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epilogue. 雨があがれば

 七月に入るとロニーは多忙を極め、デスクチェアに根を生やしたような毎日を送っていた。Eメールや電話に一日中追われっぱなしで、増え続ける連絡先の整理すらできない。ターニャとマレクがまだ育児休暇中で不在ということもあり、これはもう限界だとロニーは急遽、雑務のために臨時スタッフを四名、雇い入れた。  何故そんなに多忙になったかといえば、ルカたちバンドメンバーが、ブリクストンアカデミーで行われたイベントの出演をキャンセルした埋め合わせも兼ねて、先日起こった中欧水害のためのチャリティライヴをやりたいと云いだしたからだった。ロニーもそれはいいアイデアだと賛同し、各方面にいつ何処でならそれが可能かなど、先ずは企画を立てる前の段階として話を聞いたりしていたのだが――それが思いがけず膨れあがり、ジー・デヴィールだけでなくたくさんのバンドが出演する、大きなイベントとして始動する事態となったのだ。  そんなライヴをやるのであればぜひ参加させてほしいという、善意のアーティストが多かったおかげである。そうして賛同者はどんどん増えていき、ちょっとした野外音楽フェスなみの規模になったというわけだ。  そしてドルニーヴィートコヴィツェ( Dolní Vítkovice )地区という、嘗て鉄鋼業で栄えた場所が、野外ライヴの会場に決定した。ドルニーヴィートコヴィツェ地区は、プラハからずっと東、ポーランド国境に程近いオストラヴァという都市の中心部に位置する、工場跡地が観光名所になっているところである。ボルトタワーを中心に、溶鉱炉や錆びた巨大なパイプが張り巡らされているSF小説に出てきそうな景色は、好きな向きにはたまらないらしい。  そんなわけで、まだ本番までは日があるが、バンドはいつものように連日のリハーサル、ロニーは普段とはかなり勝手が違う、オーガナイザーとしての業務に追われることとなったのだった。 「ああ、ビールが美味しい! もう、このひとときがなきゃ仕事なんてやってらんない!」 「おつかれさま」 「かんぱーい(Na zdraví)!」  ロニーとエリーたちスタッフ一同と、ルカたちバンドメンバーの一行は金曜の夜、久しぶりにヴルタヴァ川沿いにあるレストランで共にテーブルを囲んでいた。  カレル橋を眺めながら、イタリアンとフレンチをベースにした美味しい料理と酒を楽しむことができるこのレストランは、一ヶ月ほど前にはテラスの部分がすっかり水没してしまっていたところである。今はもうすっかり綺麗になっていて、浸水したあとの悪臭もまったくない。ここまで完璧に復旧させるのは大変だったことだろう。 「ほんと、すごいですね。ぜんぜん何事もなかったみたいだ」 「よーし、応援するためにも今日はたらふく飲んで食うぞー」 「だね、じゃあ俺も」 「おまえはだめだよテディ。ビール一杯だけにして、あとは水にしとけ」  飾り切りしたきゅうりが添えられた帆立のアミューズブーシュが出されたあとは、トリュフや蜂蜜を使ったグラタン風のゴートチーズを真ん中に据えたサラダ、ライム風味のカニのラビオリ、グリーンアスパラガスのスープ、そしてバターとアボカドをたっぷりと使ったコクのあるロブスター。次々と運ばれてくるシーフードを主に使った凝った料理を、一同は存分に愉しんだ。  そしてデザートに登場したのは桃のコンポートの上にジンジャーブランマンジェとバニラジェラート、白桃のソルベを乗せたパフェ。最高級のワインも充分に堪能して、一行は満足したことをチップを添えて伝え、店を出た。  そして次の月曜、七月十七日の朝のこと。 「おはよー」 「あらおはよう。どうしたの、早いじゃない」  時刻はまだ八時半を過ぎたところで、ロニーはつい十分程前に来て事務所を開けたばかり。エリーたち他のスタッフは九時出勤で、ルカたちもいつもならまだまだ顔を出さないか、来ても直接スタジオに行くのが常だった。 「なにかこっちに用でもあったの?」 「いや、そういうわけでもないんだけど……」  テディは入ってきてから一言も話さず、一歩離れたままじっとこちらを見てにやにやしていて、ルカはなんだかめずらしくはっきりしない態度だった。ロニーはバッグの中から書類のファイルなどを出してデスクに並べながら、ふとルカの手許を見た。  その手には、なにか大きな四角い箱のようなものが入ったスーパーマーケットの袋が下げられている。 「なあに? なにか差し入れでも買ってきてくれたの?」 「いや……まあ、差し入れには違いないけど……、ちょっとんで、持ってきただけだよ」  あ、そうなの、ありがとう……と云いかけて、ロニーはえ? と目をぱちぱちと瞬きながらルカを見た。 「作りすぎた……って、え、誰が作ったの?」 「俺」 「ルカが?」 「おう」 「朝食を? 作った!?」  ええええっ、と大きな声で驚いて、ロニーはルカからその袋を奪うように取り、中を見た。  