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第17話

 八月下旬にはいって地元に帰った。  また逃げていると責める心の声が聞こえ、耳を塞いで殻に籠もる。  そうすれば騒音は聞こえない。  あとは嵐が過ぎるのを待っていればいい。  いままでそうしてきたようにーー  「ご飯できたわよ」  母親の声に顔をあげた。この一年で見慣れた天井をみてもやはり自分の家ではないような感覚がある。  記憶喪失は孤独だ。  みんな浬のことを知っているのに、浬は誰のことも覚えていない。それがどんなに悲しいことか。  昔話をされてもピンとこず、反応できないでいると両親は安心したような困ったような顔をする。   一人になると本当の自分が誰なのかわからなるので怖い。 特に夜は暗い闇に吸い込まれそうで布団を被り震えたこともあった。  布団の隙間から夜空を眺めるようになると孤独感が薄らいでいく。星だけはなにも喋らずただ浬の孤独に寄り添ってくれている。  次第に星のような存在になりたいと憧れるようになった。  点字に興味を持ったのも星に似ているからだ。ふと羽場の顔が浮かぶ。 点字を打つ羽場の横顔は美しく、気軽に触れてはいけない儚さがあった。  ただそばにいたいという願いさえもおこがましいような気さえしてくる。  階段を降りるとエプロン姿の母親が深い皺を刻ませて笑顔を向けてくれた。  「もう遅いじゃない」  「ごめん。寝てた」  「久しぶりに家族そろってご飯を食べられるんだから遅刻は厳禁よ」  そう言ってやさしい笑みを浮かべるので浬は後ろめたさで直視できない。  促されたままリビングへ行くと父親は夕刊から顔をあげた。  「おそようだね」  「この子ったら帰ってきてからずっと寝てたみたい」 「いいじゃないか。ゆっくりさせてあげなさい」  母親の小言に父親がやんわりと制し、二人は顔を見合わせて笑った。浬が帰ってきたことが嬉しいのだろう。  リビングに入ると違和感があった。テーブルが新品になっている。周りを見回すと壁紙も割れていた窓ガラスも張り替えられていた。  「テーブル替えたんだ」  「気分転換にね」  「壁紙と窓も?」 「この家も古いから改装したの」   母親の目線は忙しなく左右に揺れ、早口になっている。核心には触れて欲しくないと全身から伝わるけれど、あからさまな拒絶が引っかかった。  「そもそもどうして壁に穴が開いてたの?」  「お母さんがドジしちゃったの」  「窓が割れてたのも?」  「そ、そうよ」  バスケットボールほどの大穴を女の力であけられるはずがない。バッドでも振り回さない限り高齢の母親には無理だ。  もちろん母親が室内でバッドを振り回す姿を一度も見たことがない。  「僕が……僕は母さんたちに酷いことをしてたんじゃない?」  「そんなことないわ! 浬はいい子よ!」  母親は激高してテーブルを叩き、その拍子にグラスが倒れてワインがこぼれた。 肩で息をする母親を宥めながら父親の表情が悲壮なものに変わる。  両親にこんな顔をさせて一体『浬』はどういう奴なんだ。

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