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scene 4. Can't Find My Way Home
ユーリとドリュー、ジェシの三人を病室で待たせ、ルカはロニーと一緒にテディの診療に付き添った。
頭痛が起こるのは予想されていたことで、記憶が戻り始める兆しである場合も少なくないから心配はない、と医師は云った。だが念の為にまた検査をするのでまだまだ時間がかかると聞き、ルカはいったん病室へと戻り、三人には先に帰るようにと伝えた。
ロニーが三人を見送りに行き、広い病室でひとりになった途端、ルカは急に疲れを感じた。はぁ、と息を吐きながらソファに深々と躰を沈め、白い天井を仰ぐ。眩しさに思わず目を閉じると、後悔の波が押し寄せてきた。
――自分の所為だ。自分がインタビューであんなことを云ってしまったから、テディが怒ってこんなことになってしまったのだ。
そもそもどうして、テディが本当に自分に惚れていたことなんてないかもなどと云ってしまったのだろう。本当に、心のどこかでそう思っていたのだろうか。……そうかもしれない。テディが編入してきたとき、自分ではなく他の誰かと同室になっていたなら、テディはきっとそのルームメイトに懐いていただろう。
そう思ったことは、実はこれまでにもあった。
ルカはこれまで何度も、本当に数えきれないほど何度もテディと真剣に向き合い、自分たちの仲について考えてきた。いろいろ問題のあったテディのことを、いつだってテディ本人以上に悩んできたという自負があった。つきあいだして何年かが経ち、冷静に過去のことを考えたとき、テディが最初のうちは自分に恋していたわけではなく、あれは依存と云うべき種類のものだったとも気づいた。
しかし、だからといってテディが自分を愛していないなどとは思っていなかった。そのはずなのに――
ああちくしょう、とふと溢す。こんなことを考えていると、昔のように煙草を吸いたくなる。ルカはもう煙草は吸わないと決めていた。自分はバンドのフロントマンであり、ヴォーカリストだ。容姿や喉の調子を損なう悪習を続けるわけにはいかない。そう、自分たちはおとなになり、世の中も変わった。自分たちの立場も変わり、取り巻く環境も変わった。
そして、今またテディまでもが――
否。
ルカは目を開けた。照明の光が白い天井に滲む。躰を起こし、前を見た。テーブルに上にゴミを纏めた袋と、フロスティーノのカップが転がっていた。テディの好きな、ホイップクリームとチョコチップをトッピングしたチョコレートドリンクの甘い匂いがまだ残っている。
そうだ。ルカは思った――記憶を失っていようと、あれはテディだ。なにをどれだけ忘れようと、たとえずっと、自分のことを思いださないままでも。自分にとっては、昨日のテディと明日のテディほどの違いでしかないはずだ。
医師に相談して、一週間ほどここで様子を見て頭痛が治まっていたら、テディをプラハへ連れて帰ろう。プラハの病院に転院させ、自宅療養が可能なら自分がフラットで面倒をみよう。
ヴィノフラディのあの、ふたりのための部屋で、ふたりで一緒にこれまでのように過ごそう――記憶が戻っても、戻らなくても。
ルカはそう心に決めると立ちあがり、毅然とした足取りで病室を出た。
いったんホテルへ戻るというロニーを見送り、ルカは長くかかった検査のために疲れたらしいテディが眠るのを見届けると、自分もソファで転寝 をした。もう、片時も離れるつもりはなかった。怪訝な顔をされようが、他人行儀に話されようが、自分の想いやスタンスは変わらない。そう肚を括ってテディの寝顔を見た途端、眠気が襲ってきたのだ。無理もなかった。昨夜はほとんど眠っていないのだから。
それから何時間経ったのか――こんこん、とノックの音がし、ルカは目を開けた。と同時に、夕食ですよーと云いながら配膳スタッフがふたり、今はベッドの足許にあるオーバーテーブルに料理の乗ったトレイを置いていった。ありがとう、ご苦労さまと云って、ルカは近づきそのメニューを見てみた。
コテージパイとグリンピースに、人参とコリアンダーのスープ、デザートはルバーブ&カスタード。そのメニューを見た瞬間、たくさんのテーブルがずらりと並んだ、天井の高い広いホールが脳裏に浮かんだ。トレイを持って並ぶ制服姿の生徒たち。寮 ごとに違うタイの色、食前の祈り――懐かしさにルカはふっと笑みを浮かべ、目を細めた。
トレイの下には翌日のメニュー表があった。イギリスの病院食は、夕食と一緒に配られる翌日の献立を見て患者自身が選択するというシステムが多く、ここもそうだった。つまり、このコテージパイもテディが希望したのだろう。寮制学校 にいた頃の人気メニューだ。
今のテディは憶えていないのだろうが、なんとなくでもこれを選んだということが、なんだか嬉しかった。やはりテディはテディだ、なにも変わってはいない――そう感じて、ルカはほっとした。
「……あ、もう夕食……? すみません、ずっといてくれたんですか」
半身を起こし、髪を掻きあげながら云うテディに微笑みかけ、ルカは「ああ」と頷いた。
