あ?」
「どっかの組に入っちまえば済むことじゃね?」
笑ってポカリを口にする佐伯を、姫木は簡単にいうよな…と灰を一度灰皿に落とす。
「アテはあんのかよ」
「米沢のこと考えたら、『柳井』は嫌だろ?なら高遠だ」
ポカリを飲み干し、まだ結露の残るペットボトルをテーブルに置いた。
「本気なのか?」
佐伯はその問いに頷いた。
「俺らだけでいたってたかが知れてるじゃん。って言うかもう限界じゃね?お前もさ。バックがつけば、お前のそのナイフ も使い道できるぜ」
佐伯が目をやったハイランダーがギラリと光る。無闇にでかいナイフを、佐伯は揶揄 する意味でいつも包丁呼ばわりする。
俗に言う「ヤンキー」とも違う外れ方をしてきた2人だ。
喧嘩の腕はもう学生では太刀打ちができなくなっていて、相手にもならない。
佐伯も喧嘩は嫌いじゃ無かったが、まだフリー…学生という身分でいる内は、自分が少年院に行くことでしか解決できないようなことはしたく無かった。
バックが出来たからと言ってそれを笠に着るつもりもないが、その事で喧嘩の仕方が180度変わる事も、佐伯は解っている。
姫木の持て余した血のやり場もできるというものだ。
「だからあてはあるのかよ」
「そんなもんねえよ。俺ら売りに行くんだよ、俺らの腕買ってくれるとこいきゃあいいんだ。自信ねえのか?」
意地の悪い笑みで姫木を見返す佐伯は、1番姫木の扱いにも慣れている。
「…解ったよ、いいぜ」
挑発に乗ったようで嫌だったが、しかしこれは乗るべき船だ。
この『進路』自体が嫌なわけでもないから、それもいいだろう。
親との約束の『高校卒業』は結果的に守れないが、どうせその道に進めば縁は切られる。
佐伯はその言葉に微笑んで姫木の肩を叩く。
「じゃ、明日にでも「職場」探しに行こうな」
頬にできた切り傷を舐めて、佐伯は姫木の頬にキスをした。
いつもはジェルで立てている前髪が、何もないこんな日は額に下りていてその髪が姫木の顔をくすぐった。
「今日は…そんなに血ぃ見なかったのか?そんな生ぬるい喧嘩してきたんだ」
勿論これは、血を見ると気が高まる姫木への煽り。
ナイフが無かったことの方で激昂していて忘れていたが、歯抜けにしてやった相手のボス格の男は口から血の泡を吹いて昏倒していた。
一気に姫木の血が湧き上がる。
「なんか思い出したか?急にいい顔になったな…」
近距離で姫木の顔を見ていた佐伯は、ペロリと唇を舐めてその奥の舌を誘い出した。
「まだ…明るいぞ」
「暗い時しかしちゃダメってことねーだろ?『就職』したらいつできるか解ったもんじゃねえし」
姫木を押し倒しながら抱きすくめると、耳元で佐伯はクスクスと笑う。
寝かされて姫木は、頭の上になった窓から夕焼けの空を見た。
微妙に雲もかかっていて、血のように赤黒い空だ。
その赤に、確かに血が逆流するような錯覚を感じて、姫木はゆっくりと目をとじた。
強面 のお兄さんやおじさんが居並ぶ前で、佐伯と姫木は床に正座をして座っている。
「使って欲しいというのはお前らか」
数分待たされてから入ってきた初老の男が、佐伯たちの斜め前のソファに腰を下ろした。
門を叩いたのは、高遠の本拠地にある直系の鳥井組である。
おりしもその日は本家から人が集まって、なにやら会議の最中だったので、2人は弾き出されそうになったのだが、その場に正座して頑として動かない2人に根をあげた組員が、組長の鳥居に声をかけたのだ。
「なんで組に入りてえんだ?」
「喧嘩したいからです。思い切り」
その言葉に笑ったのは鳥井ではなく、奥の部屋から出てきた30そこそこの男だった。
黒い髪をオールバックにして、ワックスで固めてある髪はもう少し上の年齢も想像できる。
「いい根性してるじゃないですか、鳥井さん」
その男は2人の前まで歩いてきて、いきなり銃口を向ける。
驚いたのは周りの人間だったが、2人はぴくりとも動かずにじっとその男を見つめていた。
「怖くねえのか」
「そりゃ怖いですけど、逃げたって結果は一緒ですから。撃つ時は撃つでしょう」
佐伯に真っ直ぐに見返されてそう言われた男は、ニヤリと笑って銃をしまう。
「使ってみたらいいじゃないですか。結構やりそうですよ」
鳥居の横に立って、再び向き直った男は、何かを思いついたように鳥井に耳打ちをした。
「そりゃあお前…」
言われた言葉に鳥井は難色を示したが、男の言う事ももっともだ。
「よしわかった。それじゃあお前は、あちらの本家の皆さんにその旨伝えてくれ」
「わかりました」
軽く頭を下げた男は、チラッと2人を見て薄く笑うと隣の部屋へ消えていった。
「わしの組で使ってやらん事もないがな、一仕事上げてきたら許可しようじゃないか」
要するに試される。
「試験みたいなもんすね」
佐伯が笑う。
「まあ、わしらも遊びじゃあないんでな。命 ぁかけられるってことを証明してもらわんことにはな」
