9 / 57

第9話 猫妖精

 でも今は目立たなくていい。 (髪だけでなく目も隠させたいが、こやつはそうすると歩けなくなるしな~)  どうしたものか。  とりあえず深く笠を被らせておこう。前を向いたまま声を出す。 「なあ、お前さん。目を閉じたまま歩けるか?」 「え? ……歩けるけど、ぶつかる自信しかないよ?」 「そうか。では笠を深めに被っておけ」  フリーは小首を傾げる。 「なんで?」 「お前さんの目もなぁ~」  言い淀むニケに、フリーは目をぱちくりさせた。 「え? 俺って目もあんまり見ない色なの?」  ニケは首を振る。 「いや。目は大丈夫だ。よくある平凡な色だ」 「そう……。目で珍しい色とか、あるの?」  嫌なものを思い出したのか、ニケはムスッとした表情を作る。 「左右で色が違うとか。一つの瞳に二つ色があるとかは珍しいかもな」  左右で異なる色の瞳。赤と濃い赤のオッドアイ。 「イヤレス……」  思わず名前を呟いてしまい、振り向いたニケにぎっと睨まれる。  慌てて、誤魔化すように両手を振る。 「あああおおお、じゃあ俺は笠を深く被らなくても、大丈夫なんじゃない?」  珍しくないなら、隠す必要はないはずだ。 「ん~」 「なにか、あるの? 言ってくれたら。俺はその通りにするよ?」  横に並び、ニケの顔を覗き込んでくる。  ニケは少しめんどくさくなった。 「ちょっと今はスミさん探しに集中したいから、黙っといてくれ。あとできちんと説明する」  何かしながら別のことが出来るほど器用ではない。  フリーは「うん!」といい返事をし、またニケの三歩後ろに戻る。  それからうろうろ一時間は歩き回ったか。なんだか十二区へすらたどり着ける気がしなくなってきた。  ニケはさらっとこぼす。 「迷ったこれ」 「……そ、そう……」  背後から疲れ切った声が聞こえる。山道でもないのに、一時間歩いただけでこうなるのか。流石のエノキモヤシっぷりだ。 「お前さんは座っとけ。ちょっと店のヒトに道訊いてくるから」 「へ、へい……」  ふらふらになっているフリーは杖(お客様の忘れ物。そろそろ取りに来てほしい)にしがみついて歩いている状態だった。柳の下にある木製の背もたれのない長椅子(ベンチ)に座らせ、水を飲んでおくように言う。 「いいか? すぐに戻るから、この場を動くなよ? ここに居ろよ? それと、知らないヒトについていくな。いいな?」 「ぐびぐびぐびぐび……っふう。了解っす」  竹筒の水を一気飲みしたフリーが、顎の下に伝った水を手の甲で拭う。 「……」  不安になったのでもう一度。 「ここに居ろよ?」 「うん。わかった。ていうか、動けないし……」  項垂れるフリーによしっと頷き、ニケは一軒の店に走って行く。 「はあ~。ニケの体力は底なしかな?」  種族の差というものなのだろうか。ニケには、赤犬族には誇れるところがたくさんある、と思う。嗅覚に聴覚。反射神経に体力。それともふもふ尻尾。いや、例えニケが何一つできなくても、尻尾とほっぺがあるだけで神だと思うね、俺は。  ――では、俺にあるものは? 誇れるものは? 「……」  眩しい空を見上げる。  何も出てこない。頭の中まで真っ白になる。  レナさんもキミカゲさんもディドールさんも先輩も、みんな素晴らしいヒトだ。ホクトさんやミナミさんも。イヤレスだって……。クリュ君んんんかわいいいんいいい~あはっあはあはあはっ。  で?  俺にあるものは? 「……」  なんだか急に寂しくなった。足をぶらぶらさせ目を点にしていると、おっとりとした声がかけられる。 「よぉ。お兄さん。今ちょっとお話ええか?」  またかと思い目線を下げると、そこに立っていたのは青色の目をした人物だった。  年齢は十五くらいだろうか(人間換算)。リーンよりは背があると思う。  眩しい白いシャツに頭には丸みのあるふんわりとした帽子(キャスケット)を乗せ、足元は膝下ブーツといった洋装だ。元気そうな格好だが、大きめの羽織を身につけているため落ち着いた印象も受ける。ホクト達の羽織と違い、カステラの上の部分の色をした可愛らしいものだ。カステラ……、キミカゲの家でニケが食べていた。その隣でフリーはせんべいを齧っていた。  黒のホットパンツを履いているせいか、さらけだされた太ももが眩しい。首都に来てからというもの、ちらほら洋装のヒトは見かけたが、ここまで素肌を露出しているヒトはいなかった。女性ならなおさらだ。  双子巫女を見た時に近い衝撃が走り、まじまじと足を見てしまう。  キャスケットの少女は面白そうにふっと笑う。  ん。え? ……笑った? 