「俺も寝ちまってたよ。もう食べるか? 俺も売店でサンドウィッチでも買ってくるよ。なにか欲しいものはあるか?」
いえ、別にと返事をしたテディに、ルカはアップルタイザーでも買ってきてやるか、と思いながら病室を出た。
* * *
「――だから、ちっとも迷惑なんかじゃないって云ってるだろ!? 俺がそうしたいんだよ、どうしてわかってくれないんだ……!」
「だ、だって……あ、あなたと俺が恋人だって云われたって、今の俺は憶えてないから好きっていう感情もあるのかどうかわからないし……だから、こんな状態でお世話になっても申し訳ないし、その……恋人らしいことだって、できるかどうかわからないじゃないですか……」
「そんなのはいいよ! 別にいつもみたいにキスしようとか、一緒に寝ようなんて云ってないだろ! ただ俺は、おまえの家族としてあたりまえのことをするって云ってるだけだよ。なあ頼むよ、わかってくれ、そうさせてくれ……!」
夕食を済ませ、退院したら一緒にプラハに帰ろうな、と何気無く云った一言が、何故か妙な具合に拗れてしまっていた。こんなことまで記憶を失う前と同じなんて、まったくありがたいのかありがたくないんだか、とルカは溜息をついた。
いろいろ遠慮がちに云われたことをまとめると、どうやらテディは自分の恋人だったことを否定はしていないが、記憶のない状態の自分が恋人として面倒をみてもらう資格はないと思っているらしい。そういえばこんな考え方をする奴だったなと、ルカは頭を抱えていた。
「……とにかく、ずっとロンドン の病院にいてもいろいろ面倒だし。俺とおまえはロンドンに住んでたこともあるけど、今はプラハに家も事務所もあるんだよ。バンドのみんなだってそろそろ帰るだろうし、俺もずっとホテルと病院の往復はいやだよ。だから、退院許可がでたら一緒に帰ろう」
こっちの熱意は伝わっているのだろう。テディは困ったように俯き、考えこむように口を閉ざしてしまった。
「な、そんなに難しく考えることはないよ。っていうか、どっちにしたっておまえの家は俺と一緒に暮らしてる、プラハにあるフラットなんだぞ? そこ以外、どこへ帰るって云うんだよ」
「それは……」
ちょっと卑怯な言い方になってしまった。実際は、一緒に暮らし始める前にテディが住んでいたフラットも、まだ引き払わずにそのままになっているのだが。しかし、いくら躰は元気でも、記憶を失ったままのテディを独りにしておけるわけがない。
「でも、やっぱり迷惑なんじゃ――」
まだ納得がいかないらしいテディの言葉を遮ったのは、ノックの音だった。
ロニーかな、と思ってルカは「はい」と返事をしたが、入ってくる様子がない。ということは医師でも看護師でもないようだ。いったい誰だろうと思いながら、ルカはソファから立ちあがって広い病室を横切り、そっと扉を細く開けて覗き見た。
そこにいたのは、思いがけない人物だった。
「おやじ!?」
突然現れた父の姿に目を瞠り、がらりと扉を開ける。黒いレザージャケットとジーンズ姿のクリスティアンが「よっ」と片手をあげるのを見て、ルカは驚きのあまり口をあんぐりと開けたままになってしまった。
「な、な、なんで? どうしてここがわかった……っていうか、いったいなにしに来たんだよ?」
「なにしにって、テディの見舞いに決まってる」
「はぁ? で、でもなんで……どうして知ってんだよ!? テディのことはなんにも公表してないぞ? イベントのほうにもリハ中の事故としか――」
そこまで云って、ルカはあらためてクリスティアンの恰好をまじまじと見つめた。
「まさか……おやじ、イベントに」
「そうだよ。ちゃんとチケットとって、せっかくおまえたちのライヴを観に来たっていうのに、ジー・デヴィールは出演できなくなりましたって告知が出てたんでな。で、いろいろ伝手 を使って事故のことと、この病院をつきとめたってわけだ。……それで、どうだ。あの子の具合は」
クリスティアンとテディは、学生の頃サマーホリデイを一緒に過ごしたブリストルの家で夕食を共にしたときと、放校処分を告げられたときの二度しか面識がない。だからルカは、こんなふうに自分の恋人のことを気にかけてくれる父に、なんだか目頭が熱くなるのを感じた。
「……具合ってか、躰はなんともないんだ。だけど……記憶を、失ってて」
張り詰めていたものが解けたように、じわりと涙が滲む。ルカは恥ずかしくて下を向き、ふぅと深呼吸をした。
ぽん、と肩に手を置かれ、顔をあげて父を見る。子供の頃、いつも見上げていたのとなにも変わらない涼し気な笑顔を浮かべ、クリスティアンは云った。
「とりあえず、入ってもいいか。おまえはそのあいだ、あっちでアディと話してこい」
「えっ――」
ルカは思わず廊下に飛びだし、指されたほうを見た。――そこにはルカの母アドリアーナが、どことなくきまりが悪そうな顔をして立っていた。
シックスフォームに上がったばかりである事件を起こして放校され、勘当を言い渡されてから電話で話すことすらなかった母との、実に八年と七ヶ月ぶりの再会だった。
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