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scene 26. Beautiful Boy

 明かりがついたと思っていたところへなにやらユーリの雄叫びが聞こえてきて、ロニーはいったい何事!? とエントランスのほうへ小走りに戻った。するとルカとテディが抱きしめあっていて、そのすぐ傍でユーリはほっとしたように微笑んでいた。  どういう状況? と首を捻りかけると、ロニーさん、と背後からミレナに声をかけられた。  振り向くと、制服姿の警官の陰でハナが目を潤ませ、青いウインドブレーカーを着た男の子と向き合っているのに気がついた。彼女たちの息子、アンディと無事再会できたのだ。 「ああ、息子さんと会えたのね……よかった。よかったわねミレナ」 「ありがとうございます……、そちらも無事、エレベーターから出られたんですね。何事もなかったみたいで、よかった」  そんなふうに無事を喜び合っていると、ユーリがこちらへ近づいてきた。ユーリは「よっ」とロニーに軽い挨拶だけして、すぐミレナのほうに向いた。 「あんたがアンディのおやじさんか」 「え……はい、そうです……。あなたは……ジー・デヴィールのドラムの……」  ユーリがいったいどうしてミレナに話しかけるんだろう? とロニーが思っていると、そこへ警官も近寄ってきた。 「パラツカーさん、こちらの方がアンディくんを保護して、我々に連絡をくださったんです」  それを聞いてロニーは思わずええっ、と声をあげて驚き、ユーリを見た。 「そんなに驚くことか?」 「ごめん、だって……なんだか妙な縁だと思って」 「うん?」  ロニーは、自分とドリューはアンディの両親であるミレナとハナが困っているところを見かけて、車に乗ってもらったのだとユーリに話した。ここに来るまで、あちこち車で走りまわってアンディを捜したのだとも。 「へえ、そんな偶然ってあるんだな。……おいアンディ、心配かけてごめんってちゃんと母ちゃんに謝ったか?」  見ると、アンディが自分たちのすぐ傍まで来ていた。すぐ後ろにはハナもいた。ハナはユーリに駆け寄ると、ありがとうございましたと何度も繰り返し、感謝を伝えた。  アンディは照れくさいのか少し口先を尖らせて、ちらちらとユーリの顔を見やりながら云った。 「うん、謝ったよ……ユーリ、ありがとう。ハンバーガー、美味しかった」  ふっと笑って、ユーリがアンディの頭をくしゃっと撫でる。 「ったく、おまえのおかげでパトカーにまで乗る羽目になっちまった。まいったぜ……何年ぶりだっけな」 「乗ったことあるんだ」 「おまえも乗ったことのある側になったろうが。……そんなことより」  ユーリが少し屈んで、アンディになにやら耳打ちをした。くすくすと笑っていたアンディが、すぅっと真顔になる。そして、傍でずっとアンディを見ていたミレナに視線を移すと、少しばつが悪そうな顔になりながらも向き合った。  まるで判決を言い渡される被告のように、ミレナが表情を凍らせて立ち竦む。ロニーはどうなるのかとはらはらしながら、その様子を見つめた。  やがて、アンディは云った。 「なんだよその恰好」  その言葉に、ミレナはぐっと唇を噛んで下を向いてしまった。だが、その言葉の意味は、ミレナが恐れていたようなものではなかったらしい。  アンディは、こう続けた。 「すっかりお化粧、崩れちゃってるよ。靴も壊れてるし……。ちゃんとお化粧直して、靴も今度新しいの買いなよ。そんな茶色いのじゃなくて、もっとおしゃれな、可愛いやつをさ」  はっとしたようにミレナが顔をあげた。ハナも目を丸くしてアンディを見つめている。ユーリはその様子を見守りながら、にやりと笑みを浮かべていた。そして、ちらりとこっちを見たアンディに気がつくと、ぐっと親指を立ててみせた。アンディもそれに倣った。  まるで悪友同士がサインを送りあっているみたい、とロニーが微笑む。そしてミランは、化粧が崩れていると云われた顔を、溢れる涙で更にぐしゃぐしゃにしながら、アンディの前に跪いた。 「アンディ……! いいの? こんなパパで……。パパの本当の姿がこんなふうでも、認めてくれるの……?」 「だって、パパに好きなことを我慢させたり隠し事させたり、嘘をつかせるほうが嫌だよ。