笑ったのだろうが、表情が全く動かない。無表情の顔から「ふっ」と笑い声だけが聞こえ、一瞬自分の目がおかしくなったのかと焦った。 「お兄さん。お兄さん。眩しい少女の肌、見たくなる気持ちは分かるけど、目を逸らしてこそ紳士とちゃうか?」  二つの意味でポカンとなっていたフリーは、ハッとなって顔を上げる。 「ご、ごめん。俺はガン見しちゃう紳士だからつい」 「どこからツッコミ入れればいいんや、このお兄さん」  少女はため息をつくと、仕切り直しとばかりに腰に手を当て、片足に体重をかけて気取ったポーズを取る。無表情で。 「改めまして。私はグライスファーレ。見ての通り猫妖精や」  そう言って帽子を取ると、キャスケットの中から三角の耳が現れる。と、同時に押し込められていた銀の髪がこぼれ、背中に滝のように流れ落ちる。 「!!!??!?!」  突然現れた白い毛に覆われた猫耳に、フリーの時間だけ一瞬止まる。ついでに呼吸も止まる。  猫少女はアイスブルーの瞳をフリーに向ける。帽子の影で濃い青に見えていた瞳は、晴れ渡った空のようだった。  銀髪をかき分けて生える白い猫耳。珍しい髪色に当然、周囲の視線をハエトリグサのように集める。  それが分かっているのか、少女は慣れた仕草で髪を纏めると、キャスケット内に仕舞う。 「で? お兄さん。お名前は?」  ゆらゆらと、細長い白い猫尾が揺れる。艶があり、さらさらしてそうな毛並み。な、ななななんて素晴らしい。 「……」 「お兄さん。私の美貌に見惚れてもうたんか?」 「ごめん。す、すてきな猫耳と尻尾だね」 「あ、耳の方見てたん? まあ、ありがとう」  フリーは「触ってみたい欲」を血が出るほど口内の頬肉を噛んで耐える。  ぎぎぎぎぎっ。  猫少女は一歩引いた。 「俺は、フロリアと申します。フロリアです。フリーって呼んでくれると嬉しいです。人……違う違う違う。幽鬼族です」  驚いたようにアイスブルーの瞳を見開いた。目が大きくなっただけ。 「え? お兄さん。幽鬼なんか? ええのっ? こんな、日当たりの良い所におって」  「幽鬼族のことは詳しないけど」と言いながら、日よけになりそうな場所を首をめぐらせて必死に探してくれているあたり、いい子なんだろうなと思う。  苦笑を浮かべ柳を振り返る。 「一応木陰にいるし、大丈夫だよ。暑さには弱いけどね」 「そうなん? ならええけど……」  それより猫さんなんですよね? 尻尾をもっと見せてください! と叫びたがる本能に、ボクシンググローブをつけた理性さんがボディブローを決めてくださっている。ほんと助かってます。 「で、あの。お話というのは?」 「ああ、そうそう。私は浮世絵の「幽霊画」を描いとる絵師なんよ。浮世絵師・花札市代(はなふだいちよ)っていうたら、ちょっとした有名人やで?」  う、うわあああっ。うきよえって? 花札市代って?  汗だくでニケの入って行った店を見るも、まだ出てくる様子はない。  それと彼女、グライスファーレさんの声が自慢げなのに対し、目はちっとも輝いておらず、その差がなんか怖い。……こ、怖いなんて失礼だよな! 表情が動かないヒトだっているよなっ。  フリーは座ったまま打項垂れる。 「すいません……浮世絵って、なんですか?」  少女は知ってたと言いたげに帽子のつばを触る。 「うちの名前聞いて「あ、あの有名な?」って反応せんかった時点で田舎モンやとは思っとったが、浮世絵自体知らんとは、自分相当やな」  この少女。「あ、あの有名な?」のところで全身で驚いたポーズを取っていて、見ていて楽しいなと思う。……表情に変化はない。  いっそ器用だなと思う。 「店先で一枚絵をたくさん並べてる店を見ぃひんかった?」  顎に指を添えて真剣に思い出す。 「えーっと。ごめん。知らないな」  黒耳と尻尾しか見てなかったとは言えない。  「あちゃー。知らないかー。めんどくせぇー」と言いたげに少女は額に手を添える。片方の手は腰に当てたまま。なんだろうか。この女性はポーズ取らないと落ち着かないのだろうか。 「ま、ええわ。なら私の絵を置いてくれとる店に連れてったるよ。ほら。行こう」  手を握られるが、白い青年は立ち上がらない。  どうでもいいが女の子に手を握られ、女の子の手って幼子(ニケ)みたいにやわらかいなと思った。 「どうしたんや? お兄さん」 「その。知らないヒトについて行っちゃダメって言われてて」  グライスファーレさんのお口が三角になった。針のように細っこい牙がちらりと見えた。 「……お、お兄さん。いまいくつや?」 「十八歳です」

ともだちにシェアしよう!