2人は顔を見合わせる。
「解りました。…で、なにを?」
「行きましたか」
鳥居の命を受けて佐伯と姫木が去った後、先ほどの男が鳥井に並んだ。
「ああ、しかし平気か?あんな見も知らぬ奴らに…」
「ダメ元ですしね。本家の皆さんも納得してくださいました。あの2人なら、失敗したところで間違っても鳥井及び高遠の名前は出てきません」
「お前も徹底してきたな」
鳥井は呆れたような、頼もしいような顔で隣の男を見上げる。鳥井よりも十数センチもでかい男だ。男は鳥井の言葉に苦笑した。
「いや、俺はあの二人がやれそうだったんでやらせたんですよ。ムザムザ殺られるのが目に見えてるようなヤツにはやらせませんよ。俺だって人情くらいはありますからね」
佐伯と姫木が請け負わされた仕事というのは、○○区の米沢組を壊滅させろという願ってもないものだった。
高遠は未だどの組のものでもない珍しい○○区への侵出を狙っていて、端の端とはいえ柳井系の米沢組は邪魔だった。今日もその話し合いをしているところだったのだが、そんな中へ二人が飛び込んできたのである。
二人にしても、強力なバックを得て正面から挑みたかったからその仕事を快諾した が、二人ともこの仕事を完遂したら組へ入ることは勿論、やるからには『なにをしてもいいか』という条件をつけた。
『何をしてもいい』というのは、殺したって構わないかということだが、もう一つの意味は、そうなっても自分たちの罪にならないように取り計らってくれるのかという確認である。
佐伯もわかっていた、
現時点では、自分たちがこの仕事を成功させても捨て駒にされかねないことを。さっき鳥井の脇に立つ男が言った様に、今の二人からは何処をどう洗っても高遠や鳥井の名前は出てこない。米沢を殺して少年院に入るなら、組織に入る必要は無いのだから。
「そんな条件を出していきましたか」
男は『生意気な…』と呟きつつ微笑んでいた。
「ああ。案外気骨の有るやつらだ」
鳥井は隣の部屋に待たせてある者たちを気遣って、男を促す。
「鳥井さん、もしあいつらがやり遂げたら俺に預けてくれませんか」
「お前に?しかしお前はもう2年もすれば本家にあがるんだろう。お前の組でも継がせるのか?」
「ええ、2年あれば十分ですよ。その頃にはいっぱしの極道に仕立て上げます」
きっぱりと言い切る男に鳥井は苦笑して
「お前の出世が早いわけだな…牧島」
と言いながら、先に隣の部屋へ戻って行った。牧島は軽く頭を下げてそれに続く。
あとはニュースを待つだけだった。
◇ ◇
○○区の米沢組事務所襲撃事件のニュースは、その日のうちにテレビに流れた。
しかし、次に佐伯と姫木が鳥井の事務所に現れたのは、その日からひと月も経ってからのことである。
二人が現れたことを知らされた牧島も、急遽鳥井の事務所へ向かい二人と対峙した。
「どこいってた?」
牧島の問いに佐伯が笑う。
「殺ってすぐにここへ戻ったんじゃあ芸がないっすからね。ちょっと金を拝借して北海道になりを潜めてました」
借りた金は返す人がいませんけどね…、と付け加える。
実際、あれからすぐに事務所に戻られても足がつくのだ。そこまでの計算があったのかどうか…それは、飄々としすぎている佐伯の表情からは読み取れず、姫木にいたってはそれについてはなんの興味もなさそうな顔でだまって座っている。
鳥井と牧島は肩を竦めて顔を合わせ、そして居ずまいを正して再び向き直った。
「仕事は見事だった。お前たちのおかげでなんなく邪魔なものをどけることが出来た。」
鳥井は、深く身を沈めたままひと月前の仕事を労う。
「でだ、約束どおり組入りを認めるが、お前らはわしではなくこの牧島につけることにした」
意外な出来事に二人は当惑したような顔をする。それがいいこのなのか悪いことなのか判断がつかないのだから仕方がない。
「わしの下にいるよりはずっと面白いぞ。牧島の下は」
おもしろいってのは…と牧島は苦笑する。まだ若いが、高遠では突出した逸材である。普通の組でパシリから始めるよりはずっとエキサイティングだ。
「面白い方が、いっすね」
ここで初めて姫木が口を開いた。前にここに始めてきた日から初めてのことである。
「俺の事務所はここだ」
と、牧島は名刺を二枚出してその裏に自分の電話番号及び携帯番号を書き、二人の前のテーブルに置いた。
「裏が俺のヤサだ。その気になったら連絡しろ」
そう言われなくても腹は決まっている。姫木の言葉通り、面白い方がいいに決まってるのだから。
龍昇会と書かれた名刺に目を通し、二人は声をそろえて
「お世話になります」
と、頭を下げた。
これが、佐伯神楽及び姫木譲の牧島との始まりであった。
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