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第32話 たんこぶ
泡吹いて動かなくなったスミを、ひとまず藁を敷き詰めた寝台――花子のベッド――に寝かせる。
濡れた服は脱がせた方が良いのだが、ニケの力ではボタンを弾き飛ばしてしまう恐れがあった。なので、フリーに任せる。
「引き千切るなよ」
「う、うん。ねえ? ニケ。……俺ら今、どんな状況かな?」
ニケ以上に冷や汗を流すフリーから顔を背け、引っこ抜いた花子(気絶中)に目をやる。
「うんまあ、慰謝料を請求されても、なんの文句も言えんな」
それどころか維持隊に通報されるかもしれない。
ニケが「あー、借金減らねぇなあ」と死んだ目をしている。
「俺らの持ってきた傷薬、花子さんに使えないかな?」
「やめとけ。処方された患者以外の方が使用するのは良くないと、翁が仰っていた」
物置から清潔な掛け布団らしきものを引っ張り出し、スミに被せておく。
「これで、いいかな?」
「お前さんもずぶ濡れだろう。せっかく着替えたのに。どうすんだ」
「俺はいまのところ平気。ニケも濡れちゃったでしょ? 寒い?」
「僕も平気だ。しかし、意識がないとなると別だ」
スミが冷えてしまう。
荷物をスミ家に置いてきてしまったのが痛い。身体を温めようにも、仕事場には花子とランランアートに関わる最小限の道具しか置いていない。何かないか探すも、非常食すら見当たらなかった。
「ぐうう。雨の中、取りに行くしかないか」
「駄目だよ?」
ちらっと檻の内側から外の様子を見ると、大きな手に抱き上げられる。強く抱きしめられ、ニケを濡らしたくないという強い意志を感じた。
仕方ないので、腕を振りほどかないでやる。
「物がないというのは不便だな。山の中で、近くの集落や村に買い物に行かないといけない環境は、当時は不便だなと思っていたけど、恵まれていたんだな」
「俺は懐かしいけどね。檻の中にいた時のことを思い出すよ……」
ニケは口をへの字に曲げた。
「檻の中はこんな感じだったのか?」
「うん。でも藁の寝床すらなかったから、ここの方があったかいや」
「ふん。もしまた檻に入れられるようなことがあっても、僕が隣にいてやるから安心しろ」
なにそれ、天国じゃん。
狭い部屋でニケとふたりっきり。ひたすら、心ゆくまでほっぺをもちもちもち。たまに限界まで引っ張ってみたい。どこまで伸びるだろうか。頬を伸ばされると少し間の抜けた顔になるが、それがまたイイ‼ 特にニケはいつもきりっとしているから、そういう顔もまた見てみたい……
「じゃなくて。ニケが檻に入れられるなって我慢できないよ」
「僕は狭い空間は、嫌いじゃないがな。だからもっとしっかりぎゅうぎゅうせんかい」
体操座りになり腹の上にニケを乗せ、閉じ込めるように抱きしめると、目が覚めたらしい花子がぴょんと跳ねた。
何故跳ねたのかは分からないが、ニケをじっと見つめ、目(どこ?)を逸らさずにじりじりと後退る。
熊と遭遇したかのようである。
「おお。無事だったか。お花ちゃん。すまんかったな」
『ロロォ……』
暴行を詫びるも、捕食者を前にした仔犬のように怯えていた。
ニケは真面目に不思議がる。
「一体何が……? 何かに怯えている?」
「いやいやいや。ニケに殴られたから怖がってるんでしょ?」
「え? でもお前さんは僕を怖がったりしないじゃないか」
衣兎(ころもうさぎ)族の子のケツを蹴ってしまい、怯えられたのは理解できる。子どもだったしな。しかし、花子とフリーは大人だろう。ちょっと気絶させただけで怖がるとは思えない。
「……」
フリーは「ニケでもとんちんかんな思考になる時があるんだな」と、新たな発見をした。
「すみませんでした。スミさん! 臓器売ってきます」
「いやいいって……。ニケが襲われていたんじゃなくて、良かったよ」
布団代わりの布を肩から羽織っただけの青年が、呆れながらも安堵した顔で寝台から起き上がる。
土下座している犬耳と、部屋の隅っこで震えている花子。そして床に倒れている白髪。気絶する前と特段代わったことはない。花子もでかいたんこぶがあるくらいだ。無事なようで心底ホッとした。
「いや、良くない! なにこのたんこぶ!」
大会に出すランランは健康状態が最良でなくてはならない。ランランアートの技術点が八十点くらいでも、ランランの健康状態が非常に良い、というだけでニ十点加算されて優勝した新人がいる。
あくまで主役はランラン! これを忘れてはいけない。
