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第49話 抜け落ちた真実

「これが、稜巳。角ある蛇の末裔か」  後ろで忍がぽつりと呟いた。 「忍、知ってるの? そういえば前に話していたよね」  直桜に流し込まれた優士の言霊の話をした時に、稜巳について教えてくれたのは忍だ。   「噂は聞いていたが見目は知らなかった。しかし、この少女には見覚えがある」  忍の目が直桜と護に向いた。 「昔、英里のカフェにいた少女だ。身寄りがないから預かっていると話していたが。いつの間にかいなくなって、里親が見つかったと、喜んでいたんだがな」  直桜は護と顔を見合わせた。  護の顔は蒼白だ。恐らく直桜も同じ顔をしていると思う。 「それ、間違いないの? もっと具体的な話は聞いた?」 「いいや。英里は自営のカフェで時々、身寄りのない人や人でない者を雇っていた。あの時は、そのうちの一人だろうと思っていた」 「行き場のない子を預かってたってこと? それじゃまるで、集魂会と同じ……」  口走った直桜を護が慌てて抑えた。 「13課の管理下ではなかったのですか?」  直桜の言葉を誤魔化すように護が忍に問う。  忍が首を振った。 「個人のボランティアに口を挟みはしない。俺もたまに足を運んでいたが、人に害をなすような妖怪はいなかったから、黙認していた。……だが」  言葉を止めて、忍が押し黙った。  鋭い眼の先が、直桜と護に向いた。 「思い返せば今回の件、英里の存在が抜け落ちているな。十年前の事件が絡んでいるなら、もっと考えるべきかもしれん」  言われてみれば、そうだ。  話の端々に英里の名前が出てきても、重要視していなかった。 「重田優士の、霊元は、死んだ妻である、英里の霊元、ですよね。記憶、の残滓の検索、すでにアプローチ、してます。もうすぐ、解析、できますよ」    直桜は円をじっと見詰めた。 「円くん、仕事が早いね。助かるよ」  感心する直桜に、円が照れたように顔を隠した。  隣でずっとディスプレイ管理をしている智颯が、顔を引き攣らせた。 「俺は、十年前も、重田優士も、藤埜統括のことも、直桜様たちより、知らない。だから、機械的に、土足で他人の心に踏み込める、だけ、です」  円の言葉を受けて、直桜は改めて思った。  確かに、今くらい切羽詰まらなければ、優士の直霊を探ったり、霊元の記憶を覗き見るような真似は、できなかったかもしれない。  直霊も霊元も、人に取り術者に取り、命の根本だ。安易に覗き見ていい場所ではない。 「自分がしていることを、そんな風に客観視できる円くんは常識人だし、充分優しいと思うけど」  円の頭をポンと撫でる。 「俺は、草、だから、優しいとか、常識とかは、ない、ですよ。仕事、だから、してる、だけ」  話しながらも手を止めずにモニターに向き合う円を眺める。  さっきの発言からは、円の優しさが充分伝わると、直桜は思うのだが。他人の内面に無遠慮に踏み込む不躾さを自嘲する心はきっと優しいし、自責すら感じる。  草の仕事として割り切るのが、円の心の均衡を保つ手段なのかもしれないと、何となく思った。 (草の仕事、円くんには向かなそうだな。だから、解析室にいるのかな)  関わりの薄い他人の心まで慮って傷付くタイプの青年に、非情な仕事も多いであろう隠密活動は不向きに思えた。 「《《呪法解析士の》》円くんが仕事してくれたお陰で、俺は助かったよ。辛い仕事させて、ごめんな」 「辛いとか、そういうの、ない、です……」  手を乗せた円の頭が徐々に下に下がっていく。 「直桜様、それ以上はダメです!」  智颯が円の腕を抱いて起き上がらせた。 「円は褒められたり労われたりする言葉に慣れていないので、溺れてしまいます」 「え? 溺れる? って何?」  円を見下ろす。  顔を真っ赤にして、ぼんやりしている。 「褒め言葉に溺れるんです」 「そうなんだ……。これ、どうすれば戻るの? 放置するしかないの?」  解析途中で倒れられては、困ってしまう。 「今日は過換気になるほど酷くないし、大丈夫です。こうすれば、戻ります」  物騒な病名が聞こえたが、そんな言葉を一蹴するような行動に智颯が走った。  智颯が円の顔を持ち挙げて、頬にキスする。  ふにゃふにゃしていた円の顔が、キリっと意識を取り戻した。  何事もなかったようにパソコンに向かい、作業を再開する。 「……いつも、こんなこと、してんの? てか、二人は恋人同士なの?」  一仕事終えたような顔をしていた智颯が、突然慌てだした。 「恋人じゃないですよ! ただ円が、ああすると自分はしゃっきりするからって、お願いされて、時々するだけで」 「へぇ……」  徐々に語尾が小さくなる智颯をぼんやりと眺める。  照れてはいるようだが、智颯の否定は誤魔化しなどではなく、本気のようだ。  何となく、円に上手に転がされている智颯の様子が垣間見えた。 「出ました。