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第51話 班長の怒り
目の前の光景に、直桜は愕然とした。
副長官室や班長室を探しても見つからなかった陽人が、地下十三階の部屋で一人、死にかけて倒れていた。
「なん、で……」
身動きが取れないでいる直桜をすり抜けて、忍が陽人に駆け寄った。脈をとり、全身状態を確認している。
「息はある。致命傷ではない。しかし直霊が極限まで枯れかけているな」
忍が周囲の状態を確認している。
他の部屋の異常を確認していた護が戻ってきた。
「特に荒らされた形跡も侵入の痕跡もありません。検知できる残滓は、紗月さんの霊気だけです」
「そうか。酒にも異物の混入はなさそうだが」
テーブルの上の酒やグラスを忍が丁寧に確認している。
忍と護の声や動きが、目や耳を滑って流れていく。
硬く目を閉じて微動だにしない陽人の姿がやけにくっきり浮かび上がって見える。
「……桜、直桜」
護が呼びかけているのは、わかるのに、体が動かない。
「直桜、しっかりしてください」
体を揺さぶられて、返事をしたいのに、陽人から目が離せない。
思考が纏まらない。
全部見えているし、感じているのに、目の前で起きている出来事を理解できない。
「しっかりしなさい!」
護の怒鳴り声と共に、左の頬に強い衝撃が走った。
ぼんやりした痛みが、徐々に鮮明になる。
「あ、護、俺……」
護が辛そうな顔で直桜を見下ろしていた。
「気持ちは、わかります。でも今は、無理してでも正気でいなければ、気丈にしていなければ、本当に折れてしまいます」
両腕を強く掴まれて、体を揺さぶられた。
今頃になって、左頬を叩かれたのだと気が付いた。
「そうだ、そうだよな。ごめん、護。ありがとう」
護の表情は変わらないまま、直桜の肩をそっと抱いた。
「桜谷さんは、こんなところで死んだりしません。それは直桜が、一番よく知っているでしょう」
護が触れる肩が、熱のある言葉が、現実の輪郭を鮮明にした。
(そうだ、あの陽人が死ぬわけない。何かあるんだ。こうなっている理由が、きっとあるんだ)
直桜は護の手を離れて、倒れる陽人に歩み寄った。
忍の後ろから覗き込む。
(忍の言う通り、直霊が枯れかけている。命を繋げるギリギリの余力を残して霊力を絞り出してるような)
全身を目視で隈なく確認する。
左胸に、違和感を見付けた。そっと手を添える。
「左胸、穴が空いてるみたいだ。何かで貫かれたような……。この穴から、微量だけど霊気が流れ出てる気配がする。どこかに自分の霊気を送ってる……?」
「襲撃した相手に、霊気を吸われているってことですか?」
「……わからない」
直桜と護のやり取りを聞いて、忍が険しい顔をした。
突然、テーブルに残っていたワンショットグラスが倒れた。
一つだけ酒が入っていたグラスだ。
テーブルの上に零れた酒が、不自然に動き出して文字を模《かたど》った。
『決着をつけてくる』
その霊気は、まぎれもなく紗月だった。
「……クソガキども。何故、大人しく待てない」
凡そ忍の口から出たとは思えないような怒りを孕んだ声が零れた。腹の底から出た言葉は、何を語らなくても忍の心境を察するに十分だった。
忍が纏う気が揺れてる。
怒りなのか心配なのか、呆れなのか。どれでもあって、どれでもないような蠢く気を前に、直桜も護も、忍に声すら掛けられなかった。
しばらくすると、いつも通りに気の揺らぎを収めた忍が、すっくと立ちあがった。
スマホを取り出し、電話を掛ける。
「朽木か? 十三階の部屋で陽人が死にかけて倒れている。……いや、生きている。直霊が枯れかけているから処置を。それから身柄の保護に来てくれ」
要との話を手短に切り上げると、また別の相手に連絡を始めた。
「ん? |始《はじめ》か? |堅持《けんじ》は不在か? 花笑の宗家? ……ならば、|華《はな》に代わってくれ。……実は、陽人が倒れた。回復には時間が掛かる。俺と梛木はしばらく本部を外すから、班長代行を頼む。いや、華でいい。それと、諜報担当の草は全員、すぐに動けるよう、待機しておけ。梛木からも? ……あぁ、それでいい。怪異対策担当にも繋ぎを頼む。臨戦待機だ」
会話の内容が徐々に物騒になり、直桜と護は青ざめた。
話を終えた忍が二人を振り返った。
「陽人が死ぬ事態は有り得ない。恐らく、自らの霊銃で紗月に自分を打たせたんだ」
「どうして、そんな真似を……」
護の疑問に忍は手短に答えた。
「霊銃に自分の霊力を総て注ぎ込んで紗月に持たせるためだ。紗月の行先は、反魂儀呪。恐らく梛木も一緒だろう」
「清人を助けに行ったってこと?」
忍が首を振った。
「正確には稜巳と清人を取り返しに行った。独断専行でなく梛木に声を掛けた冷静さは評価する。それでも戦力不足だがな」
舌打ちする勢いで、忍が顔を顰めた。
「これから集魂会に向かう。直桜と護は俺について来い」
言いながら、忍が動き出した。
「待ってよ。この状況で集魂会に行って、大丈夫な、の?」
追いかけた直桜を振り返った忍の表情に、直桜は言葉を詰まらせた。
「悪戯が過ぎるガキには仕置きが必要だ。今回は謝る程度では許さん。何より俺の気が収まらない。全員、雁首揃えて説教するために、さっさと解決して戻るぞ」
忍の顔も気も、本気で怒ってる。
(忍にとっては、説教の方が重要なんだ。問題の解決って、その為の通過点でしかないんだ)
忍の迫力と勢いに引っ張られて、直桜と護は迷わず後ろを付いていった。
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