バゲットの上にハムやチーズやトマト、茹で卵にチキンやサーモンなどが乗せられたオープンサンドが何種類も、ふたつ重ねられたタッパーウェアに並べられているのが見える。店で売っているフレビーチェク(Chlebíček)ほど綺麗に盛りつけられてはいなかったが、手作り感があって美味しそうだ。 「なんか、まだ明るくならないうちから起きだして、急にはりきって作り始めたんだよ。でも要領が悪くって、冷蔵庫から具材になるものあるだけぜんぶ出して切っちゃってさ。で、作れるだけ作ったらもう、すごい量になって」  テディがくすくすと笑いながら説明をしてくれた。なるほど、そう聞けばルカらしいとは思えるが、しかし―― 「で、でもルカ、あなた今まで料理なんてなーんにもしたことなかったんじゃ!?」 「何事にも初めてはあるよ。そうだろ?」 「そ、そうだけど……それじゃ困るわ」 「? なにが困るんだ」 「だって、料理しないの私だけってことになるじゃない!!」 「知るか! 結婚したいならあんたもちょっとは覚えろ!」  ぶーと剥れつつ、食べるなら仕事を始めないうちに食べないと、とロニーはTVのスイッチを入れ、エスプレッソマシンをセットし始めた。ルカとテディにも飲む? と尋ねたが、ふたりは(うち)でコーヒーは飲んできたからと、冷蔵庫からマットーニを出していた。  抽出が終わり、細かな泡の立ったマグを持ってソファに坐ると、ロニーは「いただきます」とルカ手作りのフレビーチェクをひとつ摘んで食べてみた。 「嘘……、ふつうに美味しい」 「嘘はよけいだよ」 「ね、旨いよね。ルカってさ、やらないだけで本当はなんでもできるんだよ、やっぱり」 「おまえは?」 「俺はやろうとするんだけど下手なの。だからルカのほうが希望あるよ」  希望どころか本当に美味しかった。ふたりが仲睦まじくいろいろ話しているのを横目に、ロニーはふたつめに手を伸ばした。アボカドにスモークサーモン、クリームチーズ、そして輪切りにした黒オリーブ。見た目を抜きにすれば本当に完璧(パーフェクト)だ。  そうして黙々と食べているとき、TVに映っていたニュース番組から聞こえた言葉にふと気を引かれ、注意を向けた。ルカとテディも同様に、揃って画面を見つめている。  キャスターが読みあげていたのは、こんなニュースだった。 『――イギリスでは、今週末にも同性間の結婚を認める法案が成立する見込みです。成立すれば、早ければ来年二〇一四年の夏頃には英国初の同性婚カップルが生まれるかもしれないということで、このニュースによりロンドンやマンチェスター、ブライトンなど、LGBTコミュニティの盛んな地域ではレインボーフラッグが掲げられ、早くもお祭りムードで――』  ルカとテディがはっと驚いたように顔を見合わせた。 「へえ、やっとね。……どうしたの? あなたたち、結婚しようと思って待ってたりしたわけ?」 「いやいやいや、そ、そういうわけじゃ――」  ルカのこの返答に、すくっとテディが立ちあがった。 「え、ルカ、まさかこのあいだ云ったのって、まだまだ法制化されないだろうと思って適当に調子のいいことを――」 「違う違う! あれは本気! だけどまさかこんなに早く……まだその、心の準備が――」 「心の準備ってなんだよ! もう、いっつもルカは口ばっかり! そうやっていっつもその場限り、思いつきで云いっぱなしで――」 「いや待て! 云いっぱなしじゃないよ、ほんとに本気だって! っていうか、おまえはそんなに飛びつくほど俺と結婚する気あったのか!?」 「えっ」  掴みかかる勢いだったテディが、真っ赤になって下を向く。 「お、俺は別に……ああいうふうに云ってもらえただけで嬉しかったから、それでもう満足しちゃったっていうか――」  それを聞いて今度はルカが立ち、形勢逆転のような状態になる。 「なんだよ、おまえのほうがよっぽどその場限りじゃないかよ! 俺は今、急にこんなニュース見てちょっと驚いただけで、ちゃんとおまえと結婚する気はあるぞ!」 「お、俺だって……! ない……わけじゃない、けど」  眼の前で痴話喧嘩を繰り広げるふたりを上目遣いに見つめ、ふたつめのフレビーチェクを食べ終えるとロニーは熱いエスプレッソを啜り、云った。 「……ごちそうさま」  急に我に返ったように、ああ、とルカが頭を掻く。テディも苦笑して、ルカと肩を並べてこっちを向いた。 「……スタジオ、行ってくるか」 「うん」  ふたりは、じゃあ仕事がんばって、と声を揃え、何事もなかったかのように肩を並べて事務所を出ていった。  ふう、となんとなく息をついて、さて仕事仕事……とロニーはデスクに向かったが。 「……はぁ……、私も結婚したーーい!」  その声を合図にしたかのように、デスクの上の電話が一斉に、けたたましく鳴り響いた。 - THE END - 𝖹𝖾𝖾𝖣𝖾𝗏𝖾𝖾𝗅 𝗌𝖾𝗋𝗂𝖾𝗌 #𝟩 "𝖲𝖳𝖠𝖱𝖳𝖨𝖭𝖦 𝖮𝖵𝖤𝖱" © 𝟤𝟢𝟤𝟦 𝖪𝖠𝖱𝖠𝖲𝖴𝖬𝖠 𝖢𝗁𝗂𝗓𝗎𝗋𝗎

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