けど、感情の、一部と、断片的な、記憶?」  智颯が映像をディスプレイに転写する。  真っ白いカフェの店内で数名の従業員が仕事をしているように見える。  どれも人ではない存在だとわかった。  テーブルに、客がいる。 「アレって、紗月と陽人と、重田さん? あの高校生、もしかして清人?」  恐らく十年以上前の記憶なんだろう。  直桜の言葉を聞きながら、護は黙って映像を見詰めていた。  画面が突然切り替わる。  大きな建物が燃え盛る炎に巻かれている。 「アレは、理化学研究所か?」  忍が怪訝な顔で見詰める。 「でも理研は……」  そこで言葉を切った直桜を忍が振り返った。 「大きな火災に遭った話はここ数十年、聞いていないな」 「この、流れてくる感情は、怒り? 憎しみ、なんでしょうか。胸が、詰まります」  護が口元を抑える。  映し出された映像と共に流れた感情が、心の中に入り込んでくる。 「円は、観るなよ。僕の手を握って、深呼吸して」  智颯が円の頭を抱いて耳を塞いでいる。 「感受性が強い円に、この感情は強すぎます。すみません」  直桜に向かい、謝る智颯を眺める。  手から神力を流し込んで、直霊を保護してやっている。 (いつも、こうしてあげてるのかな。普通に神力を使えてるし、流し込んでやれてる。智颯、もしかして無意識でやってるのかな)  智颯に縋り付く円の表情は落ち着いている。  さっきは、直桜と智颯、二人分の惟神の神気を受け取ったせいでキャパオーバーを起こしただけかもしれない。 (ま、直霊が震えた時点で、円くんと智颯はかなり相性がいいんだけど)  簡単に言えば、智颯の神力で魂が震えるほど円は喜んだ、ということだ。  今の二人の関係性を考慮すると、直桜が余計な言葉をかけるのは早計だし、余計なお世話になる気がした。  なので、とりあえず智颯の頭を撫でておいた。  智颯が戸惑った表情で顔を赤くしていた。  また画面が切り替わる。  日本刀を下げ降ろした紗月が、屈んだ行基の目の前に立っている。  紗月の頬には涙が流れ落ちていた。  二人は幾つか言葉を交わしているが、内容が聞き取れない。  紗月が刀を振り上げ、行基の首を落とした。 「これ、紗月が行基を入滅させた時の記憶? その場には英里さんもいたってこと?」 「総てが本当に起こった事件とは考え難いが」  確かに、理化学研究所の火災は、本物ではなさそうだ。だが、最後の記憶は、想像やフェイクにしてはあまりにもリアルだった。 「最後のシーンは、きっと本物だよ」 「何か、感じたか?」  直桜の言葉に、忍が確信めいた問いを投げる。 「火災のシーンは空っぽだった。でも最初と最後の記憶からは、ちゃんと霊気も法力も感じた」  写真や映像と同じだ。  直桜はそれらを通して呪力や霊力を感知できる。  何より直桜には、心当たりがあった。 (理化学研究所を爆破しようとした人は、英里さんだったんだ。行基の命と引き換えに、英里さんは理研の爆破を断念した。どうして、英里さんが……)  その答えを導くには、直桜は英里を知らな過ぎる。  それに、行基の死が理化学研究所爆破の抑止になる理由が、直桜はいまいち納得できていなかった。 (その辺りもきっと、英里さんを調べれば、わかるはずだ)  直桜の隣で、護が神妙な顔をしていた。 「もし、これらの記憶を清人さんが言霊として流し込まれていたら、私たちにはわからない何かに、気が付いたかもしれませんね」  清人や紗月や陽人なら、直桜たちが知らない何かを知っている可能性が高い。 「忍は、何か知らないの?」  忍が首を横に振った。 「当時、英里は真面目なアルバイトだったし、集魂会は紗月が一人で壊滅させたと報告を受けただけだ。その場に英里がいた話は聞いていない。それに……」  大きく息を吐いて、忍が頭を抱えた。 「……いや。今、この場で論じても意味がない。紗月にも、陽人にも、改めて話を聞かねばならんな。総ては、それからだ」  忍が、珍しく深い後悔を滲ませている。 (忍が、知らない……? だとしたら、意図的に何かを隠した? 何のために?)  最初の記憶には、優士も陽人も紗月も、清人も映っていた。  思えば紗月や清人から英里の話をほとんど聞かない。必要がなかっただけかもしれないが。 (重田さんだけじゃない、紗月も清人も、恐らく陽人も。全員が何らかの理由で英里さんを庇ってるんだ。その後の反魂儀呪の事件で英里さんは死んでしまった。だから、うやむやになっただけで、きっと今も抱える何かが、四人にはあるんだ)  真相に近い真実を、紗月と陽人ならきっと、知っている。 「集魂会に行く前に、紗月と陽人に話を聞こう。陽人は俺に解析室に行けって言ったんだ。俺がどんな答えや疑問を持って戻るか、わかっているはずだ」  円と智颯に引き続きの解析を依頼して、直桜たちは陽人のいる副長官室に急いだ。

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