これが本当のパパなんでしょ? どんな恰好してたって、離れて暮らしてたって、ずっと俺のパパなんだよね?」 「ああ、そうだよ……! こんなんだけどパパはずっとパパだよ……! アンディ、ありがとうアンディ……!」  ミレナはアンディを抱きしめた。ロニーはそれを見て今度は、やだ、もらい泣きしちゃいそう、と目頭を押さえた。 「パパ、女の言葉になったり男の言葉になったりしてるよ」 「そうね、ええ、言葉なんてどっちでもいいのよ……。ああ、そうだ。ごめんアンディ、私、お誕生日プレゼントをどこかに置き忘れてきちゃったわ……」 「そうなの? まあ、いいや。俺、欲しい物ができたから」  ミレナはぐすっと鼻を鳴らしながら、アンディの両肩に手を置いて身を離した。 「欲しい物? なあに、なんでも買ってあげるわ……ママにも相談はしなきゃだけどね。実を云うと、用意してたプレゼントはちょっとあなたには(おさな)すぎたかもしれないから」  なんでも買ってあげるという言葉にぱぁっと顔を輝かせ、「ほんとに? なんでも?」と念を押すアンディに、ミレナは「ええ、なんでも」と頷いた。  嬉しそうな顔で、アンディは云った。 「ドラムセット!」  その答えに、あら、とロニーはユーリを見た。ユーリは一瞬驚いた顔をしたが、ふっと笑みを浮かべると聞こえていないふりで、奥の待合のほうへと歩きだした。        * * * 「おめでとうターニャ!」 「マレクもパパになったのね、おめでとう」 「まだまだ実感はないんですけどね」 「豪雨とか洪水とか、いろいろ大変なことと重なったけど、こういうときに産まれた子は強い運を持ってる。おめでとう」 「けっこう安産だったみたいでよかったわ。ほんとにおめでとう、ターニャ」 「ありがとうございます。お祝いもこんなにいっぱい……いったいなにかしら」 「あーっ、待ってください! 開ける前に写真撮りましょう! ベッドの上に並べて、おふたりが一緒に入るようにして……そのケーキみたいなのは後ろにやったほうがいいです。そう、花は手前のテーブルに置いて……はい、オッケーです。じゃ、撮りますよー」  電気が復旧し、エレベーターも無事に使用できるようになったので、ロニー、ドリュー、ジェシ、エリー、ユーリ、ルカ、テディの一同はたくさんのプレゼントを持って、ターニャの病室を訪ねた。  昨日産まれたという赤ん坊は、基本的には別室で看護師がみていて、授乳のときや、母体の体力が戻り希望があった場合のみ病室へ連れてきてくれるのだという。 「たぶんもうじき授乳なんで、来たらお披露目ですね」 「名前はもう決まったの?」 「候補はいくつかあるんですけどね、なんだか迷ってしまって。迷うってことはそのなかにがないのかしらって、もうちょっと考えることにしたんです」 「名前って、親からの最初の贈り物ですしね。まあ、あんまり凝りすぎてもだめかもしれないけど」  一頻り名付けや子育ての話、そして外の様子などについて話していると、廊下のほうから元気のいい赤ん坊の泣き声が近づいてきた。「あ、来たかしら」とターニャが云ったとおり、程無くノックの音がして扉が開き、看護師がワゴンのようなものを押して入ってきた。  授乳お願いしますね、と看護師が置いていった小さなベッドに、ロニーはそっと近づいた。 「……ああ、なんて可愛いの」  マレクが「可愛いでしょう」と、早速親バカぶりを発揮しつつ、そっと赤ん坊を抱きあげた。そして愛おしそうに見つめながら、ターニャの腕に預ける。よしよし、と軽くあやしながら、ターニャは皆に見えるように少し躰を動かした。 「今日はかなりましな感じですけど、昨日は見たときどうしようかと思いましたよ。まるでお猿さんみたいに皺くちゃで」 「ふふ、そういうものなんでしょ。……ほんとに可愛いわ、お鼻はマレク似かしら」 「あ、やっぱりそう思います?」  ふぎゃふぎゃと泣き続けている赤ん坊の頬をつつきながら、じゃ、そろそろお乳をあげますんで、とターニャが云った。焦って出ようとするユーリやジェシに笑いつつ、ロニーはあらためておめでとうを云い、皆と一緒に病室を後にした。 「ああ、本当に可愛かった……! 私も赤ちゃん欲しいなあ、誰か作ってくれないかしら」 「作るだけの男なんかだめだぞ、ちゃんといい父親になる男を選ばないと」  病室を出てエレベーターに乗ってすぐロニーがそんなことを呟くと、すかさずドリューが真面目に意見してきた。