傷があれば作品の出来に影響が出るし、それ以前に動物を虐待する者にランランアートをやる資格はない。
身を裂かれたような悲鳴を上げるスミを、ニケは直視できなかった。
スミが目を覚ます直前、ぴくくっと動いたうさ耳に飛びつこうとしたので床にめり込ませた痴れ者の背に座る。
「……ニケ」
「はい……」
「ちょっと一人にしてくれ」
項垂れたスミの声に、生気はなかった。
本当にごめんなさい……。
♦
夕陽が眩しい紅葉街。遠くに雨雲が見えたが、こちらは一日中晴れだった。
薬師としての業務を終えたキミカゲは、「営業中。相談だけでもいいからおいで」と書かれた看板を仕舞おうと持ち上げる。
「ふうふう。重いっ。おーい。ニケ君。手伝っ……」
しんと暗い室内を見て肩を落とす。
「またやってしまった」
ぺしっと自分の額を叩く。
ずりずりと引きずりながら、何とか看板を玄関内に置く。
腰が痛い。
「ニケ君に頼っていたから、なまっちゃった。湿布(薬札と違い炎症用の札)はどこだったかな?」
草履を脱いで上がり、三段薬箱を漁る。
そのとき、炎樹(えんじゅ)の机に薬の入った包みがぽつんと置いてあることに気づく。
血の気が下がった。
「患者さんに届ける薬!」
すっっっかり忘れていた。この患者さんは疝気(腰痛)を患い自分では取りに行けないというので、キミカゲが届ける手筈だったのだ。
いかん。患者さんに待ちぼうけさせてしまっている。
本日の業務は終わっていなかった。
ばたばたと包みを鈴蘭風呂敷でくるみ、玄関へ。慌てたために草履を蹴とばしてしまい、片方が表に飛んでいく。
「あっ。待って!」
「なんだぁ? 草履が……おや。キミカゲ様」
通行人の一人が拾ってくれた。キミカゲはけんけんで取りに向かう。
「あ、ありがとう」
「息上がっていますよ……」
肩を貸してもらい草履を履くと、礼を言う。
「そうだね。落ち着かないといけないね。どうもありがとう」
「い、いえ。礼など……」
仕事を終え、家路につくヒトの波を逆らって走る。走ると言ってもたいした速度は出ていない。後ろから来た大股のヒトに抜かされる。
「ええっと。患者さんの家は……? 地図地図」
長いこと紅葉街にいるが、いまだによく迷う。しかし案ずることなかれ。こんな時のために、オキンに頼んで作ってもらった患者さん家地図がある。
散々書き込んで愛用しているためにぼろぼろになってきたが、それがあれば迷うことはない。
(ニケ君はすごいなぁ。すぐに道を覚えちゃうんだから)
この、薬以外のことを覚えようとしない脳みそをなんとかしたい。
白衣のポッケや内ポケットを探るが、目当てのものに指が触れなかった。すかすかと、ポッケの底を擦るだけだ。
「あれ? あれれ?」
おかしい。オキンが「伯父貴などこの安物で十分だ」とツンデレ発言をしながら渡してくれた高級和紙が、出てこない。オキン本人が聞けば「いや、ツンデレでは……はあ。もうよい。ツッコむのもしんどい」と数日寝込みそうだ。
通りのど真ん中で白衣をひっくり返し、ばっさばっさと振ってみるも塵ひとつ落ちてこない。周囲の通行人が迷惑そうな目を向けてくるが、キミカゲだと知ると見なかったふりをして通り過ぎていく。
野分の月になると、夕暮れには風が吹くようになる。だからといって涼しいわけではないが老人には助かる。助かるのだが、今はピンチだ。
「置いてきちゃったかな? でも、白衣から出した覚えがないし」
ニケたちが首都に赴くと、もうくすりばこは散らかり始めている。患者さんの中には散らかり具合で、ニケがいないことを見抜く者もいる。
出した覚えがないとはいえ、白衣無いにないのなら、あとはくすりばこのどこかしかない。散らかり始めている我が家から、地図ひとつを見つけられるだろうか。
「ああああ。私ってばどうしてこう……。とにかく戻っ」
身を翻そうとして、どかんと思い切りなにかに鼻をぶつける。
「うっ」
尻餅をついた。
「あ。なんか踏ん――――ッ!?!!?」
そのときに落ちた風呂敷を踏んでしまった者が、人生終わったように大口を開けている。どうした、別にうんこなんて入っていないぞ。
薬は粉末なので踏まれようが問題はない。風呂敷と包みの二重の守りになっているので、取り換える必要はないだろう。普通に飲ませよう。
それより何にぶつかったのかと、眼鏡を定位置に直しながら顔を上げる。見知らぬ大男がキミカゲを見下ろしていた。とはいえフリーより頭一つ低いが。
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