143 / 181

19-3.

 フレイは両手で目元や鼻をこすりながらしゃくり上げている。 「フェ、グスッ……フェンが、昨日……グスッ ……ロキが泣いてたって……て、ヒック……きっとオーディンに、意地悪されたんだって……怒って……」  犬の姿のフェンは嗅覚や聴覚が鋭いのだ。だからきっと少しの距離があってもロキの声が聞こえていたのだ。   「そんな……フェンって、怒ること巨大化するのかっ⁈」  ロキが尋ねると、フレイは大きく首を振った。 「ぼ、僕の……研究中の薬……勝手に飲んで……そ、それでおっきくなって……」 「なんてことだ……」  嘆いたのはトールだ。 「丸呑みならまだ腹を切り裂けば……」 「ふ、ふざけんなよ! そんなことさせない!」  トールに向かってそう言いながら、ロキはフェンを背にして両手を広げた。  しかしトールは、今なお泣きじゃくるフレイを床に下ろすと、今度は腰の剣を抜いた。 「どくんだ、ロキ!」 「嫌だっ!」  ロキは叫んだ。  その直後、背後でどたりと大きな音が鳴り響く。 「フェンッ!」  振り返ったロキはその光景に驚き、転がるようにフェンに走り寄った。  巨大化した白狼が、突然床に倒れ込んでしまったのだ。その体は四肢を伸ばしてビクビクと不自然に震え、口から泡を吹き、目元からはぼろぼろと涙を流していた。 「どうたんだよ! フェン! 苦しいのか⁈」  ロキは震える体を抑えるように、フェンの頬にしがみついた。 「フレイ、どうなってるんだこれ、薬の副作用かっ⁈」 「わ、わからない……っ、でも、今までこんな風には……」  フレイの言葉を遮り、突然、突き抜けるように空気が震えた。  その音に、苦しむフェンリル以外の誰もが一瞬ピタリと動きをとめる。  音は数度にわけて、遠く長く響き渡る。 「今度はなんだ‼︎」 とロキが叫ぶと、トールが中空を眺め、息を飲んだ。 「ギャラホルンだ……」 「はぁっ? ホルン⁈ こんな時に⁈」  誰かがホルンを奏でている。  一体それが何を意味するのか、この場でそれを知らないのは、どうやらロキだけのようだった。 「ヘイムダルの知らせだ……ビフロストが突破された」  トールの声は僅かに震える、その表情は驚愕したかのように眉を寄せている。 「ヘイムダルってだれだよ! ビフロスト……って確か、中層と上層を繋いでる橋だよな……?」  ロキは自らそう言った後で、恐ろしいことに気がついた。ハッと息を止め、その視線を扉の外に向ける。 「巨人族が……蜂起したのか……それって、つまり……」 ――神々の黄昏(ラグナロク)だ  誰のものかはわからない絶望の混ざった声音が、どこからともなく聞こえた。

ともだちにシェアしよう!