皆、笑いながら大袈裟に頷いて見せ、暫し父親についての話になる。 「だな。うちのおやじなんて、仕事こそ真面目だが家やおふくろのことなんか放ったらかしだった。俺ら兄弟のこともおふくろに任せっきりでな。あんなのじゃ大変だ」 「あら、ユーリが家のことを話すなんてめずらしいわね。初めてじゃない?」 「そうか?」 「でも、いい父親ってどんなのがそうなのかな。うちのおやじも、悪くはないのかもしれないけど、いまいちよくわかんない人なんだよな……」 「あら! ルカのおとうさんって最高じゃない! ああ、あんな人と結婚できたらいいのに……」  以前ホテルのバーで見蕩れた、パーフェクトな男ぶりと超弩級なハンサムフェイスを思いだし、ロニーはウェディングドレスを夢みる十代の少女のようにうっとりと天井を見上げた。するとルカが、「そういえば」と質問をしてきた。 「ロニー、うちのおやじといつ会ったんだ? なんか知ってるふうだったよな」 「ああ、そのこと……ふふ、内緒」 「はぁ? なんだ、怪しいな」 「怪しまれるようなことはなかったわよ、残念だけど。ああ、本当にどこかにいい男、落ちてないかしら……」 「おいおい、そのへんでストーンして転がってるような男を拾って帰るなよ?」 「ま、いい男はいくらでもいるさ。ただもう妻も子供もいたりするってだけでな」 「そうそう。ある程度の歳でいい男なのに独りもんだったら、まあ博奕打ちかゲイのどっちかさ」  そうなのよね。変なのにひっかからないように見極めつつ探さなきゃ……とロニーが呟いたとき、チーン、と音がしてエレベーターが一階に着いた。ぞろぞろと揃って降り、さて帰ろうと歩き始めたそのとき―― 「ま、大抵の男は俺のおやじよりはましだろうから、がんばって」  ふとそんな声が耳に届き、それがテディの言葉だとわかると――ロニーは驚いて目を瞠り、勢いよく振り向いた。 「……テディ!? あなた、記憶が――」  テディは悪戯がばれた子供のような表情で、苦笑しながら頷いた。 「うん、なんか云うタイミングを逃しちゃって……なにもかも思いだしたよ。いろいろ面倒かけてごめん」  驚きと喜びを貼りつけたままの顔でルカを見る。だがルカとユーリは顔を見合わせ「ああ、そういえばまだ云ってなかったな」、「まあターニャにはテディのこと知らせてなかったし、しょうがないんじゃ?」などと話していて、呑気な様子だった。  ロニーはもう! と剥れつつ、テディに向き直りハグをした。 「もう……どうしてすぐに教えてくれないの……! でもよかった、ちゃんと思いだせて本当によかった……!」 「僕たちも知らされてなかったんですけど、なんとなく気づいてました。やっぱり顔つきが違いますよね」 「うん、記憶のないあいだは迷子になった子供みたいだった。荷物を置きに来たときは違ってた」  ええっ、自分だけ気づいてなかったの……と悔しく感じながらも、ロニーはテディを見つめ、何度もよかった、よかったと繰り返し、涙を零した。 「やだ、今日は泣きすぎ……」 「そういえば腫れてるな」 「いつもより目が小さく見えますね」 「アイメイクが落ちたんだよ」  え! とロニーはバッグから小さな鏡を取りだして覗きこんだ。 「やだ! ひどい顔……ちょっと待ってて、直してくる」  ロニーは慌ててレストルームへ行ってこようと踵を返しかけた。が。 「いいだろもう、帰るだけなんだから」 「そうそう。もう今日は帰って解散。テディの復活パーティはまた後日だな」 「まだ警報とかも解除されてませんしね。もう今日は真っ直ぐ帰って、みんな(うち)でおとなしくしてましょう!」  そんなふうに云われ、ええ……とロニーがまた剥れてみせると、駄目押しのようにテディが微笑みながら云った。 「大丈夫。化粧なんかどうでも、ロニーは綺麗だよ」  ――こっちがコンプレックスを感じそうなほど綺麗な顔をしたテディにそう云われ、思わず頬が熱くなるのを感じたが――、それも一瞬のこと。 「……女に興味ないくせに」  膨れっ面をしてロニーが云うと、テディは声をあげて笑った。

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